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王子様と秋の空 [将棋]
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2008年3月12日

ようやくアンタと指せる 前編

 棋士モノ、奨励会時代。土方視点。


 まあ、中学のころの土方は、そりゃあもう天狗になっていた。
 小三から通いだした将棋センターにもはや敵はいなかったし、アマ三段とか自称するオヤジもボッコボコにしてやった。
 土方の将棋は独学だ。駒の動かし方以外で活字を読んだのは、新聞の詰め将棋くらいだ。自分は天賦の才があるのだと信じていた。このまま棋界に殴り込めば、将棋自体を変えてやることができると思っていた。
 だから、高校の将棋部だというでっかい男に連れて行かれた道場で、赤ん坊みたいな7歳児にあっさり詰まれた時は、正直将棋をやめようかと思ったのだ。

「あんたのばんですぜい」
「……ありません」
「は? なんですって?」
「……ありませんって言ったんだよ」
「きこえねえなあ? もっとおおきなこえでー」
「ねえっつってんだろ! 詰んでるだろ、これ! 分かって言ってやがるな、このクソガキィ!」
「落ち着け、トシ! 将棋とは礼に始まり礼に終わるものだぞ!」
「……ぅーるせえよ、おめぇらぁ。将棋は黙って指せぃ。追い出すぞ、オラァ」
 けだるい低音とともに、ゲンコツが三人の頭に降ってくる。初対面のオッサンに殴られるのは久々だ。
 オッサンは松平六段(当時)。後に遅咲きの鬼才と呼ばれ、名人を得るベテラン棋士だ。
「こりゃあ、見事に詰んでやがるなあ。近藤、棋譜は取ってあるか? 詰め将棋に使えるぞ、こりゃあ」
 本当に見事な詰みだった。土方が延ばした攻めはことごとく流され、叩き折られ、足は押さえ込まれて身動きがとれず、首元に突きつけられた刃を交わす術は一切なかった。
「おい、三白眼」
「……なんだよ」
「おめー、自分がどこで負けたか分かるか?」
 首を振る。分からない、一切分からない。
「仕方ねえなあ。総悟に説明させっと、チョーさんみてえなことしか言わねえしなぁ……ぅおーい、栗子ぉ。見てたか、これ?」
「はい、見ておりました」
 女流育成会に通っているというおかっぱ頭の娘が、とことこ出てきた。着ているセーラー服は近くの名門女子中のものだ。
「ちょいと説明してやれや」
「はい、父上。ええっと、10手ほど前からでございまする。土方様がこちらで銀取りをなさいました。これは悪手でございまする。これで土方様は馬を引くことが出来なり、足を殺されましてございまする」
 女流なんか大したことない。プロにはなれず、アマ程度の実力で将棋を打って金儲けをしている。女流育成会なんて金さえ払えば入れるんだ。そう侮っていた少女が、土方が見落としていた局面をぱちぱちと再現していく。しかも彼女は、盤に集中していたわけではない。少女小説を読みながら、ちらちらと伺っていただけだ。
「私でしたら、ここで歩を打ちまする。流れは悪くなりますが仕方ありますまい。銀桂交換の後、囲いの建て直しを……」
「でも、おれがここに香をうちますぜぃ」
「あらやだでございまする。総悟ちゃんったら意地悪」
「いや、総悟。それは俺も考えたんだ。だが、そこで香を使うとだな、三手先で頭を抑えられてしまう」
「そしたら、ここでどーっときたのを、ぐしゃってしてやりまさぁ」
 考えてもいなかった形だった。後々思い出せばなんてことはない、ごく普通の戦法なのだが当時の土方にはそれを思いつくこともなかった。
「坊主ぅ。てめえにゃあ勝負のセンスはある。それは認めてやらぁ。だがなあ、センスだけで勝てりゃ棋士の皆さんは苦労しねえんだよぉ。オッサンだって40なのに毎日お勉強してんだぞ。もっとしっかり基礎からやれや。囲いもぐちゃぐちゃじゃねえか」
「……弟子にしてくれるのか?」
「バカ言ってんじゃねえよう。てめえみてえな下手くそ入れたら、俺の可愛い栗子ちゃんや天才そーごくんの足を引っ張るじゃねえか。おい、近藤。面倒見てやれ。道場は好きに使え」
「ええっ!? 俺っスかぁ!? いやいや、俺なんかまだ人に教えられる段階じゃ……!」
「序盤だけでいいんだよ。こいつは囲いの組み方もしらねえ、そっから教えてやれ。オッサンは明日対局で早いので、もう失礼しまぁーす」
 そういうと、松平六段は道場から出て、裏の自宅に帰っていった。
 ぽん、と肩に手が置かれる。
「そういうことだ! よろしくな!」
 だから、俺の一番最初の師匠は、近藤さんと言うことになる。

 そのころの将棋少年の話題と言えば、史上最年少タイで四段昇段、そして史上最年少記録を塗り替えて名人戦七番勝負に挑んだ坂本八段の話がほとんどだった。名人を得たばかりの師匠との直接対決。たったの五手での投了。若干19歳にして、今後は後進育成に専念し、条件を満たし次第フリークラス宣言するとの発言。あれはどういうことだったのかと、ひたすらその話題で持ちきりだった。
「それ以上、いい手が見つからなかったのじゃないかしら?」
 総悟の姉も棋士だったが、将棋ではなく囲碁だ。棋士採用試験にも受かり将来を嘱望されていたが、体力的な問題とかで辞退した。それ以来、教室や個別の指導碁をやっている。
「五手目でか?」
「だって、お師匠さんとの対決なんでしょう? お師匠さんがどういう戦法で来て、どういう形で負けるのか分かっちゃったとかないかしら?」
「無茶だな」
「もしくは、自分が勝つところまで読んじゃったのかもね」
 ぱきんと真っ赤な唐辛子せんべいを割って、口に運ぶ。
「勝つならいいじゃねえか」
「そう? 私はだめだな。自分がどうなってしまうのか判ってしまったら、もう石を持てなくなると思うわ。だって、その石がどうなるのか全部分かってしまっているのなら、打つ意味がないもの」
 自分が行き着く先が見えた。それが輝かしいものであっても、絶望であっても、そこから先へは進めなくなる。
 彼女は、確かにその通りに生きた。二十代前半の若さで指導碁で知り合った青年実業家と結婚。三十歳を向かえる前に持病の悪化でこの世を去った。
 彼女は自分の行き着く先を知っていたのだろう。

 土方が奨励会に入ったのは四年後。みっちりと松平に将棋をたたき込まれ、なんとか高校を出る前に入ることができた。
 奨励会員は無給だ。ただひたすら将棋を打つしかない。その間、学生であればいいが、無職となると困る。特に土方の両親はさほど将棋に興味がなく、いくら説明しても奨励会を『将棋の専門学校みたいなもの』としか認識していなかった。十分な援助は期待できなかった。
 そこに救いの手を差し伸べたのはやはり松平であり、自身が主催する将棋教室のバイトとして雇ってくれただけでなく、下宿まで用意してくれた。近藤も昨年から同じ境遇であり、『とっつあんには足を向けて寝られない』などと古風なことを言っていた。
 奨励会の例会は月二回。同じ級位、段位の会員と対局し、一定の勝数を上げれば昇級、昇段となる。だからといって、例会の日以外に会館に行ってはいけない訳ではない。バイトのシフトが入っていない日は、よく近藤に誘われた。
 『桂さん』のところに行かないか?
 それが当時の奨励会員や若手の合言葉のようなものだった。
 会館の棋士控え室、桂の間。そこには対局が行われない日も常に誰かしらがやってきて、盤を挟んでうなっている。そして、ここ数年、その部屋には必ずと言っていいほど、ある棋士がいた。
 桂五段。
 彼は自分と同じ名前を持つその部屋で、毎日のように一番隅っこの盤の前に座っており、その周囲には人が絶えなかった。
 あの吉田名人の愛弟子。五段昇段したばかりの若手棋士のホープ。それだけでも同世代の憧れの存在足り得るというのに、プラスして『棋士じゃなくてアイドルにでもなれ』と言いたくなるほどの美貌があった。
 未だ持って、関西から来たベテラン棋士が『あそこにいる女流の子は誰だ』などと言う柔らかく整った面差し。土方よりひとつ年上のはずだが、線が細いせいか中学生くらいに見える。
 会館は基本的に女っ気が少ない。奨励会に女がいない訳ではないが、二人か三人がいいところだ。たまに女流育成会の子が来たりもするが、毎日会える訳ではない。
 桂の間に来れば、女流棋士より美しい桂五段と対面で長時間話せる。
 それは初心な若手たちにとって、たまらない特典だ。しかも、同時に勉強になると来ている。
 そして、いつしか『桂の間に行く』ことは『桂さんのところに行く』となり、一番隅っこの盤は将棋だけでなく将来への悩み、恋愛相談まで受け付ける場となり、二十歳過ぎの奨励会古株や若手棋士までが、桂五段のことを『桂くん』ではなく『桂さん』と呼ぶようになった。なんとなくそう呼ぶのがふさわしい、そんな雰囲気を持っていた。
 土方の知る限り、奨励会員で『桂さん』と呼ばないのは、三人だけだ。

 一人目は伊東。
「桂くんに奨励会のしきたりを教えてやったのは僕なんだ」
 道場で会ったことはないが松平門下の弟子で、一応は兄弟子に当たる。初対面で『やあ、君が出来が悪いと評判の弟弟子か』と鼻で笑われたときは、この茶髪、殴って蹴ってメガネ分捕ってカチ割って投げ捨ててやろうかと思った。土方より一年早く奨励会入りしていた近藤と総悟はもう慣れたもので、近藤は自分より実力に優れる兄弟子を『先生』と呼んでいたし、総悟も『あんたよりは強いですぜぃ』と言っていた。
 事実、強い。10歳で奨励会入りし、連勝を重ねて昇級し続けていた頃は『神童』などと呼ばれていた。しかし、初段に上がったあたりで足が鈍り、以来、上がったり下ったりを繰り替えし、未だ初段で足踏みをしている。
「桂くんは僕より奨励会入りも遅かったし、大会の経験も浅かった。だから僕がいろいろ指導してやったのに、恩を知らないヤツだ」
 特に桂にはまったく勝てなかったらしい。伊東は几帳面にも自分の棋譜を全部残しているのだが、どれも序盤から自分の筋を見失ってぼろぼろに負けている。
「卑怯な盤外作戦を使う。さすがはあの吉田の弟子だ、なりふり構わないところまでそっくりだ」
 近藤に言わせるとこうだ。確かに桂はおとなしくじっと将棋を指すというタイプではない。しかし、それは盤外作戦というよりも並外れた集中力や一意専心の挙句、周囲が見えなくなっているだけであって、故意に相手の精神をかき乱そうとしているわけではない。……多分。
「先生はナイーブなんだ。集中すると神経が鋭くなって、エアコンの音すら気になってしまう。逆に桂さんは、将棋以外のことはまったく目に入らなくなる人だ。相性が悪いんだろうなあ」
 じゃあ、あんたとも相性悪いだろうなあ。下宿での風呂上り、腰にタオルを巻いただけの格好で盤の前に胡坐をかく近藤を見て、土方は心中嘆息した。

 二人目は河上。
 近藤と総悟の同期で、総悟の二つ年上。が、はっきり言って周囲から浮いている。対局しているとき以外は、必ずと言っていいほどヘッドフォンをつけっぱなしで周囲の音を聞いていない。下手すれば、対局中もヘッドフォンを付け出す(さすがに例会の対局中はつけないが)。
 師匠も名前貸しだけだというし、誰かと一緒の研究会に参加した、遊びに行ったという話も聞かない。ひたすら浮いていて、誰とも親しくしない。
 だが、桂五段のところには足しげく通う。何かを質問したりするわけではなく、ぺこりと頭を下げいきなり飛車を抜く。桂五段は何も言わずにその対局を受け入れ、容赦なく叩きのめし、簡単に河上の見逃したポイントを説明する。
「ふむ。桂殿は強い」
 一度、ぼそりとつぶやく声を聞いた。殿はないだろう、殿は。
「あいつ、語尾にゴザルをつけるんですぜぃ」
 どこの武士だ。

 三人目は、また事情が違う。
 いつも桂の間にいる。しかし、誰かと盤を挟んでいることは少ない。定位置は桂五段の斜め後ろ、壁にもたれて座り込み、通信制高校の宿題をやっていることが大半だ。そして、分からない問題にぶつかると、桂五段のシャツをひっぱり、こう言う。
「ヅラぁ、ここ分かんねえんだけど」
「ヅラじゃない、桂だ」
 坂田初段。近藤や総悟より一年先輩、桂五段と同じ吉田名人門下、しかも内弟子同士の幼馴染。
 伊東曰く、「とてもじゃないが、まともな棋士とは思えない」。
 奨励会に入るやつは、大抵その前にアマの大会で優勝したり好成績を残したりで、それなりに名前が知れ渡っているものだが、坂田はそんな経験が一切ない。何の大会にも出ず吉田名人の下だけで修行し、そして奨励会に入ってきた。
 異例といえばあまりにも異例の入会に、一事はコネ疑惑なども挙がったが、よくよく考えればコネなんぞは一切通用しないのが将棋というものだ。3年足らずで初段という成績が彼の実力を現しており、もはや彼に文句をつけるものは誰もいない(伊東以外)。
 入会当時は桂五段を『小太郎』と呼んでいたらしい。当時の桂五段は三段リーグ挑戦中で、すでに奨励会の憧れ、というかアイドル的存在だった。当然、みんな真似しだす。桂五段は『小太郎さん』『小太郎くん』と呼ばれるようになり、だんだん坂田は不機嫌になり……
 ある日突然、『ヅラ』と呼び出した。
 失礼極まりないあだ名だ。もちろん、呼ばれた当人は拒否する。『ヅラじゃない、桂だ』。それでも呼ぶ。否定する。呼ぶ。怒る。
 そのようなやり取りは、幼馴染である坂田のみにしか許されない。自然、周囲は『桂さん』という呼び方に戻っていった。
「やきもちじゃねえか」
「ですねぃ」
 実にくだらない。幼馴染が別の人間にちやほやされているのが気に食わないのだ。小学生のような独占欲だ。もう二十歳前だというのに。
 坂田のことを奨励会員たちは『万事屋』と呼んでいた。驚異的なオールラウンダーであるのが由来である。単に居飛車振り飛車指し分けるというだけではない。相手の戦法に合わせて、あっという間に局面を組み替える。手損が多くなりそうなものだが、まるで駒の間を縫うように流れを見極め、はっと気付けば自分の戦法がつぶされている。
 棋士たるもの、自分の指し手をなんらかの形に残したいものだ。特に己の名前が戦法に採用され、それが後に定跡となるとしたらこれ以上の栄誉はない。自分の名が、将棋の歴史を変えたという証になるのだ。だから、あるものは囲いの改良にこだわったり、居飛車を貫いたり、手損を研究したりする。
 坂田にはそういうこだわりが一切ないらしい。
「得意戦法とかは特にありませーん。敢えて言えば全部得意でーす。万事屋銀ちゃんって呼んで下さーい」
 雑誌の取材にそんな風に答えて、桂五段のアッパーカットを食らっていた。

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