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2010年4月26日

世界の果てで君とダンス

 ここんとこだいぶ落ち着いてたカウンタが土日で一気に回ってたわけですが、映画の感想がお目当てだったのでしょうか。
 すんません、まだ書いてなくて……いやあ、書きたいことがいっぱいありすぎて、ちょっとだけってのが書けない。すんません。
 あと、映画の内容に触れると今の原作のあれやこれやに触れずにはいられないっていうね……うん。

 とりあえずラストバトルのためにあと3回は劇場通うつもりです。同じ画面で複数の超作画が展開されんだもん、二回見たくらいじゃわかんねえよ!(もう二回見たんですよ、ええ)
 そのためにも、早く原稿上げないと……!


 新訳紅桜篇のなにが『新訳』だったかといえば、きちんと『銀時と桂と高杉の物語』として『新訳』されていたと思います。
 銀さんは『過去を切り捨てた』と言われがちですが、それは飽くまでポーズであり、実際は『切り捨ててしまった過去をどうやって取り戻すか』という立場にいる人です。
 守れなかった自分を悔やみ、失った自分を罰し、何もいらない全部捨てたと言った口で、もう失いたくない諦めたくないと叫ぶ人です。
 春雨編が銀さんが『ごめん、自分カッコつけてました』と自覚した話なら、紅桜篇は『その上でもう一度、カッコつけたいと思う。昔失ったカッコイイ俺を』と振り返る話です。
 似蔵に『弱かった自分』を否定され、『今の弱い自分』と『過去の弱かった自分』を同時に肯定してくれる桂を奪われ、さらにお妙さんに『弱くてもいいじゃないか。そういう貴方でもいまここにいる価値はある』と言われ、それでも『何も失いたくなかった、カッコよくありたかった、もう二度と諦めたくない!』と戦場に帰っていく決意をし、そして『カッコよかった俺』の断片を掴み直したのが紅桜篇の銀さんです。
 TV版より遥かに長く、遥かに高クオリティで描かれた銀さんと桂のバトルは、その『取り戻した時間』そのものです。失われていくものを守ろうと、自分と隣の誰かとで世界全部を救ってやろうと、ただがむしゃらに走っていた。小さくも完璧だった世界が確かにあの空間に蘇った。
 『バクチ・ダンサー』はこれ以上ないくらい、あの場面にふさわしい曲でした。
 そして、その『取り戻した時間』に高杉が存在しないことこそが、紅桜篇の主題であると。
 取り戻せたのは一瞬の幻であり、現実は残酷なまでに時が進んでおり、大切なものは二度と取り戻せない。それでも、『それは確かにあった』。『それは確かに自分の中に生きていた』。『自分はそれを否定しなくていい』。
 だから、道は分かれても前に進める。
 新訳紅桜篇は、確かに『新訳』でした。TV版では似蔵が焦がれた『キラキラしたもの』が、『銀時がかつて持っていたもの』として描かれていました。物語の主眼を似蔵から銀時に移すことで、しっかりとそれが表現されていたと思います。

 それと比べると、今の原作の四天王編は『旧訳』としか表現出来ないのが歯がゆい。
 新訳紅桜篇で、『守ってくれる親』も『守られている自分』も失ったことを受け入れ、『でも、俺は生きていくよ』と歩き出した銀さんが、四天王編で『俺は居心地のいい揺りかごを失いたくないから、世界全部にケンカ売ってやる』と言っているのは、とても辛い。
 あんたは一度それで失敗したじゃないか。
 いつまでも揺りかごにこだわり続けた高杉がどうなったか、知ってるはずじゃないか。
 銀さんらしいといえば、この上なく銀さんらしいんですけれども。
 私は、出来れば銀さんには『親離れ』をしていただきたいなあ、と思います。『新訳』では出来ていたのに。

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