さようなら!ありがとう、さようなら!

Act.4
「変な癖をつけられたら困る」
 師匠は、彼の同僚が自分に稽古をつけてやるというたびに、そうやって追い返していた。
「お前には、私の持つものを全て与えてやる。だから、他から学ぼうなどとするんじゃない」
 実際、師匠についていた間、他人と喋ったことはほんのわずかしかない。そのほんのわずかである他人たちの話は酷く興味深かった。
「アイツは、自分を殺せる人間が好きなのさ」
 軽薄そうな顔をした男はそう言う。
「なんで?知るもんか。自分を殺せる人間でもなけりゃ、同じ人間だと思ってないんじゃないかね?」
 その話を聞いた夜、寝ている師匠の枕元に立った。足元にその顔を見下ろすほど近くに立っても、目を覚まさなかった。右手に炎を出してみた。それでも目を覚まさなかった。なんとなく怖くなって、そのまま自分の寝床に戻った。
 翌朝、思いっきり殴られた。
「所詮そこまでか。こい」
 その日以来、修行はいっそう厳しくなった。
 いまでもあの冬の日のことは後悔していない。
「お前は本当にバカヤローだな」
「だって……かわいそうだったべや」
 いつものように一人と一匹で山の中に遊びに入って、一匹のサルがトラバサミに捕まっているのを見つけた。真っ白なサルだった。まだ子供だった。親の姿はどこにも見えなかった。子ザルは、親を呼ぶ声で叫び続けていた。
「あのサルはすぐに死ぬぞ。怪我の手当てもしてやってねえしな」
「……分かってる」
 暴れるサルの爪を避けつつ、何とかその罠をこじ開けた。開いた瞬間、飛び出たサルに押され、今度は自分自身の足が挟みこまれてしまった。地面に打ち込まれている罠はびくともせず、そのまま蹲った。
「オラだって知ってる。白い獣は長生きできねンだ。だから、親も見捨てたんだろな」
「分かってんじゃねえか」
 雪が降り出していた。カエルはずっと傍にいた。人を呼びに行ったってすぐには連れてこれないだろうし、下手すれば行き帰りの間にカエル自身が凍死する。それならば、傍にいて胸に抱いていたほうが不安も薄れて、楽だった。
「でも、アイツ、親についていきたがってたでねか」
「……」
「追いかけたくても追いかけられねで死ぬのと、追いかけてる最中に死ぬのとじゃ、全然違うべや」
「もし追いついたって、親は拾ってくれねえぞ」
「関係ねぇ。そんなの関係ねぇ」
 夢で見た。自分を置いていく手。離れていく温もり。自分はまだ赤ん坊で、這いずることさえ出来ずに泣き喚いていた。
「追っかけさせてやりたかったんだ」
「……手、つめてえぞ」
「おめ、穴掘ってやるから冬眠しろよ」
「その間に、おめえ死ぬだろう」
「……も、死ぬ」
「……仕方ねえなあ」
 その先は、朦朧として記憶が曖昧だ。なにかぬるりとした感触が唇と頬を這った。カエルの姿が溶けて、ふわりと体が浮いた。罠は、あっけないほど簡単に開かれていた。
 里の者の一人が酷い失態をやらかしたらしい。それは雇い主まで巻き込んだものだったらしく、雇い主自らが討伐部隊を里に向けてきた。目が覚めたときには彼女に抱きかかえられ、うらびれた祠へ逃げる途中だった。
「大人はみんな殺される。でも、あいつら恨むんじゃないよ。しくじったあたしらがマヌケなンだ。ま、只で殺されてやるつもりもないけどさ」
 口封じなのだという。子供が殺される可能性は低いが、巻き添えを食らわぬようにと、祠の中に降ろされた。
 僕も行く。明日には秘伝を受ける儀式を受けて、正式に里の一員になるはずだった。だから、僕も行く。
「ダメだよ、あんたはまだ子供だよ」
 子供ではない。あんたに飛んでくる銃弾の盾くらいにはなれる。
「そんなんで手塩にかけた弟子やられちゃたまンないよ。いいかい?奴らに見つかったら、ともかく『知らない』とだけお言い。自分は子供だから知らないって、それだけでいいから」
 彼女は綺麗に笑うと、首に巻いていた赤い布を外した。それで、僕を祠の柱に縛り付けた。いつも履いてた高下駄を脱いで、僕の足に履かせた。まだ少し大きかった。
「これ、あげる。あんた、いっつも羨ましそうに見てたもんねぇ。こんくらいしか残してやれないけどねぇ。ごめんね、でも残せるだけ、あたしゃ嬉しいのよ」
 彼女の唇が額に落ちた。指が、涙を拭ってくれた。
「あたしゃ自分の子供に何も残せなかったばかりか、この手で全部奪っちまったんだから。せめてあんたには生きてもらわないと、なんであたしが生きてきたのかわかりゃしない」
 いつものからころという高下駄の音はもう聞こえなかった。裸足が床を蹴る小さな音一つを残して、彼女は消えた。
 泣き喚いた。ほどけ放せ。頼むから、一緒に死なせてくれ。

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