「危険すぎるね」 「危険……と申しますと?」 「そのままだよ。戦略兵器として運用するにしても、危険すぎる」  そう言って、彼は机上に書類を投げ捨てた。 「自分にはそうは思えませんが」 「想像力が足りないね。観察力かもしれない。ハーレムはよく見ている。伊達に兵器に囲まれて生活していないということかな」 「それほど……強力なのでしょうか?」 「少なめに見積もったとしても、無限の核弾頭を手に入れたに等しい」 「良いことでは?」 「何を言ってるんだね。核など抑止力しかならない。殺戮兵器として、あれほど使い勝手が悪いものはないよ。まあ、『この子』ならクリーンな核も実現できるだろうが。なんにしても、無駄に大きな抑止力は逆に敵を作る。パワーバランスというものを考えろ」 「それでは『廃棄』なさいますか?」 「……それは、惜しいな」 「ええ、惜しいです」 「『制限』をかけよう」 「どのように?」 「『ペット』が一匹廃棄されたばかりだったな。補充要員として割り当てる。手術も許可する。教練は私が行おう」 「……しかし、それでは……」 「廃棄するのと同じだと?」 「ええ」 「違う、飼い殺しにしたい。そうだな、適当な部隊長の専属にでもするか。愛玩物としての自分に満足してもらえればそれで由、でなくとも運用が個人範囲で止まれば問題ない。放出は考えていない、リスクが高すぎる」 「専属……やはり、ハーレム様に?」 「相性は悪くなさそうだがね。これ以上化け物の世話をやらせるのも酷だろう。一族に近い人間であるに越したことはないが……追い追い探そう」 「かしこまりました、総帥」  実地研修など、ずっと先の話だと思っていた。 「あー、時々あるんだってよ。適性判断の後、何人か選抜で研修行かされるの。成績順位とか関係なしに、適性だけで選ばれるらしいけど。そっか、お前かー。何の適正だろうな? 事務仕事か?」 「……ひどいべ、スンタローさん」  一応、特務要員志望だ。いきなり事務に回されるほど、どべでもないはずだ。 「だってお前、字うめーじゃん。何、どこの部隊だよ。ちょっと見せてみ?」 「あー! 駄目だべ駄目だべー!」  レベル2指定の指令書は、発令者と直接関係者以外の閲覧は許されていない。それ以外の者が見た場合、情報漏洩者に厳罰が下る。 「いーからいーから。内緒内緒」  だというのにこの年上の同級生は、課題のプリントを覗くが如き気安さでミヤギの手元から指令書を奪う。上背で力のある彼には逆らいようがない。大体、彼はこの間十五歳になったというのだ。現在のミヤギとの年齢差は二歳ある。この年代で二歳の年齢差というのは、ものすごい壁である。ミヤギが誕生日を向かえるのは、半年以上先のことだ。 「えーと、どれどれ……あー、文書規程とかうっぜーなー。指令書ってもっと簡単なもんだと思ってたけどな。うーん……」 「トクセンブタイだって」  本嫌いで長文読解が苦手なシンタローのためにミヤギは口を挟む。どうせ見られているのだから、同じことだ。 「……何だって?」 「ほれ、ここだべ」  文書の中の一単語を指さす。『S.W.U』。通称『特戦部隊』。 「……マジで?」 「マジもなにも、そう書いてあるべさ」 「お前、特戦部隊ってなんだか知ってんの?」 「つよい」 「なるほど。何も知らねえな、お前」  団内では通称かアルファベットの略称で定着しているが、正式には『特務戦略兵器小隊』という。規模はその名の通り小隊、定数は不定、現在は隊長以下四名。小隊と名付けられてはいるものの、実際の運用規模は旅団もしくは艦隊に相当し、隊員の単独行動は戦略兵器運用と見做される。  一つの部隊で、戦略が構築される。それが特戦部隊である。 「つまりな、人間じゃねえってことだよ」 「……?」 「戦略兵器については習ったよな」  ICBM、大型長距離爆撃機などの大規模兵器、もしくはそれに準ずる破壊規模をもった兵器。 「特戦部隊の人間は、一人一人が戦略兵器規模の破壊力をもつ。それほどの破壊力をもつ者の自由意思なんか認める訳にいかねえから……核ミサイルに気軽に出歩かれたら困るだろ? ひとまとめにして戦略兵器部隊として扱われている。そういうところ」 「……えー……」 「俺が、えー、だよ。なんでお前が特戦部隊に研修に行くんだよ」  目の前で膝に手を乗せ体育座りをしている少年は、お世辞にも兵器とか呼べる姿ではない。兵士とも言いにくい。なにせ、背はまだ150ちょっとしかないし、体力測定の握力は30kgにも満たなかった。同年代から見ても平均以下のなよっちさである。なんでこいつ、士官学校なんか来たんだろ。 「オラ、やだぁ。こえーもん、そんなとこー」 「あー、怖いよ。お前なんか、頭っからぱくーっていかれちゃうよ」 「えーーー……」  猫か犬の耳が生えてたら、ペッタリと頭蓋に引っ付いているだろう。そんなミヤギの表情を見て、シンタローは、いろんな意味でな、という言葉は隠しておいた。部下はともかく、叔父本人にその手の趣味は無かったはずだ。研修生は部隊長の庇護下に置かれるから、無体なことをされる可能性は低いはず、多分。 「あとな、居心地悪いと思うよ、お前最上級官になるから」 「えー、部隊長って総帥の弟だべ? スンタローさんのおじさんだべ? 偉いんだべ?」 「偉いけど偉くねーんだよ」  通常、小隊には部隊長以外に士官はいない。しかし、叔父は士官学校を出ていないし、登用試験にも合格していない。運用上、戦時少尉の権限は与えられているが、実際の階級は曹長だ。  そして、研修生は准尉相当官として扱われる。 「えー……なしてそんな……」  戦略兵器に、自分の判断で行動されては困るからだ。だから、作戦立案権もないし、拒否権もない。それが特戦部隊というものだ。 「……親父に言ってやろうか?」  士官学校に入学した時に親の七光りは捨てるつもりだったが、さすがにこれは哀れすぎる。こんな奴を化け物の巣に叩き込んで、どうしようというのだ。 「……だども、これ、初めてもらった指令だべ。初任務みてえなもんだべ。研修だども。初任務から逃げ出すなんて、したぐね」 「そりゃそうかもしれねえけどさ」 「がんばる。……うん、オラがんばるべ」  自分に言い聞かせるように呟く、その真剣な表情を見て、シンタローは今夜珍しく親戚に電話をかけようと思った。 『おー、なんだ。誕生日プレゼントなら送っただろうがー。ねだってもなんも出ねーぞー』 「あの世界各国ペナントコレクション、プレゼントだったのかよ……送り返したから、明日辺りそっちつくんじゃねーの?」 『ンだとコラ、叔父様からの心尽くしを送り返すとは、てめえ、いつからそんな生意気に……』 「昔っからだよ! いらねーよ、あんなガラクタ! そっちに置き場所無くなったから、倉庫代わりに送って来たのかと思ったよ!」  電話の向こうで、耳が痛くなるほどの大声でぎゃはぎゃは笑っている。おそらくまた酒が入っているのだろう。シンタローはプライベートで素面の叔父に会った記憶が無い。入学式典で真面目な顔した叔父を見た時など、影武者かと思ったものだ。 『で、なんの用だよ。小遣いなら兄貴にせびれ』 「違う、ぜーんぜんちっがーう」  その弟に比べて破天荒で落ち着きの無いこの人を、どうにも叔父と思うことができない。どちらかと言えば、年の離れた兄という感覚である。ものすごく頼りにならない兄だが。 「今度、俺の同期がそっちに研修行くだろ」 『……なんで知っている?』  少し声が変わった。 『あれは機密情報だ。いくら総帥の身内とは言え、学生が見ていいもんじゃねえぞ。実力でのし上がるって言ってたのはお前だろう、忘れたか?』 「……色々あるんだよ、こっちもさ。知っちまったもんは無視できねえし、無視できねえ以上、なんかしなきゃ気がおさまらねえ」 『今後は控えろよ』 「分かった」  厳しい時はえらく厳しいが、物分かりだけはいいのがこの叔父の美点である。父親と兄弟とはとても思えない。 「そいつさ、そっちに研修行くなんて、多分何かの間違いだと思うんだわ。とてもそんな器じゃねえからさ。だから、お手柔らかにお願いできねえかな」 『……ふーん、そうは見えねえけどな』 「え?」 『分かった分かった。可愛い甥っ子の頼みだ、誕生日プレゼントの追加としてお願いを聞いてやろう』 「恩に着る」  貸しにされるかと思った。ほっと胸を撫で下ろす。 『それにしてもアレだな、わがまま坊主にしてはえらく面倒見がいいな。え? どうしたよ急に』 「……どうでもいいじゃねえかよ」 『可愛いのか? ん? 写真来てるぞ、えらいカワイ子ちゃんだな。あれか、実は胸キュンか、甘酸っぱい青春メモリーか? え、おい?』 「ちっげーよ! そういう趣味はねーよ!」 『だっておめー、アレだろ。兄貴の秘書、あのメガネ巨乳。あれと別れたばっかだろ』 「なんで知ってんだよ、そんなこと!」 『おじさんってのは、なんでも知ってんだよー。しかしあれだなー、お前の好みって直球なのかマニアックなのか分かりにくいなー。普通、お前の年であんな女教師タイプと付き合うか?』 「あーもー! 切る! 切るからな! ミヤギのこと、頼んだからな!」 『脈があるかどうか、おじちゃんが聞いといてやろうか? ん?』 「変なことしたらな、家にある親父のアルバム、学校で公開してやるからな! んじゃーな!」 『な、ちょ、待てお前、それは洒落になんね……!』  がちゃん!  まくし立てて、一気に電話を切った。何故、彼女のことが叔父にバレているのだ。親父にだって秘密にしておいたはずなのに。  確かに彼女と別れて……正確には死に別れて、寂しくなかったと言えば嘘になるし、士官学校入学で周りから一気に女っ気がなくなったのは事実だが、だからと言って美少年趣味走るほど飢えていない。  上級生の中には、たまった鬱憤に堪え切れず、そっちに走ってる奴が多いようだが、そうはなりたくないと常々思う。  ……そういえば、やけに上級生から受けがいいよな、あいつ。  基本的に人懐っこく、話しかけ易い雰囲気があるからだろうが、校内であっちこっちから呼び止められているミヤギをよく見る。食券や配給の菓子なんかをもらっているらしい。おかげでミヤギと割合仲のいい自分らは、育ち盛りの食べ盛りでも腹を減らしたことがない。コージなど人の三倍、いや五倍は食うから、配給で貰える食券など月初めに全部消化してしまう。自腹で買った分も月末までとてもじゃないが持たない。足りない分はミヤギから施されているはずだ。  まあ、顔はいい。それは認める。性格も悪くない。実は我が強いところがあるがそれをぶつける相手は弁えてるようだし、単に譲れないところは譲れない、というだけで、普段はどっちかというと押しに弱いタイプだ。ちょっと天然というか変にすっとぼけたところがあるが、愛嬌の内だろう。  ……ラブレターとかもらってんのかね?  下駄箱にラブレターという古き因習が、この士官学校には残っている。隣の看護学校の女子生徒に頼まれて入れられるものもあるが(シンタローも既に二通ほどもらった)、学内でやり取りされるものの方が圧倒的に多い。  告られたら、拒否できなさそうだよなあ、あいつ。  マイペースなくせに押しに弱い。拝み倒しや泣き落としには非常に弱いだろう。実際今日も、空腹のコージに泣き落とされたミヤギは、あやうく自分の昼飯まで与えてしまうところだった。  体力ねえしなあ。  力ずくでこられたらどうしようもないだろう。体力測定の結果は、主計科の平均値ギリギリだった。  …………。  いやいやいや。変な想像をする必要はない。今のところミヤギの周囲には、自分や、学年トップの腕力を誇るコージ、そしてなによりも忠実な番犬がついている。滅多なことで、不本意な状況になることはない。コージは飯の恩を忘れないし、トットリはミヤギの悪口を聞き付けただけでも大騒ぎする。  なんとかしてやらねえとな。  なによりも自分と親しいということが抑止力になるだろう。不本意ながら、次期総帥の座を約束されてる人間の友人に手を出す奴はいまい。  やたら真っすぐ人の目を見る癖。天性で分かっているのか、人と接する時の近すぎもせず遠すぎもしない距離感。本人は普通に接しているだけなのだと分かっているが、あいつは妙に誤解を招き易いところがある。  彼女の世話でもしてやるかなあ。合コンの誘い来てたし。  獅子舞みたいなのが出てくるけど、気にすんなよ。  ドアが開いた途端、本当に獅子舞が出て来たかと思った。おそらくノックを聞くまで熟睡していたであろう浮腫んだ顔。二日酔いに落ち窪んだ目。もとよりまとまりがない上に、乱れ放題の長髪。何よりも、安眠を阻害された不機嫌を嫌というほど表してる目付きに、本能的恐怖を覚える。  食い殺される。 「あ、あああああの、あの、学籍番号、あ、でねぐって、あの、あ、し、指令コード! 指令、指令コードS2202D5……」 「……あー、研修生な」  徹夜で覚えた指令コード復唱を妨げられたのも気にせず、ミヤギは必死で頷く。敬礼すら忘れている。 「そっか、今日か。悪い、忘れてたわ。まあ入れ」  獅子舞がドアから首を引っ込める。重いドアが閉じる前に、ミヤギは中に飛び込んだ。  汚い。  学生寮も結構な汚さだが、定期的に点検が入るため、月に一回は大掃除される。ゆえに、一カ月単位で『汚い』と『きれい』を推移することになる。しかし、ここの汚さと言ったら、学生寮の『汚い』を十倍にし、それを水分が無くなるまで煮詰め、さらに『とてつもなく汚い』と混ぜ合わせたような汚さである。 「あー、わりーなー。今部下が全員、出払っててよ。これでも三日前はまだマシだったんだけどな」  三日でここまで汚くなったのか。ミヤギは廊下を埋め尽くす洗濯物や酒ビンの合間に足を差し込みながら、それらを蹴散らして歩くハーレムの後を追った。  特戦部隊は遊軍扱いなので、特定の拠点をもたない。基本的に隊長ハーレムの居場所が本拠地となる。士官学校がある本部から飛行機で五時間。はるばるやって来たこの入り江のほとりの別荘は、ハーレムの私邸の一つであり、現在の特戦部隊本拠地である。  私邸だからってこの荒れ様はないと思う。基地内だったら、服務規定違反どころかバイオハザードが発令されそうだ。 「名前、なんだったっけ?」  なんかぐんにょりした正体不明の物を踏んだ恐怖に脅えた瞬間、声をかけられた。 「み、みやぎっ! ミヤギれす!」  緊張のあまり、声が引っ繰り返った。 「固くならなくていーから。しばらく俺が出動する予定ねーし。とりあえず、ひよっ子にやってもらう事はねーからよ」 「あ、あの、そっだらオラ、なにすれば……」 「そうだなー、とりあえず掃除でもしてもらおうかな」 「……掃除?」 「掃除」  もしかしたら自分は、体のいい使用人として呼ばれたのかもしれない。  床が現れるまで二時間かかった。家事は一通り出来るつもりでいたが、予想以上に骨が折れた。数え切れぬゴミ袋を運び出し、ほこりまみれの床に膝をつく。だが床拭きは、上の掃除が終わってからだ。インスタント食品の殻が山と突っ込まれたシンクを見てげんなりする。  その時、リビングから声が聞こえた。 「あー、腹減ったなぁー」 「……えー?」 「なんだ、えーって。何か作れ」 「今、シンク片付けてるから、も少し待ってくんろ、ハーレム様」 「やーだー。腹減ったー。はーらーへーったー」  間違いない、シンタローさんの親戚だ。例えマジック様とは血が繋がっていなくても、ハーレム様とは絶対血が繋がってる。他人の都合とか全く考えていないところがそっくりだ。  仕方なしに冷蔵庫を開ける。ビールとチーズとサラミしか入っていない。がっくりと膝をつく。どこかに乾物でも眠ってないかとあちこち開いてみたが、オイルサーディンの缶詰を一個発見できただけだった。酒のつまみしかないのか、ここは。  リビングに顔を出すと、ハーレムはソファに寝っ転がってテレビを見ていた。家庭内の親父というものは、こういうものであろうか。 「……ハーレム様、近くにマーケットとか……」 「何、なんもねえのか? 買い物とか全部あいつらに任せてたからなあ……どっかにあんだろうけどな。知らね」  がっくり肩を落とす。もうどうしよう。 「そっだら、オラ、街まで行ってくるス。お金は……」 「あー、いい、いい。そろそろ一人帰ってくるはずだから待ってろ」 「一人……て、誰がスか?」 「誰って、うちのやつらに決まってるじゃねえかよ」  人間兵器。死を撒き散らす世界『最悪』の部隊、特戦部隊の一員。 「…………」  まあ、隊長がこんなんだし、気にすることもなかろう。  掃除している間に、恐怖心まですっかりきれいに消え去ってしまったらしい。  ちょうどドアに背を向けて、廊下を拭いていた時だった。  がちゃ。 「あー?」 「……あ、」  声に振り向くと、開いたドアの間に人影が見えた。ハーレムが言っていた『うちのやつ』だろう。挨拶しようと、雑巾を置いて立ち上がろうとした…… 「あ、すんません。オラ、研修生の……」 「たいちょーーー! なんスか、このちっこいのーーー!?」 「ぎゃあっ!?」  わずかな隙を突かれ、いきなり軽々と小脇に抱えられると、そのままリビングまで運ばれた。まるで、手荷物か縫いぐるみ扱いである。 「あー、それか? 兄貴んとこからきた研修生。前もいただろ?」 「前のって、図体ばっかりでっかくって可愛くなかったアイツでしょお? 今回は随分と可愛い……」 「さー。好みの変化かねー」 「あ、あのう……」 「んじゃアレですかね。これ、うちの子にしちゃっていいんですかね」 「好きにすればぁ?」 「え、あの、オラは……」  話に付いていけない。抱えられたまま手も足も地につかず、ただ呆然とするのみである。 「もらえるんですかね? どうなんすかね? 欲しいなあ、これ」 「兄貴に聞けよ。俺はどっちでもいいよ」 「あのっ! すんませんけど!!」  勇気を出して、声を振り絞る。自分を抱えている男を、首をねじって見上げる。 「その……マーケットがどこにあんのか、教えて欲しいんだども……」  一瞬の間。 「……隊長、これ、すっげー可愛いんですけど」 「あっそ。そんなに気に入ったなら、お前が面倒見ろよ」  何か間違えてしまったかもしれない。 「へー、新入生。それでこっちに研修って事は、面白いんだなあ、ミヤギちゃんは」  なんでちゃん呼ばわりなのだ。つーか、面白いってどういうことだ。 「そんなら、あれだろ。同級生にすげー根の暗くて、性格ねじ曲がってそうなのいなかったか?」  はて、記憶にない。基本的に体育会系の人間が多いし、大抵の同級生は親切だ。 「顔色悪くて、前髪ばっさーって長くて、猫背なやつ」 「あー、いたべいたべ」 「どーよ。友達とかできてんの、あいつ」 「確か入学早々、謹慎処分食らってっから、いねーんでねえかな?」  トマト缶をミヤギが持ったカゴに入れつつ、ゲラゲラ笑っている。ロッドと名乗った男は、えらく根が軽そうに見えた。 「知り合いけ?」 「あー、まあ、親戚の子みたいなもんだな」  だから、あいつは学校とか向かねえって言ったのによー。そういいながら、マーケットの棚を見ている。 「ミヤギちゃんはあれかな。モテモテだったりするんだろ」 「……モテモテかはわかんねっけど、友達はいるべ」  気付いたら、言葉がタメ口になっていた。特に咎められてもいないから、気にしていないのだろう。 「どんなの」 「トットリってのはな、オラの親友だべ。オラより背もちっこいのに、すげー色んなことができる。忍者なんだと。いつも一緒だべ。コージはな、オラより年上で背もでっけえ。ロッドさんと同じくれえかな。力も強いんだべ、勉強は出来ねっけど、基礎体の成績は一番だべ。あと、いつも腹ぺこだ」 「ほっほー」 「あとな、知ってかもしんねっけど、スンタローさん。あの、マジック様の、総帥の息子さんだべ。仲良くしてくれんだぁ。勉強も出来てな、基礎体もコージと同じくれえすげえ。かっこいーんだべ。学年一番なんだべ。すげーんだべ、知っとるべ? スンタローさん」 「ほうほう。憧れの人ってことか?」 「ふえ?」 「すんたろーさんが、ミヤギちゃんの憧れの人ってことかな?」  憧れの人。 「うん」  誰よりも、何よりもまぶしい人。 「スンタローさんは、オラの憧れだべ。オラ、スンタローさんみてえになりてえ」  ミヤギがそう言うと、ロッドはニヤリと笑った。 「ミヤギちゃんはすげーな」 「はあ?」 「ホワイトアスパラとか好きかー?」  どういう意味か、と聞く前に、ロッドは缶詰の選別に入ってしまった。  結局、初日は家事労働に明け暮れた。ロッド以外の隊員は現在各地に遠征中で、一カ月は戻ってこないそうだ。それでは、顔を会わすこともあるまい。  寝床として宛てがわれた部屋は普段は使っていないらしく、埃っぽかったが汚くはなかった。軽く換気をしてリネンを取り替え、布団に潜り込むと、緊張が緩んだのかどっと眠気が押し寄せてきた。明日は八時起き。普段の起床時間よりは遅いが、寝過ごさないように気をつけようと思った。 「寝ちゃったみたいっすよー」 「んー」  その頃、リビングでは日没から数えて二本目のラム酒を空けてるハーレムがいた。手元にはタブロイド紙が広げられている。ロッドもグラスを取り出し、手酌で琥珀の液体を注ぐ。 「なんだあ、可愛い言ってたのに手はつけねえのか、おめー」 「あー、無理です。無理無理、あれは無理」  ハーレムがだらし無く足を投げ出しているソファの斜向かいに椅子を置き、腰を下ろす。 「あのね、隊長の甥っ子さんいるじゃないですか。あの、可愛げない方の」 「あー、シンタローな」 「あれにね、ベタ惚れみたいです。憧れてんですって」  ちら、と新聞から目を上げる。ロッドはこちらを見ずに、ローテーブルの上のラムのずんぐりむっくりした瓶を見ていた。 「すげーきらきらした目で言われちゃいましたよ。ありゃあ無理だ。あんな初々しい初恋踏みにじれるほど、鬼畜じゃねーです」 「……お前は、そういうところだけ真人間だなあ」 「なんすかソレ。俺のことなんだと思ってんですか、たいちょーは」  さあねー、と、とぼけて、空のグラスにラムを注ぐ。部下だから上司だからといって、進んで酌をするような風習はここにはない。 「で、どんな子なんすか、アレは」  ロッドの言葉に、無言でローテーブルの下につっこんでおいた書類を取り出し、膝に投げる。ぱらぱらとめくる音がする。 「……よくないっすねー、これは」 「よくねーよー。俺も最初は断ろうかと思ったんだけどよー。断ったら、多分処分されちゃうからなー。それはちょっと心痛むよなー」 「隊長にも痛む心とかあったんすか」 「あるよそりゃ。それにな、俺、そういうタイプにゃ弱いんだ」  もう一枚めくれ、と、ハーレムの指が動く。めくった先には、クリップ留めのミヤギの顔写真が挟まってた。 「こりゃ、可愛く撮れてますね」 「可愛いだろ。駄目なんだ、そういうタイプは」  再びラムを注ぐ。いつもよりさらにペースが早い。ロッドは、酔っ払ってる上司に目を向けた。 「なんも分かってねえようなお姫様タイプ。周りに守ってもらって当然みてえな、頭悪そーなタイプな。駄目なんだ、そういうの。ほっとけねえの」 「……意外っすね」 「そうかあ?」 「そういうバカ女タイプ、嫌いだと思ってました」 「いや、俺、結構そういうの好きよ? なんつーかね……」  くいっと、半分以上残っていたグラスの中身を飲み干す。 「夢見るお姫様ならさ、その夢を守ってやるのがナイトの役割だと思う訳よ」 「……たいちょー、ナイトなんすか?」 「うっせーよ! 例えだよ、例え!」  半笑いのロッドに向かってタブロイド紙を投げつける。酔いに任せて口が滑った。 「そうか。シンタローの奴にねえ。ベタ惚れねえ」  薄らいできた記憶が、ぼんやりとよみがえってくる。 「そいつは、よくねえなあ」  ロッドが視界を遮っていた新聞紙をどけると、上司は顰めた眉と半笑いを浮かべつつ、天井を見上げて寝入っていた。  最後のシーツを干し終わった。テラスにばたばたと洗濯物が翻る。やっぱり研修という名の使用人だこれは。  士官学校とは緯度で三十度近く違うここは、空の色が違う。コバルトブルーの深い空だ。冬の空みたいだ。季節は初夏だというのに、ミヤギはそう思った。 「ミヤギちゃーん」  部屋の方から呼ばれて振り向いた。今起きたらしいロッドが、歯ブラシを咥えつつ、親指で後方を指す。 「隊長がお呼び」  物置から、捨てる直前のシーツと新聞紙を持ち出した。あとは、カバンに入れておいた半紙とロール紙。業務用のでっかい墨の瓶。そして、相棒の筆。 「そんなん使うのか」  庭先に詰まれたそれらに、ハーレムが問う。別に紙でなくてもなんでもいい。ただ分かりやすいから。  風の強い中、ロッドに手伝ってもらって、苦労してシーツを広げる。どうせなら、ちょっとはかっこつけたものがよいだろう。少々黄ばんだシーツに、大きく『鶴』と書いた。  ばさり。  シーツが自らを畳み込み、折り鶴を象り、風に乗って飛び立った。同様に半紙にも『鶴』の文字を書き付ける。無数の小鶴が、大鶴を追って飛び立って行く。 「おわー……こりゃすげえ」  青い空一面に飛び交う白い鶴の群れ。ロッドは口をポカンと開いて、それを見上げていた。一方のハーレムは、タバコに火をつけつつ、一枚一枚半紙に向かって丁寧に文字を書くミヤギの隣に腰を下ろす。 「……これは、鶴みてーに実在の生き物じゃねえと効果ないのか?」  そんなことはない。ロール紙を取り出す。少し引き出して、文字を書く。『龍』。  しゅるしゅるとロール紙がほどけていく。文字が書かれた部分を頭部に、白い龍が10メートルの身を踊らせ、鶴の合間を縫って天に踊る。 「ほあー……」 「ほーう」  やはりぽかーんと口を開けてるロッドと、冷静に空を見上げるハーレム。『これ』を見て、こんなに落ち着いている大人は珍しい。大抵は怒ったり、あわてふためいたりするのに。 「いつからこんなこと出来るようになった?」  この筆をもらってから。 「誰に?」  言っても多分信じないと思う。 「この状況の方が信じられねーよ」  カエル。喋るカエル。 「なんじゃそりゃ」  わからない。多分、神様の使いとか、そんなんだったんじゃないか、と思ってる。 「これはあれか、生物には効果ねえのか?」  そんなことはない。生き物にも紙にも、同じように効果がある。ただ難しい。 「どういう風に?」  動くからうまく書けない。 「なるほどね。おい、ロッド」 「は? なんすか?」 「実験台になれ、お前」 「ええ!? ちょ、嫌ですよ、そんなん!」 「だいじょーぶだって、だいじょーぶ」 「隊長が大丈夫って言って、大丈夫だった試しがないすよ! 大体それ、効果はいつ切れるんですか!」  水で文字を洗い流せば消える。 「あ、そんなんで消えんのか」 「そんなら、まあ……」  ただ、今日持ってきてる墨は、消えにくいやつ。 「やめてください。マジ勘弁してください」 「仕方ねーなー……おい」  ? 「一々そんな正座して丁寧に書いてちゃ、後方支援はともかく前線じゃ使えねえ。もっと早く書けるようにならねえか?」  練習してみる。 「そうだな。理想を言えば、動いてる敵兵相手でも書けるようになった方がいい。間合いを取る訓練とかした方がいいな。剣道とかフェンシングとかその辺りもやってみな」  難しそうだ。 「まあ、損にはならねえよ。あとな、一々墨開けてぺたぺたつける時間はねえぞ。士官学校の保健室にな、変な保険医いるだろ。たれ目でスケベそーな顔したやつ。あいつ、あれで結構、変な仕掛けとか得意だからな。頼んでみな、墨無しで書けるようにならねえか」  もう少しやって見せろ、と、新聞紙の山を指す。鶴に龍と来たからには、やはり空を飛ぶものがよいだろう。一枚広げて、『鳩』と書く。ぶわっと、灰色の鳩が空に舞う。  ハーレムはミヤギの隣りを離れ、ロッドのところまで下がる。空を埋めつくさん勢いの鳥と龍の渦を見上げる。 「……高松のやろーに連絡しねーとなー」 「親切っすね」 「んー……いや、あの文字な、もう少し簡単に消えるようにした方がいいわ。でねーと、強過ぎる。俺らでも手に負えなくなる」 「ああ、確かに」  もしもあのまま字を書き付けられ、その字が落ちないとしたら。  あの小さな子供が戦略兵器をひとつ完全無効化したことになる。確かに強力すぎる。 「じゃあ、やっぱりうちで面倒見るんで?」 「……うーん……」 「面倒みてやった方がいいと思うなー、俺はその方がいいなー」 「手ぇ出せるからか」 「いやいや、そんなんじゃないっすよ」  まだまだミヤギの手元からは、後から後から鳩が沸いて出ている。言われるまでやめないつもりらしい。馬鹿正直な奴だ。 「だってね、俺ら、ハーレム隊長から離れたら、もう人間扱いされないんすよ」 「…………」 「ひどいっすよ。この間、『貸し出し』されたところなんてね、出撃命令下るまでずっと麻酔と拘束服付きでしたよ。暴れねーってのに。まあ、そこまで行かなくても人は寄ってこないです。兵器ですからね、俺ら。兵器と友達付き合いしたいって奴はいませんよね」 「……あのな」 「感謝してますよ。俺らのこと拾ってくれて。立って歩いて、酒飲めてゲラゲラ笑えるのなんて、あんたの側だけだ。あんたが俺らの運用に全責任持ってくれてるから、あの偉大な総帥殿にお目こぼしもらってる。感謝してます、本当に」  だから、 「あの子も隊長が拾ってやらなきゃそうなりますよ。首輪でつながれるだけなら、まだマシかもしれねえ。薬で洗脳くらいやるかもしれねえ。あの総帥殿ならやりますよ。でも、多分そっちの方がまともなんだ。手に負えないバケモノはそうやって封印するのが、まともな大人のやり口でしょ。だからね、まともな大人じゃないあんたが拾ってやるべきだよ、あの子は」 「俺は、結構自分は良識派だと思ってるんだがね」 「……そう思うんなら、こないだのG1に突っ込んだ俺のボーナス返してください」  ゲラゲラ笑ってごまかす。 「友達いるんだろ、あいつ」 「あ? そう言ってましたね、確か」 「仲のいい友達がいて、憧れの人までいるんだろ」 「いますいます。あの、隊長そっくりな甥っ子さん」 「似てねーよ」 「そっくりですよ。根性悪そうなところとか」 「俺はあんなムカつく顔してねーよ。俺、あいつの顔大っ嫌い。すげえムカつく」 「可愛がってんのに、ひどい言いようですね」 「いい感じに根性ひねてるからな。そこは将来楽しみだ」 「……やっぱ似てますよ。隊長と甥っ子さん」 「うん、だからな。俺がいなくてもあいつがいれば大丈夫だろ」  新聞紙が尽きたのか、ミヤギが立ち上がって空を見ている。百羽を越える鳥達が舞う空の中、白い龍が身をくねらせていた。 「仲のいい友達がいて、憧れの人がいて、そいつらと一緒で幸せならよ。多分大丈夫だよ。我慢出来るだろ、いろいろと」 「……そーっすかねえ」 「お前もそうだろ? 俺がいるから、麻酔付き拘束服付き待遇でも我慢出来るんだろ?」 「……そういうことにしときます」 「可愛げねーなあ、お前は。昔は可愛かったのになあ。覚えてるか? あんくらいちっこかったんだぞ、昔のお前」 「たいちょー、あのねえ!」  またゲラゲラ笑っている。なにかと言えば笑ってごまかす。それにごまかされてやる方もやる方だ。  ハーレムが、すっと上を指さす。 「?」 「見せてやんな」  『兵器』としての、『バケモノ』としての力の片鱗。 「おーい! ミヤギ!!」  呼ばれて、小さな体が振り返る。指さされた空を見上げて、不思議そうな顔をしている。  ロッドは腰に構えた拳に意識を集中させた。肌に感じる空気の流れ、気圧の変化、空の息遣い。整えた呼吸から、そのエレメントを体に取り込む。一気に拳を突き上げた。  ドォン!  音速を越えた風が衝撃を撒き散らす。渦を描いて上空に駆け上がる空気の固まりが、鳩や、鶴や、龍を巻き込んでどこまでも伸びて行く。強い遠心力に吸い込まれたそれらが、身を引き裂かれ塵になっていく。  激しい竜巻が消えたころ、空の鳥達は消え、雪のような白い紙吹雪がはらはらと舞っていた。  ミヤギは風の衝撃に耐え切れなかったのか、腰をぺたりと落とし、口を半開きにして空を見上げていた。特戦部隊の、戦略兵器と呼ばれる人間の力。その片鱗。圧倒的過ぎて、脅威としか呼べない力。  わずかに残った風に乗り、ちらほらと落ちてくる紙吹雪を見て思った。冬の空みたいだ。 「どうだった? 研修」 「……ずっと掃除してた」  腹抱えて笑うことはないではないか。ぶーと口を尖らせる。放課後の教室、研修から戻ってきたミヤギは、休んだ授業の分のノートをシンタローから見せてもらっていた。 「やっぱさ、なんかの間違いだったんだよ。お前が特戦部隊なんてある訳ねーって」 「分かってるべ、そげなことー!」  よく分かった。あんなものは人間業ではない。自分の手品とは次元が違う。 「そーだ。スンタローさん、剣道とかやってんのけ?」 「剣道? やってねえよ、古臭いじゃん、あんなの」  中距離以上の間合いでは銃の方が圧倒的に有利だし、それよりも近くに踏み込めるなら、ナイフの方が早い。好き好んで、剣道などやることはない。物好き以外。 「確かコージが有段者だったんじゃねーのかな? それがどうした?」 「あのな、オラは剣道とかやった方がいいって。そう言われただ」 「……お前がぁ?」  こくり。 「それあれじゃねーの。他に言うことねーから、てきとーにそれっぽいこと言ってみただけじゃねーの」  あのおっさん、いい加減だからな。 「なんだべ、もー! スンタローさんはなしてオラのこと、そっだらバカにするんだべー!」 「だってかわいーんだもん、ミヤギちゃん」 「ちゃんって呼ぶなー!」  ぽかぽかと殴ってくるが、さっぱり痛くない。むしろ可愛い。自分が美少年趣味のオヤジであったなら、たまらぬ愛らしさだろう。  ガラリ。突然、教室のドアが空いた。 「ここにいましたか、ミヤギくん。総帥がお呼びです」  保健室のドクターだった。シンタローにとっては、従兄弟の保護者という方がしっくりくる。 「そーすい……?」 「やっぱ研修は手違いでした、とか、説明があるんじゃねーの?」  むっ、とシンタローを睨みつけて、ミヤギが席を立つ。残りのノートはコピーしておいてやると言って、シンタローはミヤギを送り出した。  ぴしゃり、とドアが閉まる。ふと机の上に目を向けると、小さな黒い物がうぞうぞと動いていた。虫かと思い、反射的に人差し指でつぶす。指を返して、正体を確かめた。虫ではなかった。  小さな几帳面な、ミヤギの筆跡による字が指の腹に張り付いていた。