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2007年9月19日

せんせいとあそぼう

 3Z銀八桂。一応、『チェインギャング』『人にやさしく』と地続き。

 桂くんがえらい中二病でMっ子で微エロですので、ご注意。気持ちR15程度で。


 幼い頃は、すぐに死ぬ儚い生き物として扱われていた。
 外で遊んだ記憶がない。空を見た記憶がない。常に腕に刺さっていた針の痕は、未だ残っている。
 白い四角い部屋の白いベッドの中で高熱に魘され、幻覚に追われ、死ね死ねと耳元で囁く何者から逃げようともがき続け、生きたいとも死にたくないとも思わないまま、ただ、こわい、と言うだけで、まとわりつく死神の指を振りほどくように死に損ねてきた。
 死に損ねて、死に損ねて、いつのまにやら人並み程度には起きて歩き回れるようになって、白いコンクリートの建物から茶色い木の建物に住まいを移した(だって、自分は生まれてからずっと白い建物に住んでいたので、そこが自分の家などという意識はない)。その後、周囲が自分を見る目は『儚い生き物』ではなく『厄介な死に損ない』に変わっていた。


 ヅラくんは、遊ぶ友達とかいないの?
 顔もろくに見ぬうちに死んだ老爺と己の名前も定かでない老婆を両親と思ったことはないが、桂の家は唯一自分を必要としてくれた存在である。広大な土地と古めかしい建物。引き継ぐものがいなければ、役所に取り上げられ無残に踏み荒らされる。そればかりが現在の自分の拠りどころであると言うのに、この教師は無遠慮にそれを踏み荒らす。
 ヅラじゃありません、桂です。いません。別に欲しくもありません。
 怒気を含めて返答してもどこ吹く風といった顔。憎らしい。嫌いだこんな男。もう死んだ姉を古くから知っているというが、何の関係があるものか。古い友人の親類だから気に掛かる、と言うのなら、病院にいた頃に見舞いの一つでもするべきだろう。この学校に入学した時点で、何か一声掛けるべきだろう。担任になってからようやく話しかけられても、話すことなど何もない。
 学校つまんなくない?
 つまらないといえば、なにもかもがつまらない。老婆の世話はヘルパーが全て行っている。自分が彼女と接するのは朝方の『行ってきます』の一言だけでそれ以上の関わりはない。学校に着けば、話す相手は特にいない。教師に指名されない以外、朝から晩まで一言も口を利かないことも珍しくない。ただ最近、三年に上がってからは多少事情が変わっていた。何の因果か学級委員長などに押し上げられ、この教師が変なあだ名をつけるものだからクラスのふざけたヤツどもがやたら構ってくるようになり、多少は口を開く機会が増えた。それだけだ。それ以外に何もない。
 つまらないです。
 嘘をつく必要もない。
 帰宅部だよな。趣味とかないの?
 子供の頃から病の慰みにと習っていたピアノはあるが、時折気が向けば鍵盤に触る程度で人に聴かせたことはない。第一、勉強も家事も終わって他にやることがないから仕方なくやることを、趣味、と言い表していいのかどうか。
 ありません。

 生きててつまんなくない?

 ああ、つまらないさ。つまらないとも。こんな人間、さっさと死ねばよかったのだ。死ぬのが怖いとか、暗闇が怖いとか泣き喚いていた自分が憎たらしい。それから逃れた果ては身動きが取れない泥の中だ。腕一つ自分の意思では動かせぬまま、ずるずると心臓が動きを止めるのを待つだけだ。死ねばよかった。あの憐憫の対象でしかなかった無力な生き物のまま死ねばよかった。
 血、出てるよ?
 教師の指が口元に触れる。その感触にぞっとするものを覚え、振り払うように顔を背け固まった顎から力を抜く。
 あのさ、そんなにつまんないならさ、
 再び、その指が触れてくる。幾ら顔を背けても追いすがるように、絡め取るように指が伸びてくる。
 せんせと、遊ぼうか?
 捕らえられた。顎をつかまれ、頤を挟まれ、教師のねっとりと脂に塗れた舌が唇の傷を舐める。苦い。臭い。温い。気持ち悪い。傷を舐め、唇を覆い、歯列をこじ開けて侵入してくる苦い舌。押しのけようとしてもこの細い腕が役に立つことはなく、下肢の動きはパイプ椅子と教師の脚の間に器用に絡め取られた。太い舌は思うがままに自分の口腔の粘膜を堪能し、縮こまった舌の表面を撫でさすり、歯の一本一本を先端で確かめてから、悠々と抜き取られた。
 彼女とかいる? つーか、いた?
 いるわけがないだろう。
 んじゃ、子供の頃変なオジさんにレイプされたりした?
 馬鹿なことを言っている。
 じゃ、ファーストキスだ。
 ああ、そうだ。だからどうした。
 どうする? 童貞は残してあげられるけど、処女は全部もらっちゃいたいなあ。上も下も、それ以外も。
 足が萎えていることに気付いた。股間を蹴り上げてやろうとして、力が入らないことにようやく気付いた。

 先生と遊ぼうよ。

 苦い唇が降りてくる。ぬるりとした感触にそっと舌を差し出せば抜けるほど強か吸い上げられその感触に喉の奥が震え、まるでAV女優のような甘ったるい呻きが漏れた。


 二十三時。この中途半端な地方都市では深夜と言っていい時間帯だ。こんな時間に煌々と光を放っているのは、コンビニとレンタルビデオ屋しかない。
 今、桂がいるのは後者の前だ。まだ夏と言うには早い季節なのに、夜の空気は肌寒いはずなのに、じっとりと汗をかいた素肌にぺたりぺたりとTシャツがくっつく。気を抜くとすぐ乱れそうになる息を意識的に深くついて落ち着かせる。
 ちらと道路の反対側を振り返る。中古の軽自動車。窓が1000ルクスの蛍光灯を反射して車内は見えない。しかし、桂にはいつものあの笑顔が見えるようだった。普段はとろりと気だるい銀八の目許はほんの少し力を込めるだけでひどく鋭く酷薄な目になる。にやにやとした薄笑いはそのまま、目だけをあの冷たいものに変えてこちらを見ている。それを考えるとぞくぞくと背筋が震えた。
 ごくりと唾を飲み込み、自動ドアのスイッチに触れる。眠たげなバイトの『っさせー』としか表記しようのない声を尻目に、桂はまっすぐ店の一番奥へ進んで行く。
『折角の誕生日なんだから、なんかイベントしよっか?』
 レストランというより洋食屋に毛が生えた程度の店で夕食を済ませ、車に乗り込んだ銀八が言った。保険証持って来いって言ったけど、持ってる? 頷いて財布から出して見せる。
『国道を行ったとこにさ、ちっちゃいレンタルビデオ屋あるでしょ? 俺、よく行くんだけど。いやね、エロってああいうとこのほうが充実してんのよ。品揃えじゃ巨大チェーンに敵わないから、特定層を囲い込もうってことだよね。大変だよね、生き残り競争ってのもさ。おかげで、あそこスッゲーマニアックなやつが充実しちゃってさあ。だれが見るんだよこんなのって感じ? うん、だからね、ヅラくんAV借りてきなさい』
 銀八が楽しそうに笑う。
『せんせの好みは分かるでしょ? うん、コスプレだったらナースで、縛りとか入ってるといいな。あー、あとね、いっつも借りてるスパンキングものの新作出てるはずなの。それも。それからね、一番奥に行くとホモ置いてあるんだわ。昨日確認してきました。ヅラくん似の美少年ものが置いてありました。その場で借りてオナニーしまくろうかと思ったけど、今日のために我慢しました。それ一番上にしてレジの人に見せてね。で……』
 あとは、自分がしてほしいやつ借りてきなさい。誕生日だから、なんでもお願い聞いてあげる。道具とか必要なやつは時間かかっちゃうけどね。
 恥ずかしい、という感覚はもちろんある。というか、恥ずかしすぎて、もう何がなにやら分からない。毒々しい赤いカーテンで仕切られた一角に入ると、中にいた数人の男どもがぎょっとした顔でこちらを振り向く。十八になったばかりの、しかも髪の長い、銀八に言わせれば『黙ってりゃ可愛い女の子に見える』自分。彼らにはどのように見えているのか。青い性欲を抑えきれず、勇気を出して踏み込んできた少女か。意地の悪い彼氏に強制され、恥を忍んでやってきた気の弱い女か。どちらも当たっていると言えば当たっているのだけど。
 冴えない大学生(浪人生かもしれない)。三十絡みのこざっぱりとしたサラリーマン。垢じみたジャージを履いた小太りの中年男。この男どもの脳内で、桂はどのようにされているのだろう。小さなテレビにイヤホンを差し込み、薄暗い部屋の中で下着に手を差し込んでいるのか。AVが流されたままのリビングで、男に後ろから突かれているのか。後頭部がじいんと熱くなる。頬が火照る。はぁ、と吐いた息が、思った以上に熱く甘いことに己で恥じる。
 大学生を押しのけるように、新作の棚に近寄る。銀八の好みはよく知っている。髪の長い、可愛いより美人なタイプ、でもけばけばしいのは嫌い。胸の大きさはあまり気にしない、それよりも脚。だから、ヅラって割りとタイプよ? 彼の机や自宅のベッド下に置かれているものを見るに、その言葉に嘘はないのだろう。一つパッケージを手に取る。線の細い女が薄ピンク色のナース服をまとい、手首に黒革のベルトが巻いてある。もう一本。スパンキングなんて特殊性癖もの、そう数があるものじゃない(銀八は妙に好きだけれど)。棚の下のほう。あった。肉付きのいい尻をこちらに向けた女。白い尻たぶは無残に赤く腫れている。銀八に叩かれている時の桂は彼にこう見えているのだろうか。こくん、と喉が鳴る。パッケージを胸に抱え、コーナーの奥に進む。概ね白い柔らかな肉で彩られていた棚が、そこだけごつごつとしている。男と身体を重ねるようになって、その手のものに興奮するようになったかと言うとそういうわけでもない。だから、桂はゲイビデオ自体に興味はない。無感動に鍛えられた男の身体を目で辿り、新作のシールがついた一本に止まる。自分に似ていると言った。あんまり似ていないと思う。髪の長さも違うし、桂はこんなに日に焼けていない。顎も張っていないし、首も肩もこれより細い。……自分のほうがきれいだ。そう思いつつ、パッケージを掴み取る。
 銀八に言いつけられたのは、もう一本。


 逃げるようにビデオ屋の自動ドアから飛び出す。軽自動車の中の銀八がこちらに気付いたのだろう、運転席のドアが開いたところに飛び込み、銀八の膝に乗り上げた。
「はーい、よく出来ましたー。はじめてのお使いごくろーさーん」
 銀八が桂の顔を隠すように肩を抱き寄せ、柔らかく頭を撫でてくれた。は、は、と荒くなっていた息が少しずつ落ち着いてくる。顔が燃えるように熱い。あの、店員のいぶかしむような目。入会の書類を書く間(住所は、銀八のものを使っていいと言われた。実家に知られたら嫌だろうと)、ずっとじろじろと顔を見られていた。恥ずかしい。でも、銀八が借りてこいと言ったから。誕生日のイベントだと言ったから。みっともなく下着の中で固くなっていく自分自身を感じながら、書類を何度も書き損じ、何泊かと聞かれパニックになりうまく返答できなかった時には、思わず泣いてしまった。
「うんうん、よく頑張ったねえ。いい子いい子。ヅラくんもこれで立派な大人だねえ」
 銀八は車の中から全部見ていたのだろう。桂を労わるように、ついばむようなキスを額に頬に降らせる。
「ほら、重いからこっち移って。見せてごらん」
 銀八の膝を降り、助手席に腰を下ろす。コラムシフトの車はこういう時に便利だ。ビニール袋を差し出せば銀八は実に楽しそうな顔で中を漁り出した。
「お、チバサナじゃん。やっぱヅラくん、俺の好み分かってるねえ。ナイスチョイスだね。うんうん、他も間違えてないねえ」
 間違えてたらお仕置きしてあげたんだけど。その言葉にきゅうと唇を噛む。
「……で、これがヅラくんご希望のプレイ、と」
 最後の一枚が取り出される。思わず、びくりと肩が震えた。
「マジでか。マジでこれでいいの? 間違えてない? ヅラくん?」
 分かっているくせに。本当に意地が悪い男だ。嫌いだ、こんなヤツ。
「聞ーてるのー。ほら、こっち向いて。ヅラくんの誕生日なんだよ? ご希望と違うプレイしちゃったら嫌でしょ? ね、ホラ、合ってるかどうかちゃんと確かめて」
 目の前で、DVDの半透明ケースがひらひらと舞う。タイトルを視界に入れたくなくて、ぷいと顔を反らした。
「……ヅラ……口に出して読んでごらん?」
 銀八の声が低くなる。じわりと耳朶を這い、耳穴をくすぐるような声。銀八は嫌い、でもこの声は好き。
「…………せ……」
「せ? 何?」
 喉がからからに渇いている。唇が痛いほど熱くなっている。脊髄の中で暴れまわるこの感覚はなんだろう。頭がくらくらして、にじんだ涙で目の前がぼんやりして、風邪の時とは違う熱に浮かされる。
「せきがい、せん、とう、さ……つ……」
 自分はおかしい。
 ホモなんかじゃないのに。こんな男に恋愛感情もなにも持っていないのに。
 裸に剥かれて、性器をいじられて、内臓をおもちゃにされて、恥ずかしいことをさせられて。
 今だって、無理矢理いやらしい言葉を言わされて。
 嫌なのに、気持ち悪いのに、そのはずなのに。
「し、んや、の、かー、せ、……くす、れんぞく、さん、じかん」
 桂の潤んだ唇が最後の一音を発すると同時に、銀八の伸びた腕が助手席のシートレバーを引く。コラムシフトの車はこういうときにも便利なのだと、前に銀八が言っていた。あっさり仰向けに倒れた桂の上に、ゆっくりと伸し掛かる。
「ほんとに、このエロ小僧は……淫乱に育ちやがって」
 眼鏡の奥。いつもは気だるく光が死んだ目が、冷たく、惨く、楽しそうに細められて、それに自分の中の、自分でも正体の分からないどろりとした塊が射抜かれて、解かれて、

 ……ああ、
 この男は、

 自分が一番欲しいものを与えてくれる。

 はあ、と桂の吐いた息は、のぼせそうなほど熱かった。