デート
| 「……あれ?」 「どしたべ、スンタロー」 見間違いかと思って、もう一度今月の予定表を確認する。視察から帰ってくるのがこの日、予算会議がこの日、この書類が回ってくるのがこの日。 「おい、もしかしてここからここって休みか?」 「え? 見してけろ」 スケジュールの管理はミヤギの役目だ。本来はコージのはずなのだが、重要な会議に本人が遅れてくるのでお鉢が回ってきた。 「……ほんとだべ。二連休だべ。気付かなかっただ」 「……珍しいこともあるもんだな」 「んだなあ」 ここ一年、ろくな休暇などなかった。たまのオフ日でも半日とか、一日休みだが自宅待機とか、そんなもんだった。スケジュール調整もしていないのに、二日も休みになるとは本当に珍しい。 「なんかのミスとかじゃねえだろうな」 「違うべ。多分アレだべ、中旬の哨戒視察……」 遠征の帰還予定日とぴったり重なったやつだ。予定を突っ込んできた情報中佐曰く、『帰還は午前のご予定ですから、そのまま船を降りられず向かわれればよろしい』の哨戒視察。その台詞にミヤギがブチ切れた。直接情報監査室に殴り込んで、大暴れしてきたらしい。お前ら、総帥をロボットか何かだとでも思っているのか、家族とも会わせてやらないつもりか、お前らの血は何色だ。まあ、そんなところを泣いて喚いてきたらしい。 そして何より、情報中佐がミヤギのファンだった。 お陰で、予定が二カ月繰り越しになった。そこに別の予定がつまり、ほかのスケジュールがズレて…… 出来たエアポケットが、この二連休。 「んじゃあ、この休みはミヤギちゃんのおかげかぁ」 「ん? あ、まあ、そうなるべな。敏腕秘書に感謝するがええだ」 どこが敏腕だ、オフの存在にも気付かなかったくせに。偉そうに胸を張るミヤギの得意げな顔をちらと見上げる。 「……じゃあ、この休みはミヤギちゃんにあげようかな」 「んあ?」 「どっか旅行にでも行くか? 二日じゃ行けるところも限られてるけどよ」 鳩が豆鉄砲食らったような顔って、こういうのを言うんだろうなあ。 「……はぁ?」 「あのな、よく聞けよ? この二連休はミヤギちゃんのお陰で出来ました。せっかくなので、ミヤギちゃんに二連休の間、俺といちゃいちゃ出来る権利を差し上げます。旅行にでもなんでも連れてってあげます。しかも旅費は俺持ちです。護衛任務ということにしてあげるので、有給も減りませんし、出張手当もつきます。いいことずくめです。分かったかこのアホの子め」 おお、考えている考えている。 「……分がんね」 「……なんでだよ」 納得させるのに、たっぷり15分かかった。 旅行とかはいらない。二日じゃ移動するだけで疲れるし、行きたいところも特にない。 出来れば、 「オラんちに泊まりにきてけろ」 「はあ、なんで?」 一緒に過ごすのなら、いつも通りシンタローの私邸にくればよかろう。 「だって、スンタロー、オラの部屋にきたことねえべ?」 「そりゃねえけどさ」 ミヤギの部屋は、士官宿舎の一室だ。2LDK。洋室六畳が二部屋に十二畳のリビング、システムキッチンはガスコンロ式&オーブンレンジ付きで、バストイレ別。ちなみにペット可。飼ってる奴は滅多にいないが。 「な、きてけろ。ちゃんと掃除しとくがら。な?」 「……なんでよ」 なんででも。まあ、本人がそれがいいというなら、別に止めはしまい。 前日は深夜まで予定が詰まってたので、仮眠室に泊まり、ミヤギの部屋についたのは朝の七時だった。 なんでこんな朝も早よから。 ミヤギがこの時間に来いといったのだ。準備しておくからと。何の準備だ一体。つい三十分前に起きたばかりの寝ぼけまなこを瞬かせながら、チャイムを押す。 「入ってけろ、もうすぐ出来るべ」 「……なにが」 ドアを開けてでてきたミヤギは、エプロンをつけていた。そういえば滅多に見ない姿である。シンタローは厨房は孤独な戦場と考えるタイプだ。 「味噌汁。座っててけろ、すぐ持ってく」 「みそしるぅ?」 それだけ言ってミヤギが奥に引っ込んでしまったので、仕方なく靴を脱ぎ捨て、リビングに入る。 ミヤギの部屋は通常時、非常に特徴的な散らかり方をしているらしい。『雑然としているが整頓されており、整理されているが散らかっている』そうだ。古雑誌が非常にきれいに積まれているが、発行順も出版社もバラバラでバックナンバーを探すのは困難であり、仕事に必要な書類はあっちこっちに飛び、しかしきちんと時系列と内容に沿って飛んでいるのですぐ手に取れる。そんな部屋らしい。正直一度見てみたかった。ミヤギの脳内そのもののような部屋に違いあるまい。 「……きれいじゃん」 拍子抜けした。実にきれいに整理整頓されている。モダンクラシックな家具のあちこちに和風テイストを取り入れたインテリアで(よく見りゃ全部官給品なのだが)、見た目も落ち着く。ふと棚の奥を見てみたが、埃ひとつなかった。 掃除しとく、というのは、本当だったらしい。 「出来たべー」 キッチンからトレイを抱えてミヤギが出てきた。テーブルの上に並べられる飯茶碗、焼き魚、香の物、小鉢、そして味噌汁。 「作ったのか、コレ」 「んだ。冷めねえ内に食ってけろ」 テーブルに着いて塗り箸を手に取る。 「んじゃま、いただきます」 「うん、いただきます」 いただきますと言ったくせに、ミヤギはじーっとシンタローの顔を見るばかりで箸すら手に取らない。 「なんだよ」 「なんでもね。早ぐ食え」 じーっ。そう睨まれては、食うものも食えない。とりあえず、白飯を一口。 「うん」 このあっさりとした味わいはササニシキ。和食のメニューにはベストチョイスと言えるだろう。自動炊飯器任せと思われるが、研ぎや水加減に問題はない。 さらに味噌汁を一口。 「うん」 「……どうだべ」 「どうって何が」 「味が。どうだべ」 だから睨むなっつーの。 「悪くねえんじゃねえの」 「……そうけ」 うわ、落ち込んだ。 「いや、うまい。うまいよ、うん」 出しの引きは甘いが、それ以外に問題はない。味噌の加減もいいし、わかめと豆腐のシンプルな具もいい。インスタントの出しや化学調味料も使ってないし、十分だ。 「ほんとけ!?」 「ああ。上出来じゃねえの? ミヤギちゃんにしては」 何しろ、普段全く料理をしないのだ。ほっとけば三食カップメンでも全く苦にしないミヤギが、これだけちゃんとした朝飯を作ったのだから、それだけで称賛に値する。 「あー、えがったぁ。あんな、いっぱい作ったべ。たくさん食ってけろ」 「……いや、朝からそんなに入らねえよ」 香の物を口にほうり込む。 「これもお前が漬けたのか?」 「んだ」 「……ちょっと水っぽいな」 だから落ち込むなって。 漬物以外は75点をやってもいい出来だった。きんぴらの味付けがよかった。お陰で意外に食が進み、一杯半お代わりしてソファに転がる。 「あー、食った食った」 キッチンではミヤギが洗い物をしている。皿が割れる音がしたが気にしないでおこう。 「あんなー。昼飯、なにが食いてえ?」 「あー。なんでもいいや、どっかに食いに行こうぜ」 「やだ」 「……やだ、って」 キッチンから濡れた手を拭き拭き、ミヤギが出てきた。 「オラが作るべ。何でも作るべ。な、なに食いてえ?」 「……小龍包とフカヒレの煮込み」 ………………。 「……分がった。PXには置いてねっがら、ちいっとチャイナタウンまで行ってぐる」 「いや、冗談だって。何なんだよ、お前」 車の鍵を持って本気で中華街にフカヒレを買いに行こうとするミヤギを引き留める。 「無理しなくていいからさ。ミヤギちゃんにそんなもん作れねえの知ってるって。せっかくの休みなんだからゆっくりしろよ。いいじゃねえか、ランチデートしようぜ。な?」 「やだ」 「……だからさー」 「オラが作るんだべ。今日の昼飯はオラが作るんだべ! どっかに食いに行ぐなんていつでも出来るべ! 今日はオラが作る……」 「……泣くなよー」 「……だって、スンタローが……」 何をしたというのだ。 「分かった。オムライス。オムライスが食いてえ。そんくらいなら出来るだろ?」 「……おむらいす……」 「……出来るよな?」 戦場でも見たことないような真剣な顔で頷かれた。すごく不安だ。 オムライスというのは子供でも出来る料理のひとつだと思っていたが。 「いやー、これはすばらしい出来だな」 「…………」 例えて言うなら、『茶色い泥を被った溶岩』である。オムレツの部分は無残に焼け焦げ、チキンライスはケチャップの入れ過ぎでどろどろだ。 「……練習したんだべ」 「和食のな」 「……うぅぅ……」 まあ、卵料理というのは火加減が難しいし、作り慣れてなければこんなものなのだろう。シンタローはスプーンを手にとって、大皿に盛られたオムライス(らしきもの)をザクザクと取り分ける。 「あ……」 何か言いたげなミヤギを無視して、口に運ぶ。 「うん」 しょっぱい。焦げている。しかし食べられない味ではない。基本的に味付けは間違えていない。もう一口。 「どうした? 食えよ」 「……怒ってねえんかい?」 「なんで怒るよ。ほら、食えって。テメーで作ったんだろうが」 ミヤギの皿にどろどろのオムライスを盛る。自分の皿にも盛る。食う。その内、味に慣れてきた。こういうものだと思えば、そこそこ食べられる。 ついでに、ミヤギの思惑にも気付いてきた。 「夕飯はカレーな」 「うん、分がった」 「一緒に作ろうぜ」 ミヤギの目が丸くなる。 「一緒に買い物行って、一緒に散歩して、一緒にカレー作って、味が染みるまで一緒に昼寝しようぜ。そうしたかったんだろ?」 驚いた顔が次第に笑顔になる。こくんと頷く。めんどうくさい奴である。 PXはそれなりに遠い。 「歩くべ」 それは構わない。 「んでな。手、繋いでくんろ」 ちょっと悩んだ。しかし今は、平日の日中で非番の奴らも家でゴロゴロしている時間であり、従って誰かに見つかったりする可能性は低いと思われる。 海岸通りを手を繋いで歩く。よく晴れていた。 「あんなー、スペアリブのカレーって食ってみてえんだべ」 「バカ、アレ仕込みに時間がかかるんだぞ。キーマカレーにしとこうぜ」 日差しも暖かかったが、手も暖かかった。時折ミヤギは海を通る船に気を取られて、歩みが遅くなる。その度に手を引っ張られ、蹴つまずくようにシンタローに駆け寄る。PXまで2km。ゆっくり30分以上かけて歩いた。 つまりは新婚ごっこがやりたいのだ。 「シンタロー、これ……」 「買わねえよ」 「えー、なしてぇ」 「カレー作るんだろ、カレー! なんでスターフルーツがいるよ!」 「珍しいなあ、って、思ってなあ」 なんでこいつの冷蔵庫に訳の分からない調味料やチーズがいっぱい入っているのか分かった。こいつは物珍しげな食材に弱いのだ。 「お、なんだべ、この魚! シンタロー、これ虹色で……」 「買いません! こっちいらっしゃい、ミヤギちゃん!」 旦那気分というより、母親気分である。子供にあめ玉しゃぶらせとく母親の気持ちが分かった。 「シンタロー、これ……」 「……だーかーらーさー」 結局根負けして、付け合わせにソムタムを作ることになった。ミヤギがパパイヤから手を離さなかったからだ。 帰り道は少し遠回りをする。士官学校の近くを通ることにした。 学生はいつも走らされている。自分たちもそうだった。今だってそうだ。先頭を走っている奴すら、喘息のような息をしている。最後尾の奴など、前に倒れるのを足を出してこらえ、また倒れそうになるのをこらえ、それを繰り返しているだけだ。その内、足も出なくなってぶっ倒れ、教官にケツを叩かれて仕方なく泣きながら走っている。 どこの軍隊でもある、おなじみの風景だ。こればっかりは、総帥が代わろうが、時代が変わろうが、このまんまだろう。 「うわー、懐かしいな、おい」 「んだなあ」 泣きながら走る学生たちは、大抵、他に行き場などない子供たちだ。昔のような人さらいギリギリの集め方などしていないが、奨学金と生活の保障で釣って、『飢え死にするか、しごき倒されるか』のどちらかを選ばせているのは変わらない。 PXで買ってきた肉まんを齧りつつ、ぴいぴい泣くガキどもを見物する。 「おーおー、根性出せや若人ども。俺らのころだったら、10km程度でへばる奴いなかったぞ」 「それは、スンタローとコージくらいだったべ」 とうとう倒れて起き上がれない奴が出た。水をぶっかけるのはスパルタだからではない、体が熱をもち過ぎていて危険だからだ。きっとこのあと恐怖の保健室に運ばれ、一本ネジの切れた保険医に心行くまで弄り倒されるのだろう。 「……なあ、スンタロー」 「んー?」 「あん中に、オラと同じ奴もいんのかなあ」 「……いねえよ」 使い潰されるためだけに連れてこられた子供。兵士として育てられるのではなく、完全に玩具として育てられる子供。 「いや、いたんだけどさ。親父の代に入学した奴もいるしな。もう全部中止させた。今は後処理だけやられてるはずだ。いねえよ、もう。そんなガキ、いねえよ」 ミヤギが生き延びたのは奇跡だ。ミヤギの前にも後ろにも、同じような子供の死体が累々と連なっている。その中で一人だけ生き延びたミヤギは、その死体をどんなふうに見ていたのだろう。 「あいつらみんな、早ぐ一人前になれっとええなあ。きっと、生きててえがったって思えるようになるべ。なあ?」 肉まんを口の中に押し込んで、手を服で拭う。ミヤギの手をぎゅっと握った。 「そうだな」 「そうだべ」 生きていてよかったと思えるのなら。そう思わせてやれるのなら。休暇もなく働き詰めるのも苦ではないし、たまの休暇を全部与えてやるなど簡単なことだ。 タマネギを焦がさぬよう炒めろと言う総帥命令を、忠実にミヤギは実行している。そんな真剣な顔して炒めることはあるまい。ニトロの調合でもしているかのような慎重さだった。 「そんくらいでいいよ、じゃ、こっちの鍋に入れな」 ミヤギは硫酸を扱うかのごとき手つきで、タマネギをひとかけら残さずフライパンから鍋に移した。見事な飴色である。 「よし、上出来」 「当たり前だべ」 偉そうに胸を張る。あとはひき肉を加え、前もって調合しておいたスパイスで煮込むだけだ。 「じゃあ、次はパパイヤの皮を剥け」 「分がった」 結局キッチンの主導権は完全にシンタローが掌握している。勝手の分からぬ他人の台所の不利を、地の利をもつミヤギを走り回らせることで補っている。まさに名将の名に相応しい戦いぶりであった。 「あ、スンタロー。これカレーに入れるべ、ぜってえうまいべ」 「あー、何を……って、ブルーチーズ入れるのはやめろーー!」 しかし、兵がいまいち言うことを聞かない。 「スンタロー、寝たけ?」 「いいや?」 ミヤギのベッドはセミダブルだ。二人で寝るには少し狭い。 布団敷いたべ。 洋室の一室に畳を敷いて、和室にしていやがった。そこに和布団が2セット、きっちり引かれている。 「そっち、行ってええかな?」 「なに、やっぱすんの?」 「ばかたれ」 たまにはゆっくり一緒に寝たい、というのが、最初の言い分だったはずだ。ミヤギが枕を持って、布団に潜り込んでくる。足りない分は、布団をくっつけて補っている。 「腕枕してやろうか?」 「……ん」 左腕にミヤギが頭を乗せる。豆電球だけの薄暗い闇の中、その洗い髪の匂いがふわりと鼻先をくすぐった。布団の中では、はだけた浴衣の裾からこぼれているのであろう、ひんやりした素足がぺとりとくっつく。 「……したくねえんなら、それでいいんだけどさあ」 「ん?」 「こうもくっつかれると、チンコ立つんですけれど」 「なしてスンタローはそげにすけべなんだべ」 「ミヤギちゃんがエロいから。あいて」 布団の中で軽くつねられる。 「……今日はあんがとな」 「なんだよ、いきなり」 「すんげー楽しかっただ。あんがと、スンタロー」 「なに言ってんだよ、明日もあんだろうが」 かすかに湿った髪を撫でる。 「明日はデートしようぜ。遊園地でも動物園でもいいぞ。弁当だって作ってやる。車も出すからさ。新車届いてたんだよ、一番にミヤギちゃん乗せてやる。夜もさ、どっかに予約取っておこうぜ。朝に間に合えばいいんだよ、まだ一晩ある」 そっと頭を抱き寄せる。形のいい後頭部の丸みがすっぽりとたなごころに収まる。 「だから、そんな寂しいこと言うなよ」 「……うん」 事実、寂しかったのだろう。いつもは、たとえ二人きりになれたとしても、ミヤギがシンタローを独占している訳ではない。抱き合いながらも電話の音に気を尖らせ、メールひとつで逢瀬が終わる。閨の最中に呼び出されたことも一度や二度ではない。 ミヤギはそれに文句ひとつ言わない。都合のいい玩具のような扱いに不満ひとつ漏らさず、シンタローの前で服を脱ぎ、シンタローの前でネクタイを締める。 二人でゆっくり過ごしたい。なにもしないでいい、一日ずっと一緒にいられるだけでいい。 たったそれだけのことすら、満足させてやれなかったのだ。 腕枕に目をつぶるミヤギに、そっと覆いかぶさる。柔らかく唇を重ねた。瑞々しい唇の弾力が心地よい。 「……やっぱ、していいか?」 「疲れねえけ?」 「いいよ、明日ゆっくり寝るさ」 首筋に顔をうずめる。さらりという衣擦れの音を立てて、ミヤギの腕がシンタローの頭に回された。熱いため息を吐く。 驚いたことに、動物園に行ったことがないのだと言う。 「連れてってくれるの、いねがったもん。遊園地はトットリと行ったけんども」 ちなみに二人とも遊園地初体験だったらしい。何やってんだこいつら。 動物園と言えば弁当だろう。少し日差しが強いので、酢をきつめにしたいなり寿司。サラダ代わりに野菜多めのサンドイッチ。唐揚げにアスパラのベーコン巻きに卵焼きにホウレン草の胡麻和え、ポテトサラダ。メニューはミヤギのリクエストである。『いかにも、弁当! って感じなヤツ』。 「あんな、オラな、こういう弁当初めてだべ」 ミヤギにとって弁当と言えば、おにぎり一つとか軍用のレーションを示すらしい。 「あんなー、学生のころなー、グンマとかこげな弁当いっつも持ってたべ。うらやましがったぁ。作ってみるべ、って思ったんだども、うまくいがねぐてなー」 「……言えば作ってやったのによ」 「うん、だども今日作ってもらったがらええべ」 弁当の入ったバッグを大事そうに膝に抱え、ミヤギは車の窓から外を見ている。よく晴れていて、海岸沿いの道路は乱反射する海にきらきらと照らされていた。 一週間前に届いたばかりのBMWは、今朝シートのビニールを剥いだばかりだ。車内に漂う新車独特の空気を窓を開けて入れ替える。 「スンタロー、スンタロー、あんな」 「なんだよ」 「象、いるけ?」 「あー、俺がガキの頃はいたけどなあ。なに、象、好きか?」 「ううん、見たごとねっがら」 「……ねえの?」 「島にもいなかったべ?」 そういやそうだ。コアラとかパンダとかライオンとかは島でも見たが、象は見たことがないのだと言う。 「そうか、30近くにもなって象を見たことがないか、ミヤギちゃんは」 「んだ。どんくれえでっけえのかなあ」 30近くにもなって本気でわくわくしているようだ。 「あのさあ、小学校くらい行ってたんだろ? 遠足とか行かなかったのか?」 「遠足費が払えねがった」 「……なるほど」 ミヤギが士官学校にくるより前のことはほとんど知らない。親がいないことと、寺に拾われたものの、ほとんど一人で暮らしていたこと以外、何も知らない。 「スンタロー」 「今度はなんだよ」 「しりとりするべ」 「……やだ」 浮かれるにもほどがある。 平日の動物園は閑散としている。男二人連れでくるのはどうかと思っていたが、気にするほどではないようだ。 動物園独特の臭気。南国の鮮やかな鳥から、北極の白熊まで、一カ所に集められたおかしな空間。 「ペンギンだべー」 ミヤギは足の短い鳥が気に入ったようだ。よたよたと地を歩き、水中では軽やかに飛ぶ様をにこにこと見ている。 「……ガキんころさあ」 「んー?」 柵から手を伸ばして、ペンギンを撫でようとしているようだ。距離的に届く訳がないのだが、手の動きに合わせてペンギンが反応するのが楽しくて仕方ないらしい。 「親父に連れてきてもらったんだよ。この動物園」 本部から車を飛ばせば、一時間もかからない。忙しかった父はたまの休みに、よくここに連れてきてくれた。 飼育員が出てきて、ペンギンに餌をやり出した。アジを丸呑みにするのをけらけらと笑いながら見ている。 「グンマも一緒だったっけかなあ。やっぱり弁当持ってさ。もうその頃はお袋も臥せってたから、三人だけだったけど。楽しかったよ」 「ふぅん」 「……ミヤギも連れてきてやればよかったのにな」 「? なに言ってんだべ?」 きっと幼いころのミヤギは、それは可愛らしい子供だったんだろう。写真は士官学校のころからのものしか残っていないが、それからでも十分推測できる。人形のような、愛くるしい子供だったに違いあるまい。そっと手を握る。 「象、見に行くか」 「んだ」 その時、携帯電話が鳴った。 着信番号を確かめる。しまった、作戦室からだ。電源を切っておけばよかった。今からでも遅くはないとばかりに、無理やり電源を落とす。 「よし。行こうぜ、みや……」 ポケットにしまおうとした携帯を、ミヤギがひょいと取り上げる。再び電源を入れ、着信履歴から作戦室に掛け直した。 「本部警備のミヤギだべ。うん、現在総帥護衛任務中……うん、うん、分がった。伝えとく。うん。一時間でつくべ。じゃ」 電話を切る。 「帰るべ、スンタロー」 「……なんでだよ」 「?」 はて、と小首を傾げるミヤギに、イライラする。 「今日は一日一緒にいるんだろうが。せっかくの休みなんだぜ。呼び出しなんかどうでもいいんだよ。勝手なことしてんじゃねえよ」 「昨日見た学生な、演習中に襲撃にあった」 さらりとミヤギが言う。 「損害は大したことねえて。学生に死者は出てねえし、怪我も軽いて。もう敵勢力も撃破した。だども、学生たちがショック受けてるて。当たりめえだべな。まだ羽も生え揃ってねえひよこなんになあ。いきなし殺されるとこだったべ。かわいそうになあ」 何がかわいそうだ。お前はあの甘っちろいガキよりもまだ小さいころから、地獄に叩き込まれていたのだ。少しくらい銃で脅されたくらいで凹むようであれば、そんな奴は軍人に向いていない。荷物をまとめてさっさと門を出て行けばいい。 「早ぐ行ってやってけろ。慰めてやってけろ」 「……やだよ」 まだ半日ある。18時間以上ある。ミヤギがみていた地獄を埋め合わせるには、少なすぎる時間だ。 「なんで俺が行かなくちゃならねえんだよ」 「えー……言わねえと駄目かい?」 少し口の中で言葉を転がす。言いにくいという風情ではない。言いたいけれども、言うのが気恥ずかしい。そんな感じだった。 「オラなら来てもらいてえから」 はにかんだような笑顔でそう言う。 「泣きたぐなる時にスンタローさんがいてくれたがら、泣かねで頑張れた。どうすりゃええか分がんね時にスンタローさんが泣いてええって言ってくれたがら、泣いて立ち直れた。もう一歩も歩けねえって時にスンタローさんが待っててくれたがら、帰ることができた。もう死んじまうって時にスンタローさんが守ってくれたがら、生き延びれた。だがら、きっとあいつらも同じだべ」 シンタローの手に携帯を握らせる。 「あいつら、助けてやってくんろ。スンタローにしかできねえことだべ。スンタローのこと、みんな待ってんだべ。守ってやってくんろ。オラとおんなじ子供たち、守ってやってくんろ」 明日へ歩くために。外に行き場所の無い子供たちが生きていけるように。 「……象はどうすんだよ」 「またにしとく」 次に休みが取れるのはいつだろうか。次の休みまで生きていられるのだろうか。 「絶対また来れるべ。そんな気がすんだぁ。オラの勘はよく当たるんだべ。絶対、また、スンタローと象を見にくるべ」 すごく嬉しかった。28時間もシンタローとふたりきりでいれた。28時間、シンタローが自分だけを見てくれていた。すごく、すごく嬉しかった。きっとこれ以上幸せになったら、熱を出して倒れると思う。 「これな、あいつらに食わせてやってくんろ。きっとあいつらもこげな弁当食ったことねえ奴らばっかだがら。きっと喜ぶべ、な」 自分は昨日の残りのカレーを食うから大丈夫だ。味が染みてもっと美味くなっているから大丈夫だ。 宿舎の前で手を振るミヤギの姿が見えなくなってから、車を停めて少し泣いた。何一つ満足に与えてやれない自分が情けなくて、少し泣いた。それでも笑っているミヤギに申し訳なくて、少し泣いた。 どうせ見ているやつは、助手席の弁当入りバッグしかいないのだ。 少しくらい弱み見せたって罰は当たるまい。 |
End.