ゾールシカの殺人

 抱き締めた時、ものすごくその体を小さく感じることがある。
 自分より背が低いと言ってもそう大きく変わる訳ではないのに、あまりにも小さくか細く、頼りなく感じることがある。十代のころはともかく、今、そんなことがあるはずはないのに。
 あの頃のミヤギはともかく小さく見えた。やけに白い肌と少女のような顔立ちがそれに拍車を掛けていた。あの頃はまだ、年齢で勝っている分、グンマの方が背が高く大人びて見えたと思う。
 ふざけて抱き寄せた時、その肩のあまりの細さにびっくりしたものだった。
 卒業アルバムを引っ張り出して、そんなことを思い出した。
「……可愛かったよなあ」
 ため息。それを聞き付けて、布団とシーツの中で何かがドタバタと暴れ、ひょっこりと顔を出す。ミヤギだった。
「あにが?」
「ミヤギちゃんが」
 ページは卒業間近のころの写真だった。ミヤギが髪を伸ばし始めたころだ。写真の中のミヤギの髪はちょうどおかっぱの位置で切り揃えられていて、どこか遠くを眺めている横顔にさらさらと掛かっていた。整った鼻梁の辺りに年相応の男らしさはあるが、髪形と表情のせいでどこか中性的な匂いを感じる。
「今だって可愛いべ」
「……自分で言うな」
 膝の辺りに顔を突き出してきたミヤギを見下ろす。白い顔。腕を組んで、顎を乗せている。裸の肩と腕には、それ相応に鍛えられた筋肉の陰が浮かぶ。頤のラインも、鼻梁も、唇も、一つ一つを取って見れば、それなりにいい年した男の顔である。だが、ミヤギの全体的な印象はこの写真のころと変わっていない。今は梳かれた髪に柔らかく頬を覆われ、ぼけっと写真を眺めている。
 昔と顔のパーツが変わっていないのは、どちらかと言えばトットリの方だ。一度見比べて、本当にあまりの変わってなさに腹を抱えて笑ったことすらある。しかし、トットリの場合は明らかに印象が違う。表情が違う。ミヤギの前ではあの頃と同じ顔をしていることが多いが、普段の顔は年相応の経験と重みを抱えた顔だ。それが明らかに、写真の中のトットリとは違う。
 ミヤギの顔が、写真と変わってないように思えるのは、おそらくその表情のせいだ。あの頃と変わらない、意地っ張りで負けず嫌いで、そのくせどこかぼうっとした表情のせいだ。
「んぁ?」
 シンタローの視線に気づいたミヤギが間抜けな声を出して、ぐりんと首を捻って見上げてくる。
「あんだべ?」
「……別にぃ?」
 そう言って身を捻り、ミヤギの体にのしかかる。首筋に唇を落とすと、小さく声を漏らした。
「綺麗になったな、と思ってさ」
 ミヤギが照れ臭そうに、くすぐったそうに笑う。本当に綺麗になったと思う。何度見てもそう思う。重ねては離れ、絡めては離れるじゃれ合うようなキスをして、くすくすと笑い合った。なぜか楽しくて仕方なかった。


 総帥就任して大分経つが、未だシンタローは自分で現場を見なければ気が済まないことが多々ある。大部隊を率いた経験が少ないので、報告書だけで現状を把握することに慣れないのだ。
 故に、お忍びのような行動が増える。うるさい親戚がいる手前上、単独行動という訳にも行かないので、護衛を一人か二人だけ連れて、自分の足で目的進攻地や交戦予定地を見て回る。デスクワークや戦艦詰めになることが多い総帥業のいい気晴らしにもなっている。
 今回ミヤギを連れてきたのは、一番暇そうにしていたからだ。目的地は欧州の古い町。石造りの閑静な雰囲気とは逆に、実際はテロリズムが横行する危険地域である。次の作戦の途中で、輸送部隊がこの町を通らなければならない。反ガンマ団の風潮が強いこの国では、武装の薄い輸送部隊が襲撃を受ける可能性がある。輸送が断たれるということは、全線に取っては生命線が断たれるということだ。それ故に、綿密な下調べが必要になる。
(……コイツ、連れてきてよかったかもな)
 チャイナタウンもなく、有色人種への差別も残るこの国では、アジアンの姿を見ることがほとんど無い。いればそれだけで目を引く。しかも、現地に着いてから分かったことだが、最近テロ組織にネオナチ系統の勢力が加わったらしい。シンタロー自身の容姿は『アジアンと言えばアジアン、ブルネットと言えばブルネット』程度なので問題はないが、顔付きも体型もアジアン丸出しのトットリやアラシヤマを連れてきたら、テロ組織に警戒対象にされていた可能性もある。白人種の見本のような顔をしたミヤギの容姿はこういう時に便利だ。
 そのミヤギが妙に浮かれている。
「……旅行じゃねえんだぞ」
「分かってるべさー」
 分かってない。そのカメラは調査用のものであり、決してセルフタイマーで二人で写るためのものではない。大体、このフィルムは帰還後調査室保管となり、焼き増し一枚自分たちの手には戻ってこないのだから、記念写真などフィルムの無駄である。つうか、調査室の奴らにこんな写真を見られたくない。このフィルムの2/3には、憮然とした顔のシンタローとにこにこしたミヤギが並んで写っている。
「だって、この方が怪しまれねえべ?」
 言い訳だ、それは。自分のデジカメでも撮ってるじゃないか。それのデータだって、後で没収されるのだと分かっているのか。
「オラ、こういうところ一度来てみたかったべ」
 ヨーロッパの田舎町そのものという風景。ところどころに残るテロの傷痕にさえ目を瞑れば、写真集のような町である。ミヤギがそこに立つと、映画のワンシーンのようだ。しかし、そんな見た目とは裏腹に中身は典型的日本人そのもののミヤギは終始浮かれっぱなしである。公衆トイレを背景に写真に撮るな。必要な資料ではあるが。
 要は、シンタローと二人で旅行に来れて浮かれているのだ。そう思えば可愛くないこともないが、目的は全く違う。
「×××× ××××× ×××××××?」
 突然後ろから声をかけられた。振り返って見ると、いかにもそこらへんの肉屋のおっさんと言った風情の中年がこちらを怪訝な目付きで睨んでいた。肉屋のおっさんらしくないのは、背中に背負ってるサブマシンガンくらいだ。この町では、銃をもって歩いていない奴の方が珍しい。
 ミヤギが一歩前に出て、人懐っこい笑顔全開で何やらペラペラ返答している。何を喋ってるのか全然分からない。学生時代、語学の授業をサボり倒したツケだ。今でもシンタローは、英語と日本語以外は中国語とドイツ語が片言で喋れるくらいだ。この国の公用語はフランス語である。そういえばミヤギはフランス語の成績はよかった。きっと東北弁と発音が似てるせいだ。そうに違いあるまい。
 その東北弁そっくりな発音を聞き流しながら、上を見上げる。空が青いなあ。少し向こうの語調が荒くなってきた。大丈夫だろうか。
「終わったべ」
 まだフランス語喋ってんのかと思った。視線を地上に戻すと、サブマシンガンを背負った肉屋の背中が、向こうへ歩いて行くのが見えた。
「なんだって?」
「隣の男はチャイニーズか、って」
 道すがら、要約した内容を聞く。中国人ではない、自分が知る限り彼は純粋なイギリス人であり、彼はフランス語が分からないが、その身分は自分が保証する。フランス語も分からない者が、こんなところで何をやっているのか。彼はジャーナリズム志望なのだ、この町は自分の出身地から近く、テロ問題に関して色々と話を聞いてもらっているだけで、何か危害を与えるつもりは全くない。事前の打ち合わせ通りの内容だ。全く問題ない。
「そんなとこだべ。あとはどーでもええ話しかしてねI
「なんか、アッチ、怒ってなかったか?」
「ん?」
「なんか声荒かっただろ。アレ、なんだ?」
 少しごにょごにょと言い澱む。ミヤギにしては珍しいこともあるもんだ。
「あんな。お前らゲイなのか、って」
「……あー……」
 あいつらは有色人種も嫌いだが、それ以上にゲイも嫌いだ。すっかり忘れてた。
「お前がベタベタ写真撮ったりするからだ、バカ」
「すまね」
「否定しただろうな?」
「んだ」
 彼と自分が親密に見えるとしたら、学生時代からの付き合いのせいだ。恋人だとかそのようなことは全く無い。とりあえずは納得したようだが、怪しむ視線は消えなかった。
「あんまり浮かれるな。も少し神妙そうな顔してろ」
「わがった」
 横目で表情を伺う。表情が陰っている。少しかわいそうだった。今やミヤギがシンタローを独占できる時間などほとんど無い。だからこそ、この調査で浮かれてしまったのだ。
「……まあ、アレだ。一年ぐらい先になるかもしれねえけどさ」
「ん?」
「休み取れたら、どっか旅行にでもなんでも連れてってやるから。今は我慢しろ」
「……ほんとけ?」
「嘘ついてどうするよ」
「……あんがと」
 照れたように笑う。我ながら甘いと思う。頭でも撫でてやろうかと思って、やめた。
「半歩離れろ」
「ん」
 素直に足音が半歩下がった。


 ホテルで調査結果をまとめる。ノートPCに向かって文章を打ち込むミヤギを抱き上げ、膝に座らせると、驚いた後ケラケラ笑って喜んだ。髪をいじったり、うなじに口付けたりするたびに、くすぐったそうに身を捩る。
 そんな戯れをしながら、昼間の出来事を思い返す。そうか、ゲイカップルと思われたか。自分を同性愛者だと自覚したことは殆ど無い。自宅に帰ればそれなりにアレなビデオも本もあるし、女と付き合ったことがない訳でもない。
 しかし、やっていることはこれなのだ。傍から見れば、そうとしか見えないのだ。
 ミヤギを抱き締めたり、食事に連れていったりするのは、シンタローの中では当然のこと過ぎて、変に自覚したことがなかった。団内でミヤギを総帥の愛人扱いする風潮があるのも知っていたが、アレは半分以上、出世に対するやっかみと嫉妬が混じったものだったから、特に相手にもしていなかった。
 そうとしか見えないのだろうな、と思う。そうだと思ったことはなくても、そう見えてしまうのなら仕方がない。別に嫌ではなかったし。
 嫌ではない。ミヤギは可愛いと思う。可愛がってるつもりだ。ものすごく優秀とは言い切れないが、直属の部下として見て、他の奴らが言うほど無能ではないし、それなりに役に立っている。なによりも側に置いておきたいと思う。別になにをしろと言う訳ではない。なんの為に必要だという訳でもない。それでも、これが自分の下を離れ、どこかに行ってしまうとしたら、きっと自分は怒ると思う。悲しくて寂しくて嫌で嫌で、怒ると思う。
 つまり、別の言い方をすれば、何もしなくていいから、側にいてほしい、ということになりはしないだろうか。
(……なんだかなあ)
 甘ったるい言葉だ。そんなつもりは毛頭ないはずだ。
 しかし、
(別にいっかぁ)
 言ったら喜ぶだろうか。戸惑うだろうか。泣くだろうか。柔らかい髪に顔をうずめる。甘い香りがする。
 これが自分の恋人の匂いだ。

 その瞬間、窓の外で爆音がした。

 衝撃で窓ガラスが蜘蛛の巣状にひび割れる。腹に響く低音。続く銃声。ジープのエンジン音。近い。PCを耐衝撃ケースにつっこみ、荷物をカバンにぶち込むミヤギを尻目に、窓の下に走り寄る。ガラスを割って、外の様子を伺う。思った通りだ。テロ組織と政府軍が小競りあっている。外国人向けのホテルの近くでおっ始めたということは、宿泊客を巻き込む気満々だということだ。
 おとなしく隠れていれば安全なのは、身に後ろ暗いところがない奴らだけである。こちとら、大有りだ。明確な敵対関係には無いが、政府との仲がいいとは言い切れないし、テロリストはかなり明確にガンマ団が嫌いだ。
 振り返ると、ミヤギは既に準備を済ませていた。背中には得物の入ったバッグがしっかりと背負われている。窓の外では銃撃戦が始まった。廊下が慌ただしくなっている。宿泊客と一緒に避難する訳には行かない。
「経路は三番。紛れちまったほうが楽だ。廊下に出たら、お前は左の階段で下まで降りろ。俺は非常階段から降りる。この状況じゃどっちが近いかわからねえから、先についた方がエンジン温めとく。分かったな?」
 車の合鍵を受け取ったミヤギが、こくりと頷く。しっかり護衛の顔付きになっていた。神妙な顔しやがって。悪戯心が芽生えて、一瞬だけ唇を重ねた。ミヤギの目が真ん丸になる。
「気を付けろよ」
 そう言って、シンタローは廊下に飛び出した。


 外は地獄だった。流れ弾に当たった子供が泣き叫ぶ。我が子を見失った母親が泣き叫ぶ。足を持って行かれたらしい男が泣き叫ぶ。くそ、輸送経路は見直しだ。こんな町、一瞬でも通りたくない。裏路地を走って、事前に複数用意していた逃走用車両の三台目に向かう。あそこまで銃撃戦が広がっていなければよいのだが。
 この角を曲がればもう見える。ミヤギは先についていたらしい。小さなビートルの運転席で心配げに周囲を伺っていた。シンタローの姿を認めて、ぱっと顔が輝いた。分かりやすすぎておかし

 銃声。

 衝撃。熱い、痛い、くそショットガンだ厄介なもの持ちやがって畜生チクショウ膝が崩れるあと少しだってのにくそミヤギの奴は大丈夫だろうか駄目だ意識が消え







 次に目覚めた時は車の中だった。助手席のシートを限界までリクライニングさせ、そこに寝かせられていた。一瞬遅れて痛みがくる。痛いというか、熱い。
「シンタロー!? シンタロー!?」
 声が半分涙声になっている。顔の半分を血に染めたミヤギの顔がすぐ側にあった。
「……どうした」
「駄目だべ。この先行けね。状況に興奮して、有色人種狙って狩ってる奴らがいる。ここならまだ隠れられっけど……」
 時間の問題だろう。
「……いってぇ……」
「大丈夫け!? 今、モルヒネ……」
 救急キットに延ばそうとしたミヤギの手を止める。自分の腹を見る。出血は止められていたが、見事に抉られていた。笑えてきた。これでは長くあるまい。
「……どうしよう。早ぐ、早ぐ手当しねえと……早ぐここ出ねえといけねえのに……どうしよう……」
 どうしようもあるまい。ここで隠れていても死ぬ。ここを出て行っても死ぬ。逃れられたとしても、あと一時間もすれば死ぬ。既に救援は呼んであるが、間に合わないだろう。
「……二番の車にすりゃよかったなあ」
 あれなら、後部座席の下に自分一人を隠すくらいは出来たはずだ。
「あ、そっか……そんならすぐに……」
「いいって。やめとけ、動くな」
 ミヤギが泣き出した。ひっくひっくとしゃくり上げている。まだ手が上がる。そっと頬を撫でると、白い肌に赤い血の跡がついた。
「もうちょっと、顔をよく見せてくれねえかな」
 涙の匂いが分かるくらい、近かった。驚くほど長い睫。深い青い瞳。
「……ごめんな、オラが代わりに撃たれなきゃいけねえのに……なのに……オラが……」
「いやぁ、こればっかりはしょうがねえだろ」
 生まれ持った容姿のせいだ。こればかりは自分の責任ではない。本来ならば、自分も金の髪と青い目に、ミヤギと同じ姿に生まれてくるはずだった。そうはならなかった理由を呪うことももうない。
 昔は呪っていた。疎外感と劣等感に自分を呪っていた。そしてミヤギも黒い髪と黒い目に生まれなかった己を呪っていたことを、シンタローは知っていた。それをシンタローやトットリが綺麗だと褒めてくれたのがすごく嬉しかった、と言っていたのも覚えている。
 最初にミヤギを側に置いておきたいと思った理由はそれだ。自分と同じ劣等感。自分の中の弱さ、自分の中の認めたくない自分。側に置いておけば、それが補完されるような気がした。どうあがいても手に入れないものを、手に入れているような気がした。
 今はそんな無い物ねだりをすることはない。だからこそ思う。本当にミヤギは綺麗だ。
「……綺麗だなあ」
「……あに言ってんだべ」
「ミヤギちゃんの綺麗な顔見ながら逝けるんなら、それでいいや」
「なに言ってんだべ、スンタロー!」
 頭を撫でる。本当に、何度見ても驚くほど綺麗な顔をしている。なんでこんな綺麗なものが、ずっと自分の側にいてくれたのだろう。ずっと自分についてきてくれたのだろう。それだけで自分は世界一の幸せ者だった気がする。
「やだ、死んじゃやだべ……すんたろーが死ぬなんてやだぁ……すんたろさんが死ぬんなら、おらも死ぬぅ……」
「そう言うんなら止めねえけどさ。どっちかと言うとミヤギちゃんには生きていてほしいな、俺は。美人が一人減るのは、世界にとって重大な損失だからな」
 わあわあと泣き声が大きくなる。いやだいやだと駄々を捏ねて、頭を振る。変わらない、本当にこんなところは変わらない。
「早く逃げろ。置いてってもいいからさ。まだ車は残ってるし、怪我人抱えてなけりゃお前でも大丈夫だろ? な?」
 腹が痛い。気が狂いそうになるほど熱い。正気を保っていられるのも限界のような気がした。こいつにだけは無様なところを見せたくなかった。
「……しんたろぉ……」
「どうした?」
 流れた涙で血が洗い流され、ミヤギの頬はまだらに染まっていた。ひどく汚れた顔。でも、ミヤギはどんな姿でも綺麗だ。本当に綺麗だ。
「ころして、いい? しんたろのこと、ころしていい?」
 ミヤギの手には救急キットが握られていた。鎮静剤や麻酔薬のアンプルが詰まった、致死量には十分な薬品が詰まったそれが握られていた。
 せめて、苦しまずに。そういうことか。
「……いいよ」
 こんな綺麗なものに殺されるのなら、悪くはない。
「ミヤギに殺されるんだったら、俺はいいよ」
 目を閉じた。傷口の痛みよりも、腕に滑り込む冷たい針の感触がリアルだった。






 銃撃戦に巻き込まれたと総帥から連絡が入ってから五時間後。救援部隊のヘリが見つけたミヤギは、やたら大きなバッグを抱えて、一人でよろよろと街道を歩いていた。真っ青な顔、落ち窪んだ目、憔悴しきってひどく老けたように見える。兵士が総帥の居場所を訪ねてもろくに答えず、ただうわ言のように、総帥はもうあの町にはいない、早く本部へ行け、と繰り返すばかりだった。
 一応、ミヤギは上官に当たる。半ば正気を失っているように見えても、その言葉に従うしかなかった。
 早く本部へ、連絡を、キンタローに、いや高松に、早く、少しでも早く。
 うわ言のように繰り返すミヤギの言葉を、兵士はそのまま伝えた。


 本部のヘリポートに降り立ったミヤギを待ち受けていたのは、その言葉の通りキンタローと高松だった。カバンを抱えたミヤギに、キンタローが食ってかかる。シンタローはどうした、仮にも貴様は護衛だろう、捨てて逃げて戻ってきたのか。怯えた目のミヤギから、高松がキンタローを引き離し、物腰だけは柔らかくシンタローの居場所を問う。まだヘリのモーター音が止まない。長いミヤギの髪は強い風に洗われ、その表情を半分以上隠していた。
 ミヤギの視線がカバンに落ちる。妙に大きい。そして重そうだ。震える指がファスナーを開ける。中に手を突っ込み、ごそごそと何かを探している。目当てのものを見つけたのか、ずるりとそれを引きずり出した。
 ずるり。ずるずる。ずる、ずるり。
 ミヤギがつかみ出した黒いものは、妙に長い。いや、違う。長いのではない。つかみ出したものに、長いものがついているのだ。
 髪だ。長い、長い、『全身だったら』腰まではありそうな長い鮮やかな黒髪だ。

 ミヤギがつかみ出した

 ミヤギがつかみ出したシンタローの

 ミヤギがつかみ出したシンタローの生首は

 ミヤギがつかみ出したシンタローの生首は安らかに目を閉じていた。


 頬にかかれた墨痕鮮やかな『死』の文字が目に刺さった。



 もしも失敗に終わったらどう責任を取るつもりか、銃殺処分でもすまない。そうミヤギにつかみ掛かったアラシヤマを、トットリが殴り飛ばし、そのまま殴り合いになりそうなところを、コージが二人まとめて殴った。全員本気だった。
 われら、少しはミヤギの気持ちも考えてやれ。そう怒鳴るコージの後ろで、ミヤギは哀れなほどに小さく背を丸め、ガタガタと震えていた。
 想像するだけで寒気がする。
 このまま連れて逃げることもできない。隠れて助けを待つこともできない。どうしようもない状況で、必死にミヤギは考えたのだ。シンタローを誰にも見つからずに、そしてこの『瀕死』の状態のまま、運び出す方法。
 想像するだけで寒気がする。
 ミヤギは、シンタローを『死ぬ前に』『殺して』『解体して』、運び出すことに決めた。
 麻酔剤でシンタローを全身麻酔する。身体の各パーツに生き字引の筆で『死』と書き、生命活動を停止させる。そしてナイフでそれぞれをばらす。人間の身体は間接をすべて折り畳んでしまえば、少し大きめのカバンならば十分入る。バラバラになっていれば尚更だ。ミヤギは、バラバラになったシンタローが詰まったカバンを抱えて、銃弾の行き交う町を逃げ出した。現在は、そのバラバラになったシンタローの身体をつなぎ合わせる手術が行われている。現在のシンタローは、筆の効果で『死んだことになっている』だけの状態のはずだから、つなぎ合わせ、適切な処置をし、字を消せばきちんと息を吹き返す。そのはずだ。そうなるはずだ。
 それが成功する保証はどこにもなかった。本当に字を消せば生き返るのか。傷は? 筆で書いた後、本当に死んでしまうのではないか? そうなれば字を消しても生き返りはしない。身体の各部所を切り離して、本当にそれぞれに効果が保てられるのか? 分かるはずもない。モルモット相手ですら、そんなことをやったことはないはずだ。
 ミヤギの筆は魚を鳥に変えることもできる。エラ呼吸しかできぬ生き物を肺呼吸にさせ、翼をもたぬ生き物を空に飛ばすことができる。そして、字を消せば何事もなかったように魚は水に帰って行く。ならば不可能ではない。しかし、可能を保証するものでもない。
 どれほど怖かったのだろう。まだ生きて息をしているシンタローを、自らの手で『死』に至らしめる瞬間。まだ暖かい体にナイフを突き立てる瞬間。手足を切り分け、腹を切り裂き、内臓をより分け脊髄を分断し、そして首を切り落とす瞬間。誰よりも大事な人の、ミヤギが誰よりも愛しているシンタローの、その首を切り落とす瞬間。
 どれほど怖かったか。気が狂いそうだったか。想像するだけで、こっちの気が狂いそうだった。
 それでもミヤギは切り落としたのだ。シンタローを救うために。シンタローを生かすために。わずかな可能性と、自分の力に賭けて。シンタローを殺して解体したのだ。


 手術はすでに十二時間に突入した。神経の一本一本、血管の一本一本に至るまで繋ぎ合わせているのだから当然だろう。世界最高峰を誇るガンマ団の医療チームが総掛かりで行っている。
 ミヤギはその手術室の前のソファにずっと座っている。一歩も動かず、何もしゃべらず、ただ祈るように顔を覆っている。側にはコージがついていた。毛布を持ってきてやったり、水を飲ませようとしているようだが、ミヤギはなにも反応しない。
 トットリは、なんとなく離れた場所からそれを見ている。側に行きづらかった。ミヤギの目の前で殴り合いのケンカをしようとしたことが恥ずかしかったし、一心不乱にシンタローの無事を祈っているミヤギの隣に座る資格が、今の自分には無いように思えた。
 手術室の扉が開いた。高松が『ああ、凝った』とでも言うように、首を回しながら出てきた。モスグリーンの手術着のところどころが血で染まっているのが生々しい。つかつかとミヤギの前まで歩み寄る。
「どうなったんじゃ、ドクター……」
「いやぁ、アンタ、意外と人切るの上手いですねえ」
 容態を訪ねるコージを無視し、顔を覆ったままのミヤギにいつもの調子で語りかける。
「下手に関節で切らずに途中で切ってあるから、神経もつなぎ易かったですし、血管もつぶれないよう気を使ってますし。つなぐよりも、銃創の方が手間取りましたね。内臓の切り分けなんて芸術もんですよ、うちの若いのであそこまでやれる奴いないんじゃないんですか? 今度手伝いにきません? 結構多いんですよ、切り離しの手術」
「どうなったか、聞いちょるんじゃ!」
「相変わらず声でかいですね、アンタは。ヤバかったら、こんな話できますか」
 ああ、肩凝った。目の疲れはダイレクトにきますねえ。そういって、眉間を解きほぐす。
「心臓の鼓動と脳波の発生を確認しました。脳死判定は出ていません。意識は戻ってませんし、自発呼吸もまだですが、ま、大丈夫でしょう」
 ミヤギの喉から『ひぃ』とも『ぐぅ』ともつかない音が鳴る。高松がその肩に手を置いた。
「よくやりました。例え失敗に終わったとしても、あなたの判断はベストだったと思います。しばらくは体を動かす訳に行きませんから、意識が戻っても麻酔をかけて眠らせます。面会が可能になったら呼びますから、もう帰りなさい。薬飲んどきなさい、部屋に届けさせます」
 そういって、自分の首を揉みながら高松は立ち去った。コージがミヤギの肩を抱いて、よかったのミヤギ、とか話しかけている。ミヤギは、ひぃひぃと声を上げながらコージの呼びかけに頷いていた。トットリはそこまで見て、その場を立ち去った。それ以上、そこにいられる自信がなかった。


 白い天井。蛍光灯の光。たれ目。泣きホクロ。
「……なんであんたがここにいるんだよ」
「いますよ、そりゃあ。大丈夫ですか、見えますか? 何本ですか?」
「一本。つうか、中指立てんな、クソドクター」
「思いっきり大丈夫ですね。本当に殺しても死にませんね、アンタ」
「死んだんじゃねえのか、俺」
「なんで死後の世界でまでアンタとつき合わなきゃならないんですか。助かってますよ。ミヤギを褒めてやんなさい」
「……ああ?」
 何なんだ、一体。頭を掻こうとして、腕がろくに動かないのに気付いた。自分の腕を見る。上腕と下腕のそれぞれ真ん中辺りに、ぐるぐると包帯が巻いてあった。
「なんだコレ」
「気にしない方がいいですよ、知ったら生きた心地しないでしょうから。待ってなさい、今呼んできます」
「なあ、おい、ちょっと待てって……」
 呼び止める暇も無く、高松はさっさと病室を出て行ってしまった。本当に何がなんだか分からない。どうやってあの状況を抜け出したのか。そして、どうして自分が助かったのか。
(……まあ、いいか)
 何にせよ、死んだよりマシだ。しかし、一度の人生で三度も死の瞬間を味わうとは思わなかった。つうことは、あと一回は絶対経験するということだ。四回目。超慣れっこになってないだろうか。
 スライド式のドアが開く。ミヤギがいた。何日も寝てないのか、目の下に隈を作って、ぼさぼさの頭をしたミヤギがいた。
「入ってこいよ、そこ開いてると寒いから」
 弾かれたようにミヤギが動き、ドアが閉まる。ドアの前に立ったミヤギは、自分から入ったくせにまるで部屋に取り残されてしまったかのように、おどおどとしている。
「もうちょっとこっち来な。なんか、首動かすと痛えんだよ」
 ぐぅう。ミヤギが変な声を出す。恐る恐るという感じで、ミヤギが近寄ってきた。シンタローの顔をそっと覗き込む。
「……だいじょぶけ?」
「さぁな。詳しいとこ、まだドクターに聞いてねえから。まあ、大丈夫なんじゃねえの? 割りと元気だしな」
 ぐぐぅ。また変な声を出す。
「お前が助けてくれたのか?」
 こくり。
「どうやって?」
 ぐぐぐぐぐぅぅ。
「いいよ、なんか色々あったみてえだし。後で聞く」
 ぐぅ。
「今は、も一度ミヤギちゃんの顔見れたことに感謝しとく」
「……あんな、シンタロー……」
「うん?」
「……なんでもね」
 何か言いたいのだろうが、うまい言葉が見つからないのだろう。そういう時、すぐミヤギは口ごもる。もどかしいが、可愛くもある。
「俺、どんくらい眠ってたんだ?」
「二週間」
「そんなにか?」
 驚いて聞き返すと、ミヤギがこくりと頷く。正確に言えば、二週間眠らされていた。全身に縫合があるため、下手に起こして身動きがあるとまずいというのと、脳障害が起きていないかどうか、脳波を調べる期間を設けていたためである。
 もちろん、そんなことはシンタローは知らない。
「そうか、二週間か……じゃあさ、ミヤギ……」
「あんだべ?」
「チンコしゃぶって」
 一瞬でミヤギの顔が真っ赤に染まり、振り上げた手が『怪我人を叩く訳にいかない』と真上で止まり、ためらって、
 ミヤギが布団の中に頭を突っ込もうとした。
「うわ、ちょ……冗談だって! やめろって、ミヤギ!」
 布団に顔を突っ込んだまま、ミヤギが止まる。ふるふるとその背筋が震えていた。
「……変な冗談言ってごめんな」
 布団がもそもそ動く。恐らく、その下でミヤギが首を振っているのだろう。
「すぐ退院するから。こんな元気なんだから、きっとすぐだって。そしたらいっぱいしてもらうさ」
 ぉぇぉぁぁ。布団の下でミヤギが喋る。何を言っているのか分からない。
「あ、なんだって?」
「……ごめんなさいぃ……」
「なんで謝るんだよ」
 布団の中でミヤギが泣き始めた。手探りでその頭に触れ、髪を撫でる。風呂にもほとんど入ってないのか、油染みていた。
「お前が助けてくれたんだろ? なんで謝るんだよ。こっちこそごめんな。カッコ悪いよなぁ、俺がミヤギちゃんに守られるなんてさあ」
 思い返せば、ミヤギの前では、無意識に『かっこいい先輩』を演じようとしていたかもしれない。ミヤギの憧れの視線を失うのが怖くて、失望されるのが怖くて、自分のコンプレックスに押し潰されそうで、必死になって自分のプライドを守っていた。
「ありがとうな、ミヤギ」
 そんなのはもうどうでもいいのだ。死にかけの自分すら、ミヤギは見捨てなかった。自分を守ろうと必死になってくれた。ミヤギが自分を守ってくれたのは、自分が『かっこいい先輩』や『憧れの人』だからではない。自分が『シンタロー』だからだ。
「次は、俺が守ってやるから」
 だから、自分がミヤギを守るのも、そんな理由ではない。ミヤギがミヤギだからだ。
「ミヤギちゃんは俺の恋人だからな」
 布団から、ミヤギが顔を出す。ぽかんとしていた。今聞いた言葉が信じられない、そんな顔をしていた。
「……はぁ?」
「だから。ミヤギちゃんと俺は恋人同士だから」
「……ドクター、シンタローの脳みそは平気だって言ってたのに……」
「なんだ? 嫁さんの方がよかったか?」
 一瞬でミヤギの顔が真っ赤に染まり、振り上げた手が『怪我人を叩く訳にいかない』と真上で止まり、ためらって、
 シンタローに唇を重ねた。
 深く舌をからめる。息が出来ないほど、深く、必死に、貪り合うように口づける。唇を離した時、吐いた息がやたら熱かった。
「……あー、やべ……」
「え?」
「エロいキスしたから、本当にしゃぶってもらいたくなってきた」
「……あんなぁ!」
 本気で怒っているミヤギの顔がおかしくて、シンタローは笑う。腹で笑うと傷が引きつって痛むから、くっくっくと喉だけで笑う。それでも痛い。それでもおかしい。ミヤギはむくれたまま、シンタローの首に抱きついた。
「……今更、なに言ってんだって感じだけどな」
「……んだな」
「どうせなら、あれだ。療養って事で休み取って、温泉でも行くか? 二人でさ」
「んだ。行くべ」
「そんで、露天風呂でしゃぶってもらう。憧れてたんだ、俺」
 今度こそ本当にシンタローは叩かれた。


「……信じられない」
「まあ、信じたくないですけれどねえ、こんな馬鹿げた話」
 殺すための技術なら研究し尽くしたし、生き伸ばすための技術も知り尽くしたはずだが、『生かすために殺す方法』など聞いたこともない。よく思いついたと思う。
 カルテに魅入っているキンタローの横顔を見ながら、高松はそう思う。
「因果律をひっくりかえしている」
「はい?」
「延命のための作業など何も行っていないんだ。やってることは、事象事態は完全に殺人なんだ。しかし、結果としての現象は、被害者を生きながらえさせている。加害者の意志で持って行った、殺人を殺人でありながら殺人ではないものにしたんだ。これは……」
「ご忠告します。やめときなさい、キンタロー様」
 カルテからキンタローが顔を上げる。高松は妙に真剣な顔をしていた。
「研究者に一番必要なものは好奇心である。確かに高松はそう申し上げました。しかし、好奇心は猫をも殺す。そうも申し上げました。ご存じですね? 『深遠を覗き込むときは、深遠もまた覗き込んでいる』」
「ニーチェだな」
「そうです。重ねてご忠告します。キンタロー様はまだその深遠を覗くには若過ぎます。そのようなものは、もう少し大人になられてからご興味を持たれるべきです」
 思いっきり子供扱いされて、キンタローの眉が曲がる。
 彼はまだ知らない。自らが覗こうとする闇の底に横たわるものが何であるかを、彼はまだ知らず、
 そして、自身の半身がその闇に魅入られたこともまた知らない。

End.

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