2007年8月20日
ヒーロー論
攘夷四人は、それぞれヒーロータイプのキャラですが、
ヅラ→『世界』の中で『社会』と『自分』を、主張と信念でつなぐ60?70年代の団塊タイプヒーロー
もっさん→『世界=社会』と『自分』が等価である、ポップ&ライトな80年代のバブルタイプヒーロー
高杉→『世界』と『自分』の境目が曖昧で、合間に『社会』が存在しない90年代のセカイ系ヒーロー
銀さん→広大な『世界』をリアルとせず、手の届く小さな『社会』と『自分』を等価に置き身内主義に終始する00年代の飄々系ヒーロー
と、見事に分類が出来ているんだなあ……時代が進むごとに、『大義』が必要なくなっていく。
最初からそう配置したというより、4人それぞれのキャラ付け過程での自然な流れなんでしょうが。
ヅラがいつまでも古めかしいものに捕らえられてしまっているのもむべなるかな。
銀さんの『剣が届く範囲が俺の国』発言は、カッコイイとともに『視野狭ッ!』と思ったのですが、その視野の狭さゆえに、身近な人にはものすげーヒーローに見えてしまうのだろう。半径3m内では最強ヒーロー。
特に、視野が広がりすぎて手近なものを取り落としがちなヅラともっさんにとっては、最高のヒーロー。
そして、『自分』と『社会』のつながりを見つめすぎてガチガチに膠着しているヅラに、『他者』のエリザベスを送ったもっさんに萌え。坂桂萌え。
高杉と銀さんの視野の狭さは、どっこいどっこい。
- at 00:10
- in 戯言