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王子様と秋の空 [将棋]
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2012年3月21日

四番勝負 ギャル将棋

 棋士モノ第二部第四話。女流回。


 二丁目への殴りこみは、桂不参加で行われることとなった。
「順位戦があるのでな」
 順位戦は、棋戦の中でも持ち時間六時間という最長を誇る。日付を跨ぐことも珍しくなく、二十時からのイベントには到底間に合わない。
「なんとか早く決着をつけて、駆けつけようとは思うのだが……」
「いい! 晋助は俺に任せて、お前はお前の戦いを頑張れ! な?」
 桂を二丁目に連れて行きたくないだけだろ、という、神楽と新八の白い視線を感じつつ、銀時は桂の肩を掴んで励ました。
 それでは頼む、と頭を下げて帰っていく桂を三人で駅まで見送る。
「……ああ、そうかぁ。順位戦かぁ」
 新八がカバンの中から手帳を取り出す。雑誌やネットで調べた主な大型棋戦のスケジュールがみっちり書き込まれた一冊で、さらに勝敗を書き込まれリアルに今強い棋士が分かるという将棋観戦ファン垂涎の品だ。
「桂さん、今年調子いいですよね。テレビの棋戦も勝ち進んでますし、タイトル戦もまだほとんど落としてませんし……竜王戦も挑決まで進んでますよね?」
「あー、そうだっけ……」
「おおっ! ヅラ、パピーとやるアルか。リーダーとしてはどっちを応援するかどうか、迷うところネ」
「いや、それは……どうだろうな」
 下馬評通りなら、桂は竜王戦挑戦者の座を手に入れるだろう。巡り合わせの運か、相手は同じA級棋士だが桂を特に苦手としている棋士だ。今までの勝率は七割を超えている。
 しかし、今年の竜王戦は第一局を海外でやる年だ。しかも、アジアならまだしも、ヨーロッパと来ている。地方対局の新幹線移動さえ体力的に不安のある桂には辛い勝負だろう。
 ただ海外に行くというだけではない。竜王という将棋界最高のタイトル戦。全世界から駆けつける取材陣。畳の部屋すらないホテルでの対局。なにもかもが、棋士へのストレスとして圧し掛かる。遠征対局で体重が数キログラム減ると言う棋士は少なくない。
 かつて先生が海外対局に赴いた際は、医師だけでなく桂自身も都合をつけて付き添っていったはずだ。すでに病に犯されていた先生にとって、家族が一緒にいてくれるというのは大きな支えになっただろう。
 もしも桂が三番勝負を勝ち進み、竜王戦挑戦者となるなら、出来ればついていってやりたい。奨励会を逃げ出した人間が何を今更と思われるだろうが、今の桂を支えてやれる人間は自分くらいしかいないはずだ。
 それが叶わないなら、せめて、心労をひとつでも減らしてやりたい。
 桂が竜王戦挑戦者の資格を手に入れるまでに、何が何でも晋助を連れ戻す。
 銀時は一つ息をつき、拳を握りなおした。もう二度と負けない。


 銀時のアパートに戻ると、居間のソファにはフライヤーを持ってきた妙が姿勢正しく座っていた。
「最初は面白そうだなって思ったんだけどね、お話聞いてるうちになんか変だってなって……面倒くさいから断っちゃった」
 桂を見送った帰りに銀時たちが買ってきたハーゲンダッツを頬張りながら愚痴を零す。
「私が棋戦に出ないのを、締め出されてるとか圧力が掛かってるとか……男の人と指すのが好きじゃないだけよ、バッカじゃねーの」
 女流王将のタイトルホルダーである妙はいくつかのプロ棋戦への参加が認められているが全て棄権している。雑誌の企画やイベントなどの非公式戦でなければ、男性棋士とは指さない。実力はプロ棋士に引けを取らないと言われている彼女のその態度に賛否両論なのは棋界の常識である。
 トークイベントのタイトルは『男性社会で活躍する女性戦士たち』。なんかもう、タイトルだけでちょっとげっそりする感じだ。
「……俺、こういう女のヒステリーっぽいの苦手なんだよね」
「でしょうね」
 ホモだもんな、アンタ。新八が小さく口の中で呟くのを銀時は聞き逃さなかった。だからと言って、反論もしないが。
「で、出演断ったらどうしたんだよ。嫌がらせでもされたか?」
「それがね、日輪さんも出るから是非っていうのよ」
「……は?」
「ほら、私も日輪さんの新団体に誘われたけど、結局連盟に残ったでしょ? それについて話して欲しいとか……別に、私は新しい棋戦とか興味なかったから残っただけなんだけど」
「ちょっと待てよ、日輪がこんなのに出るって……」
 日輪女流名人は、数年前、現連盟会長との不倫疑惑が取り立たされたことがある。
 二十歳そこそこの美少女棋士ととっくに五十は越えていたA級棋士とのスキャンダルだ。普段は将棋なぞ知らん顔しているマスコミは色めき立ち、二人を追い立てた。
 通常、棋士が接するマスコミといえば、棋界に精通した観戦記者くらいなものだ。慣れないカメラ、プライバシーなど知ったことではないレポーター、無神経なインタビュー攻勢に日輪は疲弊した。
 ある日彼女は、駅のホームでマスコミに見つかった。逃れようと駆け出したが、眩暈を起こして倒れてしまった。運悪く彼女の小さな体はホームを転げ落ち、さらに運悪くそこに急行電車が……
 それ以降、さすがにマスコミも報道を自粛し、スキャンダルの記憶は世間から薄れていったが、未だに棋界では触れられない黒歴史の一つである。
「まずくないですか、銀さん」
 非常にまずい。イベントでは、この話に余計な枝葉をつけてスキャンダラスに暴き立てるに違いない。
「……手段選ばねえな、あのガキ」
 事件を隠匿するのは褒められたことではないが、必要以上に掘り返すのだって賞賛される行為ではないだろう。特に日輪と会長の一件は棋界を崩壊させる可能性も秘めている。事件自体はともかく、その真実を知っている棋士すら数えるほどしかいないのだ。
「……日輪さん、あの事件について何か話したことなんかなかったでしょう? だから、コレはおかしいって思って……新宿でのことだから、銀さんなら何か知ってるかなって思って持ってきたんだけど」
「うん、超知ってる。いやってほど知ってる」
 フライヤーを折りたたみ、尻ポケットに突っ込む。
「俺に任せてくれねえかな、これ」
「お願いするわ。本当は変装して覗きに行こうかと思ったんだけど、九ちゃんに止められて……」
「は? 九兵衛?」
「ええ、なんかこんな汚らわしいところ、お妙ちゃんには相応しくないとか、絶対行っちゃ駄目だとか……」
 ……すっごい気持ち分かる。
 幼なじみに異常な愛情を寄せる女性奨励会員の顔を脳裏に思い浮かべた。そして、同時に一件にぴったりお似合いの女流棋士の顔も浮かんできた。


 歌舞伎町。銀時の住むありふれた雑居ビルから通りを三本向こう、これまたありふれた雑居ビルの一室にさらにありふれたDVDショップがある。見慣れたそこのピンク色のカーテンを銀時はくぐった。
「いらっしゃいまっせー……って、ぬしか」
「よ、元気?」
 レジには咥えタバコで詰め将棋本を睨むバイトの女店員が一人。一応、女流棋士の月詠女流二段である。
 女流棋士は一部のトップを除いては、対局料だけでは到底生活できない。バイトや家業手伝いをしながらというのが定番ではあるが、こういった水商売スレスレの仕事をしているのはさすがに月詠くらいなものだ。彼女なりの事情があるとはいえ、珍しいケースである。
「新作はまだ入っとらんぞ」
「ちげえよ、今日は別の用」
「代わりにショタDVDの新作リストがな……」
「だからちげーつってんだろうが! あと何度も言うけど、俺そっち方面じゃないから! もっと微妙なラインの人だから!」
 なんじゃつまらんと呟き、ペラペラのカタログをレジの下に戻す。
「なら何の用じゃ。金は貸さんぞ」
「お前のお師匠さんのこと」
「……どっちの」
「女の」
 ふぅと煙を吐き、短くなったメンソールを灰皿で押しつぶす。何の話か、察しはついたらしい。
「二丁目のイベントのことか」
「珍しいじゃねえか、日輪があんなのに出るなんざ」
「日輪なりの広報活動じゃ。新団体の認知度はまだ低い。看板が表に出なきゃあ、広がるものも広がらん」
 先日、日輪女流名人以下十数名の女流棋士は、将棋連盟を離れ女流棋士だけの新団体を発足した。連盟とは一応の協力関係にあるが今後は独自の棋戦も設立し、さらなる将棋の発展と普及に努めると女流名人の声明が出されたばかりである。
「広がったら広がったで、嫌な噂も広がるだろ」
 じろりと月詠がねめつけてくるが、銀時はそのままやり過ごした。
「……汚名も名前じゃ。使えるもんはなんでも使うと日輪は言うておる。わっちが口出すことじゃぁありんせん」
「そりゃ、本気で日輪のアイデアなのか?」
「何?」
「日輪が誰かに乗せられてる、ってことはねえか」
「ない」
 柳眉を顰めつつもはっきり断言した。
「日輪は他人の口車に乗るような人ではありんせん。それは、ぬしもよく知ってるはずじゃ」
「日輪だって女だろ、追い詰められりゃなにかに縋りたくも……」
 ガン! 激しい金属音に銀時の言葉が遮られる。
 レジ台に手を突いていた銀時の指の股ギリギリに、月詠の持つボールペンが突き立てられていた。先端はひしゃげて潰れている。筆記具としては二度と役に立つまい。
「うちの師匠をバカにするな。ぬしとて手加減はせんぞ」
「……悪かったよ」
「あと女を馬鹿にするのも大概にするがいい、このホモめ」
「お前、見た目と違って超しつこいよね」
 まだ根に持ってんの。銀時の言葉を聞こえぬ振りで、月詠はレジ台の引き出しから新しいボールペンを取り出す。
「何をそんなに気になることがある。ただのトークイベントでありんす」
「キヘイタイって名前、知ってるか?」
「……名前はな」
 そうだろう。歌舞伎町を拠点にしている将棋指しなどそれほど多いわけではない。ここらでいくつもバイトを掛け持ちしている月詠の耳に入らないわけはない。
「そいつらがこのイベントに関わってる」
「中村のからの依頼か」
「あと俺の身内がちょっとな」
 月詠は口を閉じ頬に手を当てて考え込む。細い指で顔の傷を撫でるのは逡巡するときの癖だ。
「お前に何かしろとは言わねえよ。真剣師のいざこざなんかしばらく見たくもねえだろ」
「ぬしもしつこい男じゃ。そのことでわっちに気を使うなと何度言えば分かる」
 最後にとんとんと指で頬骨を叩くと、改めて月詠の目が銀時を見た。
「わっちもそのイベントには行く。といっても、日輪の補助でじゃが……ぬしを潜り込ませることは出来る」
「潜り込ませる?」
「その日は男子禁制じゃ。ちゃんと見たのか」
 銀時はポケットからフライヤーを取り出す。……確かに、イベント詳細の下側に小さく『当日はレディースデーです。男性の入店はお断りします。』との但し書きがあった。
「……閉鎖的ぃ」
「車椅子の上げ下げに男手が必要だとかいくらでも理由はつく。来るか?」
「お言葉に甘えさせてもらうぜ。借り一つな、今度返す」
「別によい。大したことではありんせん」
「嫌なんだよ、女に負い目作るの。あとでしつこいから」
「わっちを女扱いするなと何度言えば分かる。そんなものはとっくに捨てた」
 そういって、右目を通って縦に走る傷跡を指でなぞる。
「水商売どころか客商売も出来ん顔じゃ、そんな気を使われるほうが気が滅入る」
「……カッコつけて言ってるけど、お前のそれ、お師匠さんに尻叩かれるのが嫌で逃げ回ってたら、コケて将棋盤の角で切っただけだよね」
「そうじゃ、女を捨て将棋に身を捧げた証じゃ」
「ちげーよ、単なるドジっ娘の証だよ」
「じゃから、わっちを萌えっ娘扱いするな!」
「おーい! めんどくせーよ、こいつー!」

 そのガールズバーは思っていたよりも大きな店だった。きちんとステージスペースが設けられ、出演者の控え室も小さいながら用意してあり、キャットウォークまであった。
 介護ヘルパーの坂田さんだという月詠の紹介で渋る店員を強引に説得して入店した銀時は、そのキャットウォークからトークイベントを眺めている。さすがに客席にいると目立ってしょうがないし、控え室にいては店の中を見ることが出来ない。キャットウォークには、隣の月詠以外にもイベントの仕掛け人らしきキャリアウーマン風体の女や幾人かの店員が入れ替わり立ち替わりやってきていた。若い店員が『サービスッス』と持ってきたカシスウーロンを受け取り、ステージに目を戻した。
「……くっだらねぇ話してんなあ」
「全くじゃ」
 喫煙OKの薄暗い店内に、月詠の吐くメンソールの煙がぷかりと浮かぶ。
 ステージ上の車椅子に座った日輪はニコニコと受け答えしているが、質問者は逆に眉間の皺を深めつつある。
『男社会である将棋プロの世界に生きる女性として……』
『男社会に見えますか? 将棋番組には必ず女流棋士が出てるじゃないですか。イベントのお仕事も多いんですよ』
『今まで正式なプロの女性棋士が誕生していないのは、構造的な問題が……』
『奨励会を勝ち抜けば、誰でもプロになれます。勝ち抜けた女性がいない、それだけです』
『囲碁棋士は女流棋士が活躍して……』
『あちらは女流枠というのがありますから。必ず年に一人は女流棋士が誕生する制度なんですね。あちらとうちは違いますから』
『車椅子というハンディキャップを持った女性として……』
『将棋は座って指すものです。足が動かないのをハンディキャップと思ったことはありません』
 圧倒的な質問者の勉強不足である。そういう視点から将棋界を突っ込みたいなら、いくらでも問題はある。しかし、そこまで考えも取材も至っていないのだろう。
 日輪を『旧態依然とした男ばかりの将棋界に反旗を翻した女棋士』としか見ていないのだ。さらには、車椅子と言うハンディキャップもある。マイノリティが食いつく話がたくさん聞けると思ったのだろう。
 妙は断って正解だ。彼女であれば、ステージ上でブチ切れて椅子を振り回しかねない。
「会館がバリアフリーになりゃ、わっちは楽出来るでありんす」
「無理だと思うぜ」
 大体、和式建築とバリアフリーが水と油だろう。エレベーターがあるだけマシである。
「で、目当ての娘とやらは?」
「いや、まだそれっぽいのは……」
 銀時はキャットウォークから店内を隈なく監視している。晋助と連絡が取れる女というなら、日輪の話になんらかの反応を示すはずだ。そんな女を見つけたら、月詠から鎌をかけてもらう。そういう手はずになっていた。
 チリリンと入店口に取り付けられたドアベルが鳴る。
「新しい客じゃな」
「すげえな、大入りじゃねえか今日」
 すでに店内は満席に近いが、それでもひっきりなしに客が来る。
今入店料を払っているのは若くて背の高い女だった。モデルか何かなのか、周囲から頭一つは飛び抜けている。
この角度からでは足元は見えないが、ピンヒールでも履いているのだろう。
ほっそりとスタイルもよく、長い髪と帽子で隠されてはいるが美女であろうと推測された。
「あれかねえ、いい女ほど男に飽きちゃって女に走るとか、そういうのなのかね」
「……それは、自分がいい男だとでも言いたいのか?」
「だからしつこいっつーの! 第一、俺が目覚めたの小六の時だから! 飽きるほど楽しんでないから!」
「あー、そーですかそーですか。よかったのー」
 ほんとやだ、女ってめんどくさくって。本気で男オンリーに切り替えようかな。いや、正確にはヅラオンリーなんだけど。
 再びドアベルが鳴る。また新しい客だ、店は大喜びだろう。と思ったら、そうでもなかった。
「申し訳ありません、当店は十八歳未満のお客様はお断りを……」
「なんだとぉ! アタイのどこがガキに見えるネ! 歌舞伎町の女王神楽様を知らないとは、お前、モグリアルナ!」
「……げ」
「おう、嬢ちゃんじゃ」
 間違いなく、うちの女王様こと神楽ちゃんだった。場所が場所だから、絶対来るなと言っておいたのに……
 店員の前でまったいらな胸を張ってふんぞり返っている。中学生どころか小学生に間違えられるのもしょっちゅうだと言うのに、何を持って十八歳以上だと言い張っているのか。
「あの、それでは、なにか年齢を確認できるもの、身分証か何かを……」
「それはアレアルカ、私が外国人だから追い出すつもりアルカ! ひどいアル、北京のスラム街からジャパニーズドリームを夢見て渡日して早五年、こんな差別受けたのは初めてアルゥ!」
 嘘付け、お前子供のころ香港に住んでたことがあるだけの生粋の日本人じゃねえか。
「ひどいアルこんな店最低アル、責任者出しやがれコンチクショー!」
 余りにも騒ぎ立てるものだから、ステージのトークは一時中断され、客席がざわつき始めた。日輪に悪いことをした、あとで謝らないと。控え室からも何の騒ぎだと顔を出し始めるものが……
「……晋助ェ! そこかぁ!」
 カーテンの隙間に現れた眼帯をつけた小さな頭。見間違うはずもない、あの爬虫類の如き剣呑な目つきは紛れもなく親愛なる弟弟子、高杉晋助その人だ。
 晋助もこちらに気付いた。三白眼が一層白目の面積を増やし、裏口から逃げようというのか、カーテンの奥に引っ込んだ。
 逃がすものか。追いかけようと鉄階段に向かったところで、突然横合いからタックルされた。
 わき腹を手すりで打ち、胃液が咽喉までせり上がる。
「ぐえっ……!」
「晋助様、逃げてッスー!」
 先ほどカシスウーロンを持ってきた店員だ。ぱっさぱさの金髪頭を銀時の腰に押し付けて、必死に抑え込んでいる。
「銀時、任せろ」
 その横合いを月詠が駆け抜けていく。網タイツにピンヒールのしなやかな足が鉄階段を三段飛ばしで駆け下り、新聞配達のバイトで鍛えた瞬速でカーテンの奥に飛び込んでいく。
「悪ィ、頼む! すぐ行く!」
 銀時はその背中に叫んだが、届いたかどうかも怪しい早さだった。
「行かせないッス! 晋助様を裏切ったアンタに、晋助様は渡さないッスー!」
「晋助様って、てめぇ、まさか……! 鬼兵隊か!」
 思ったよりも力が強い。引き剥がそうにもなかなか腕が外れない。
「そうッス! 元奨、木島また子ッス! 話は聞いてるッスよ、白夜叉。アンタみたいないー加減な将棋指しをブッ潰すのがアタシらの仕事ッス!」
 雑誌の入会記事でうっすらと見覚えがある。神楽と同年代の女性会員ということで記憶に残っていたのだろう。まさか、こんなところにいたとは……
「くそっ、離せ! こっちは弟弟子に説教があんだよ!」
「離さないッス! アンタが晋助様の兄弟子なんて絶対認めないッスゥ! ……って……」
「……ほあちょー!」
「ぐへあっ!」
 また子の顎に、神楽のチャイナシューズの裏がクリーンヒットする。月詠が客席を駆け抜け銀時と木島が揉み合っている混乱に乗じて、まんまと店内に入りこんだらしい。
「銀ちゃんから離れるネ、このコギャル! こいつはホモだから、若い女に興味はないアル!」
「……いや、完全にないって訳じゃないんだけどね」
「どっちでもいいアル。ここは私に任せて、さっさとあのガキ追うヨロシ。でないと、フラグ奪われるアルヨ」
「は? フラグ? 何言ってんの?」
「いーから行け! このマダオ!」
 尻を蹴飛ばされた勢いのまま、階段を駆け下りる。キャットウォークの上では追い縋ろうとする木島と神楽がもみ合っていた。
 騒然とした客席を横切り、カーテンの奥に飛び込もうとしたところで、ステージの日輪から呼び止められた。
「銀さん! 大丈夫?」
 思わず振り返る。棋界一の美女と称される日輪の美しい面差しが不安で歪んでいた。
 本来であれば、晋助はこの場で日輪にかつてのスキャンダルとトラウマを吐かせるつもりだったのだ。それを日輪は自分の才気一つで乗り切った。自らが背負ってひとり立ちした女流棋士たちを守るために、このステージで戦っていたのだ。
 彼女の小さな手が汗でびっしょりと濡れているのが見えた。
 この前、万斉が言っていた。ただ強いか弱いか、それだけの新しい『棋界』を作ると。
 バカを言うな、棋士の強さはそれだけで計れるものじゃない。今の日輪より強い棋士がどれほどいると思ってるんだ。
 銀時は、強く拳を握った。
「安心してくれ。アンタらにゃ迷惑かけねえよ。これは……うちの家族の問題だ」
 そうだ。自分が止めなくてはいけない。他の誰も傷つけてはいけない。ただ必死に目の前の戦いに向かっている棋士たちの誰も傷ついてはいけない。
「その通りだ、銀時。これは俺たちが蹴りをつけなければならん」
 日輪の横に、ふと人影が現れる。先ほどのモデル風の女だ。黒いパンツスーツに幅広の帽子を目深に被り、顔ははっきりと見えない。だがしかし、その声は……
「お前……ヅラ……?」
「ヅラじゃない」
 帽子を取れば、長い髪がふわりと広がる。
「ヅラ子だ」
「……おまっ、順位戦どうしたぁ!?」
「ふはははははは、十九時前に詰めにしてやったわ、そんなもん! 感想戦もさっさと終わらせて駆けつけてやったのだ、喜べ銀時ィ!」
 喜べない、全然喜べない。二丁目自体に近づけたくなかったのに、さらには女物のスーツまで着てくるとか、本気で有り得ない。しかも目の前には日輪までいるのだ。思わず銀時は、頭を抱えてうずくまりたくなった。
「……いやだわ、桂さん」
 そりゃイヤだろう。ああどうしよう、ヅラに女装癖があるなんて噂が立ったら。ただでさえ奇行ずくしなヅラに、致命的なスキャンダルが……
「あなたがそういう格好すると、私たちのお仕事無くなっちゃうじゃない」
「……はい?」
「私たち、華やかなのが売りでやってるんだから。お願いだから、公式戦とかでそういう恰好しないでね? お願いよ?」
「安心してくれ、日輪女流名人。絶対しないから」
「……あんた、いつでもマイペースだよね」