2008年8月11日
二百二十四訓(WJ37&38)
爆漫
ここまでぶっちゃけでいいのか、ガモウ。
つか、もうガモウじゃん、大場。ガモウ以外の何者でもないじゃん。開き直ってるなー。
かつて『G戦場ヘヴンズドア』で『親世代は大鉄だけど、子世代は鉄町だよね』とか一人で言ってて寂しかった私なので、マンガモノでコンビモノというのはかなりツボなのですが、フツーに面白くて萌えには届かなさそうです。
いや、ほんと鉄人さんのエロさには世界が揺れるで。あんなエロい中年は、鉄人さんとアカギさんくらいなもんやで。
鰤
修兵先生は、ものすごい耽美な技でやられたのだなあ……
トリコ
……姫だっこおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
い、いけない。これはいけない……! 『ココはトリコの嫁』とか普通に言える……! 『お前のためだぞ』とか『大好き』とか、なにこの人らイチャイチャしてんですか。やめてくださいよ、悶えるじゃないですかこんちきしょう。
リボーン
扉、なんで主人公がビキニ着てんだ、あれか女体化の波がここまで来たか、とビビッたら、ヒロインだった。驚かせるない。
中身は相変わらず理解できません。十年後とかなんとかとか、マジ分かんない。誰か、3行とは言わんから8行くらいで説明してくれ。
孫
こんだけ美形乱発されるとですね、多少はイロモノ系もね、欲しくなるんですけれども。
お姉さんは、主食として美形を40%、美形と言うより男前を30%、美少女を20%、性格だけなら超男前を10%くらいの配分でいただくのが、お腹に優しいバランスです。
おいらは、こういう銀さんを見るたびに、『銀さんがヅラ以外とくっついたら嫌だなあ』と思うのです。恋愛に限らず。
色んなものを守ろうとして、ギリギリまで戦って、何も守れなかった何も出来なかったって絶望して、何もかもかなぐり捨てて、お供えの饅頭漁るほど飢えるまで放浪していた銀さんが、お登勢さんに拾われて、少しずつ色んなものを取り戻して、守りたいものが出来て、『誰かにとって大切なもの』ではなく『自分の大切なもの』のために戦おうとして、今、そのために必死に生きているのならば、
かつて失った人を、もう一度失ってしまうなんてことはしてほしくない。同じ敗北を味わってほしくない。
守れない、もう一緒にいれないと放り出した人が今そばにいて、銀さんの大切なものを一緒に守ろうとして、互いの生きる道を認め合って生きていこうとしているなら、何よりも大切にするべきはそいつだろうと。
銀魂が、銀さんが自分の大切なものを取り戻していく物語だとしたら、最初に取り戻したのがヅラなんだと思います。春雨編で、何も守れない片腕を失った銀さんと『邪魔するものは俺が取り除こう』と一緒に戦ってくれたヅラが、銀さんが『全てを失った過去』から取り戻した最初のものなんだと思います。
だったら、最後に取り戻すのもヅラであってほしい。銀さんがヅラの全部を取り戻したときに、銀さんは自分を全部取り戻せるんだと思います。
弱くて情けなくて無力だった自分を全部取り戻して、無力だった自分が捨てたヅラを取り戻して、銀さんは自分の全部を認めることが出来ると思う。自分の過去が無駄じゃなかった、これでよかった、失ったものは戻らないけれど、その果てに今があるならこれでいいと思えるんじゃないかな、と。
そう思うのです。
私がね、銀さんの浮気が駄目なのは偏にこれだと思うんですよ。
ヅラの手を離してしまう銀さんを見たくないんです。その銀さんは、過去を取り戻すことを放棄した銀さんだから。後ろにある色んなものを捨てて、新しい自分として生きていこうとしている銀さんだから。
でも、一度はヅラの手をとって、自分の過去と向き合って、ヅラの生きる道を認めて自分も生きていこうとしている今の銀さんを見ていると、そんな銀さんは見たくねえんですよ。なんとしてでも取り戻してほしいんですよ。
もう、銀さんが何かを失うところなんか見たくないんですよ。
だから、まあ、ぎりぎり坂銀坂はアリです。ぶっちゃけ、攘夷時代に銀さんがヅラと出来てなかったら、もっさんと出来てたと思ってる。銀さんは紆余曲折あっても、最後はホモに行き着く人だと思っているよ。あいつは女で満たされる男じゃねえよ。
銀高はどうかな。俺、高銀派だしな。でもこの二人は、どっちとも『思想とか国とかどーでもいー』派なので、こいつらが出来てたら別に銀さんは攘夷抜けたりしなかったと思う。いつまでもだらだらと二人で殺戮と復讐に明け暮れてた気がする。
- at 19:35
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