シンタローさんの役に立ちたい。  当然だとでもいいたげな言い方だった。  ちゃんと勉強して、シンタローさんの役に立てるようになりたい。  その行く先には、爪の先程も光明もないというのに。使いつぶされて壊れて行くだけの人生しか許されていないというのに。  最近、よく頑張っていると総帥が褒めてくれた。もっと頑張れば、同じ部隊にしてくれると総帥が言った。嬉しかった。もっと頑張りたい。  真っ白な皮膚に銀の針を突き立て、その神経を犯す毒を注ぎ込みながら聞かされた言葉は、とうに捨てたはずの自分の中の弱さを突いてくる。  じゃあ、せめて弾道計算の掛け算間違えるのは、なんとかしなさい。  そう言うと、拗ねたように唇を尖らせた。  差し込む西日に瞼を照らされ、ミヤギは目を覚ました。起き上がり、自分が着ている服がTシャツに変わっていることと、窓の外の物干し竿に自分が着ていた平服の上着がはためいていることに気付き、現状を把握する。 「あー……オラ、またやっちまったんだべか」 「ええ、やっちまいましたよ。三時限目に倒れてからですから、丸々五時間。もう今日の授業は終わりです、さっさとお帰りなさい」  ベッドから降りてカーテンをめくると、高松が日誌を書いていた。 「これ書き終わるまでに起きなきゃ、水ぶっかけようかと思ってましたよ」 「相変わらず、慈悲のかけらもねえ保険医だべ……」  勝手知ったる保健室、ミヤギは棚からコップを取り出し、浄水器の水をあおる。 「昨日の薬の量はそんなに多くなかったでしょう。ちゃんと中和剤飲んだんですか?」 「あれ、駄目だ。あれ飲むと一日何も食えねぐなる」 「一日に食ったもの吐き出しゃ、同じことでしょうに」 「……んン?」  同じなような、同じではないような。 「体に薬を必要以上残さないことが第一です。きちんと処方通り飲むように」 「分がった分がった」  本当に分かっているのかどうか。念のため、寝ている間に採血して検査にかけてみたが、予想通り、基準値以上の薬物成分が残留していた。『長持ち』させるには、一度体液交換を行った方がいいかもしれない。 「そっだらオラ帰るべ」 「しばらく呼び出しはないはずですから。ゆっくり休みなさい」 「分がった。んじゃなー」  そう挨拶すると、ミヤギは保健室の窓から外に出た。窓の外は、そのままレンガ敷きの歩道になっている。寮に帰るのであれば、後者の下駄箱を介するより、窓から出てしまった方が早い。物干し竿から剥いだ上着をそのまま引っ掻け、軽やかに駆けて行くミヤギの後ろ姿が窓から見えた。  哀れなものだ。今のペースで使用され続けたら、半年と持つまい。前の少年は二年目で駄目になった。身体が壊れる前に、精神がイカレた。ミヤギも既に二年目になる。今のところ、よく持っている。精神も安定しているようだし、身体もとりわけ不調なところはない。通常通りのカリキュラムをこなすだけの体力はあるらしい。  だからこそ、上は『まだ大丈夫だろう』と酷使する。週に一回ペースだった呼び出しが、ここ最近は三日に一度という信じ難いことになっていた。この調子で薬を使用していたら、半年どころか三カ月も怪しい。医者の立場としてもう少しインターバルを置くよう、進言したばかりだ。 『随分人間らしいことを言うじゃないか』  そういう訳ではない。ミヤギは稀に見る良質な素材である。それを徒に使い潰すようなことは避けた方がいいというだけだ。 『情が移ったか? 君らしくもない。あの子の柔らかい肌にメスを入れたのはどこの誰だと思っているんだ。かわいそうに』  違う。そんなはずはない。そんな感情はとうに捨てた。十年以上も前のあの日に封印したのだ。 『ああ、確かに少し似ているねえ。あの子達は』  似ていない。あんたの息子とあの被験体は全く似ていない。  雲が出てきた。夕立がくるのかもしれない。ミヤギが帰りつくまで降らなければいい。風邪など引かれると調整がさらに難しくなる。  翌日もミヤギは倒れた。今回は薬の影響ではない。寝不足が原因だ。徹夜で休んだ授業を勉強していたらしい。土曜の午前授業を真っ青な顔で乗り切って、終業のチャイムと共に倒れ、同じクラスのコージの背中に乗って、保健室に届けられた。気休めの点滴を打ってやる。 「しっかし、根性あるのぉ、こいつは」  そのまま保健室に居座り、肝油をボリボリ食っているコージが言う。遅い入学だった彼は、当時から高松の身長などはるかに越えていた。その巨体でソファに陣取られると、容易には追い出せない風格がある。 「居眠りひとつせんかったぞ。わしゃあ五回もチョーク投げられたんに」  お前は寝過ぎだ。肝油を食い尽くして、カルシウム剤に手を出す。それ以上大きくなるつもりか。 「……いつもくっついてるのはどうしました」 「トットリか? 先に寮にカバン届けにいっちょる」 「シンタローくんは?」 「帰った」  ふう、と、ため息をひとつ吐く。 「アンタ、サプリメントで昼飯済まそうとしてんじゃないでしょうね。さっさと帰りなさい。起きたら呼びますから」 「飯はトットリに取っておけゆうたけえ、大丈夫じゃ。茶は自分で入れるけん、構うな」  構うわ。本当に勝手に自分で茶をいれて、カーテンをめくりベッドで眠るミヤギを覗き込む。 「……こぎゃんちっこいのに、よお頑張るのぉ」  二人には、身長で言えば50センチ近く差がある。年齢でも来年には20になる男と、14になったばかりの子供では天と地ほどの差がある。 「知っちょるか? こいつ、わしと同じ訓練メニューやっとるんじゃぞ。わしでもきついんに、よお頑張っちょるわ」 「知ってますよ」  自分も通った道だ。吐くまで走らされ、胃の中が空っぽで、それでも吐き気が止まらなくて、内臓を丸ごと吐いてしまいたかった。なんで自分がこんな目に合うのか、だれともなく呪っていたことすらある。 「お、起きた」 「……んん……」  もぞ、と、ベッドが蠢く。 「よお眠れたか? ん? 無理しおって、ガキは寝んと大きなれ……」 「……あんだべ、これ」  むにゃむにゃとこもった声で、ミヤギがつぶやく。点滴のチューブが軽くひっぱられた。 「ああ、薬じゃ、薬。おとなしくつけとけ」 「くすり……いやぁ……」  多分まだ寝ぼけてる。夢と現の差がついていない。ミヤギの声にべそが混じり始める。 「いやあぁ、くすりやだぁ。とってえ、とってけろ」 「どうした? おい、ミヤギ、ミ……ドクター、来てくれドクター!」  言われるまでもなく、早足でカーテンの内側に入った。ミヤギが腕に刺さった針を外そうともがいていた。なんとかコージが押し止どめているが、手荒にしてはまずいとためらっているのか、抑え切れていない。 「押さえつけなさい。少し乱暴にしても構いません」 「お、おう」  手を伸ばして、救急箱を取る。布団の上にぶちまけ、安定剤のアンプルをつかみ出す。コージはミヤギの上半身にのしかかり、柔道の押さえ込みの要領で動きを封じていた。ミヤギはその下で弱々しくもがいている。 「やああぁ、やだぁぁあ。くすり、くすりやだ、やあぁああぁ」  上半身に打つよりは楽だと思い、布団をめくって、細い足首をつかみ静脈に針を突き立てる。強めの安定剤を一気に押し込む。体重を考えればこれの2/3で足りるのだろうが、今のミヤギにはこれくらいでなければ効かないであろう。  しばらくそのまま押さえ込む。次第に動きがなくなってきた。眠ったのを確認して、足首から手を離す。コージもようやく身を起こした。怪訝な顔をして、ミヤギの寝顔を見ている。高松の顔をそれを何度か見比べ、実にあいまいで、実に抽象的な一言を呟いた。 「……大丈夫なんか、こいつぁ」 「さあね」  こっちが知りたいくらいだ。  点滴が終わったところで、眠ったままのミヤギを再びコージの背中に乗せる。 「これ、あとで渡しときなさい」 「ん? ……おお、本食堂の食券じゃ」  本部の中央食堂、学生の間では通称本食堂。学生用の食堂は日曜休業だ。故に日曜は自炊となるか、カップラーメンで済ますか、なけなしの給与で外食するかになる。外食の中でも本食堂は、本部IDか食券がないと入れないため、かなりの高ステータスな食事になる。それが三枚綴り。学生の目からは、プラチナチケットの束に見えることだろう。 「あんたにやるんじゃありませんよ。ミヤギ君の栄養状態を鑑みてのことです、ちゃんと渡しなさい」 「わかっちょるわかっちょる」  ほんとに分かってんだろうか。眠り込んだ子供を背負って帰る父親のような後ろ姿を見送って、少し心配になった。  やはり本心では薬物投与を嫌がっている。あれが投与されている間は現実感が希薄になり、判断力も低下する。数回であればトリップ的な快楽もあるだろうが、こう何度も続けば恐怖感を植え付けられるのも仕方ないだろう。  あの薬を飲むと、自分が自分でなくなる。  あれの精神が、もう少し軟弱であればよかった。そうすれば薬に取り込まれるのも容易だったに違いあるまい。例え薬に潰されるのが早くなろうとも。  何故にそこまで生きようとするのか。希望などすべて真っ黒に塗りつぶされているはずなのに。体を切り開かれ、腸を貪られ、それでも生きようとしている。いっそ死のうと思ってくれれば、こちらもやりようがあるというのに。 「……こーじ?」 「おう」 「……あー、まただべー……」 「わははは、またじゃのお」  なにかと無理をして倒れることが多いミヤギは、なにかとコージの世話になることが多い。自分などとは比べ物にならない大きな背中に揺られて目を覚ましたのは、一度や二度ではない。 「ごめんな。降りるべ」 「ええ、ええ。これも修行じゃ、乗ってけ」  学者から寮まではそれなりの距離がある。朝っぱらから学生を走り回させるためだと専らの噂だ。 「本食堂の食券もろうたぞ。あしたは腹一杯食って来い」 「ほんとけ?」 「おう、そんでゆっくり休め」  少しずり落ちはじめていたミヤギの体を揺すり上げる。 「このままじゃ乗り切れんぞ。トットリと一緒に本部勤務になるんじゃゆうとっただろうが」 「……うん」 「無理はするな。無理せんと何もできんのはわかっちょる、でも無理はするな。わしができる事じゃったら、何でもしちゃるけえ」 「うん。なんかコージ、おっとおみてえだべな」 「なんじゃあ、ピチピチの十代捕まえてそりゃあ」 「あに言ってんだべ、てぃーんえいじゃーっつーのは、オラみてえな美少年を言うんだべ」  ひとしきり二人でゲラゲラ笑う。 「……オラ、他に行くとこねえんだぁ」 「おう」 「だがら、無理してでもここにいねばなんね。ここなら、トットリもコージもいる。ひとりぼっちじゃねえ。それに……」 「わかっちょるわ」 「……コージ」 「ん?」 「オラ、いつかどっか行けるようになんのかなあ」  入院命令。ここ最近、あまりにも状態が悪い。ハッタリも含めて、三カ月以内の生存率70%の報告書をでっちあげ、ミヤギを病院に引き上げた。とりあえず一週間の予定。本当は二週間ほしい。一週間では経過観察をしている期間がない。  ミヤギは、大量のテキストを持ち込んできた。基本的に無菌室で寝ているだけの入院だと説明したので、その間勉強するつもりらしい。  10本の採血、髄液の採取、心電図と脳波計。これから三日間、身動きひとつできない状態で体液交換を行う。下準備は入念に行わなければならない。  ミヤギに滅菌シャワーを浴びせ、素っ裸のまま無菌室に入れる。室内を行き交う宇宙服のような滅菌服を着た医師や看護士の姿をきょろきょろと見ている。誰が誰だか分からないらしい。 「観光客みたいな顔してんじゃないですよ」 「お、ドクターだったべ」  声で分かったらしい。にっと笑う。背中を向けさせ、聴診器とエコーで調べつつ、マーキングを施して行く。  ふと、見慣れない傷と『跡』を見つけた。ミヤギの『メンテナンス』は高松の仕事である。『使用後』は、どんなささいな傷も跡もすべてチェックして記録に残している。しかし、これは記録外のものだ。  気付くのが遅れた。これが体調不良の原因かもしれない。 「……正直に答えなさい、ミヤギ君」 「あん?」 「誰かに脅されたりとか、暴力を受けたりはしていませんか?」 「…………」 「君は既に本部の『備品』のひとつです。君に理不尽な暴力を与えるものは、処罰することが可能です。言いなさい、言わなければこれ以上の作業が続けられない」 「違うんだべ、そうじゃねえ。あんな、ドクター」 「オラ、好きな人がいるんだべ」 「……そりゃ初耳ですね」 「うん、誰にも言ってねぇ。秘密だべ。その人がいるから、オラ、何も怖くねえ。どこだって行ける。なんだって出来る」 「どんな人ですか?」 「え?」 「そんくらい聞いてもいいでしょう」  しばらくうつむいて、じっくり言葉を選んでいるようだった。もしくは、言ってもいいことなのかどうか、考えていたのかもしれない。 「あんな。キラキラした人」  行く果ても何も見えぬ闇の中で、その人だけが光に見えて、それだけが大切で。 「……ミヤギくん」 「あんだべ?」 「もしも……もしも君が、その人のために、ひとでなしになろうとか、人が踏み込んでは行けない場所に行こうとか、何もかも捨ててもいい、そう思っているのだったら。恐らく全ての人はそれに反対するのでしょうが。私だけは支持してあげましょう。君の正しさを私だけは信じてあげましょう。もう私に出来る事はそれくらいしかない」  きょとんとした顔をしていた。何を言っているのか分からない、そんな顔をしていた。気を取り直したように笑った。 「そっか。あんがとなドクター」 「いいえ、どういたしまして」  頸部の静脈に、最後のマーキングをつける。 「さ、横になりなさい。次に目が覚める時には、少しは楽になってるはずです」  頷いて目を瞑るミヤギに、マスクをかぶせる。その顔が見えぬように。何も見えぬように。  ただ、夢だけを見られるように。