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王子様と秋の空 [将棋]
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2008年2月17日

私を月まで連れてって ?黒?

 こちらの後編。
 なんだか、カプが曖昧。とりあえず、銀さん、ヅラ、もっさんの三角関係。


 銀時は必要以上にはしゃいでいた。テンションが高いというか、度が過ぎるというか。お陰で夜が深くなる前に酔い潰れ、今は丸めたマフラーを枕に、桂の羽織を上掛けにしてぐっすりと寝入っている。
「下戸が、無理をしおって」
 桂の指がその髪を撫でる。銀時がとりわけ酒に弱い訳ではない。ただ桂が、酔いが顔に出はするものの潰れることはなくそのまま延々飲み続けるうわばみなので、下戸に見えるというだけだ。
 桂は、妙なところで銀時を子供扱いする。手酌で杯を空けながら、坂本は頬を緩ませた。
「すまぬな。どうしても来ると言ってきかなんだ」
「ええよー。わしも近いうちに、金時誘おう思うちょったきに。久々に三人揃うて楽しかったぜよ」
 待ち合わせた座敷に銀時が現れても、坂本はその朗らかな態度を崩さなかった。再会を喜び肩を抱き、席を勧めて酒を注ぐ坂本に、銀時は面食らった顔をしていた。
 ちょっとした修羅場の一つも覚悟していたのだろう。
 元から坂本にそんなつもりは毛頭なかった。初めて桂と寝た時から、銀時から桂を奪おうなどと言う気はさらさらなかった。
 自分が桂に必要とされているのは、重々と解っている。だが、それとは全く違う次元で、桂が銀時を必要としていることも、銀時が桂なしでは生きていけないことも解っていた。
 そうだ、この男は恐らく桂がいなければ生きていけない。自分から手を離したくせに、自分から逃げ出したくせに、もしも自分が桂に捨てられることになったら、絶望の余り壊れてしまうかもしれない。
 だから、銀時から桂を奪おうというつもりなど、さらさらなかった。
「こたろう」
 名を呼ばれ振り向く桂の小さな唇を吸った。桂の指はまだ銀時の髪に絡んだままだった。
「ん……あ……」
 食べられているようだ、と、桂が言ったことがある。そのつもりだ。大きく口を開け、桂の桜色に潤った唇を食むように愛撫する。小さく突き出された舌を吸い上げ、切なく漏れる吐息を飲むように坂本が桂を食らう。
 うう。小さく喉奥で歓喜の声を上げる。それと同時に、桂の指は銀時の髪をぎゅうと掴んだ。
「起きゆうぞ」
「貴様が悪い」
 拗ねて見せている訳でもない。上気した頬と濡れた唇以外は平素の鉄面皮となんら変わらぬ桂の表情に、坂本は黒眼鏡の奥の目を細めた。
 銀時の悋気を知らぬ訳でもなかろうに、そんなものとは関わりないという素振りをする。
 お前様だけと媚びることもしない。耐えておくれとほだすこともない。助けてくれろと泣くことすらしない。
 そうしろと言ったのは坂本だ。弱さを見せるなと、常に自分が望んでその場にいるように振る舞えと。いや、本心からそれを望むべきだと。桂に必要なのは同情ではなく崇拝と敬慕だ。流れに押し流されて身を任すような弱々しさは、桂には不要のものだ。それこそが桂が最も美しく生きられる姿だ。
 そうしろと言ったのは自分のはずなのに、そんな桂を見て悲しくなる自分がいる。
 桂にとってもっとも特別であった銀時の前でまで、その姿が変わらぬことを嘆き、同時に喜ぶ自分がいる。
「こら、辰馬」
「だいじょぶだいじょぶ。最後までばぁしょうせん」
 何が最後だ。後頭部をぽかりと軽く叩かれた。桂の裾を割り白い足に顔をうずめながら、両方の感触を楽しむ。横目で伺えば、桂の指はまだ銀色の髪に絡んだままだった。

 初湯がまだだった。
 戯れを抜け、のっそりと桂が出て行く。まだ湯屋の火は落ちていないだろう。一緒に行くかという坂本の誘いを、おまえは人前でも尻を触るからいやだ、初湯とは一年の始まりを清く過ごすために行うものだ、と、すげなく断った。
 伴侶とすら呼べる男の前で、別の男に足を吸われていた人間の台詞とは思えない。残された坂本は鉄瓶の酒を火鉢にかける。燗を煽って眠るつもりだった。
 むくり。ああ、やはりな。大儀そうに起き上がった銀時を坂本は黒眼鏡の下だけで伺う。
「……お前、なにしてくれちゃってんの?」
「おんしゃーに迷惑かけちょるつもりはなかよ」
 桂はお前のものではないだろう。そういうつもりか。
「飲むか」
「まだぬるいだろ」
 熱いのを寄越せと猪口だけを寄せ、銀時は坂本に近寄らなかった。
「知らんかったか」
「んなこたねーけど」
「わしだけやなか」
「そうなんだろーね」
 桂が、どうやって生き抜いてきたのか。坂本と離れ、銀時を失い、高杉を道を違え、たった一人で、なにを、どうやって、生きてきたのか。
 薄々感づいてはいたし、それが今に始まったことでもないのも知っている。
 共に生きると交わした契りを、最初に裏切ったのは自分なのだから。
「ヅラはモテゆーぞ」
「昔っから、おばちゃんとかおっさんに受けよかったよ、あいつ。こーゆーとこでも変わらねえのな」
 それがどうした。利発に笑い、聡明な愛らしさを振り撒いて駄賃を貰うに変わりはないのだと、そう言うつもりか。
 そうまでして、認めたくないのか。
「……悪かったな」
「……そう来よるかぁ」
「いや、本当に反省してるよ。うん」
 悪かった。すまなかった。もうしない。ごめんなさい。ごめんなさい。
「おめーには迷惑かけたな」
「銀時」
 珍しい。ちゃんと名を呼ばれた。
「わしじゃなか。ヅラば謝れ」
「必要ねーよ。謝っても怒るだけだよ、あいつ」
 怒るだろう。きっと怒る。俺は貴様の持ち物でもなんでもないと、貴様無しでは生きられない訳ではないと激昂するだろう。
 桂が最も厭うのは、自分が銀時の重荷であることだ。
「あいつは、俺のこと恨んでなんかいねえだろーし、これからもそうだろーし」
 本当はもっと恨んだっていい。叩いて、なじって、責めて、銀時が悪いのだ何もかも銀時のせいだと泣いて駄々をこねればいい。
 だが、決して桂はそうはしないだろう。引かれた境界線のこちら側とあちら側、銀時の意志を無視してそれを犯すことは決してしない。
 銀時が、それから逃げたから。辛いと、耐え切れぬと、泣いて逃げ出したから。何よりも大切だと腕に抱いた桂でさえ捨てて逃げるほど、銀時は弱く、愚かで、今もそうで、
 桂に守られている。
 弱く愚かな自分を、桂は慈しんで慰んで大切に守って、その痛みを一人で抱え込んでいる。
 自分は何もできない。守られ、哀れまれ、その腕に甘えるだけの自分には、桂の痛みを理解してやることもできない。
 だから、桂は坂本に甘えるべきだ。桂を守り、哀れみ、甘えさせてやれるこの男に、桂はその痛みを押し付けるべきだ。
「だから、ヅラの代わりに、てめぇが俺を恨んでくれよ」
 恨め。罵れ。憎んで見下して、軽蔑しろ。
 自分は軽蔑されるべき人間だ。負け犬と罵られるべき存在だ。だから、そう呼ばれなければならない。誰かにそう呼ばれなければならない。誰もそう呼ばないのなら、己で呼ぶしかない。
 誰かが俺を罵れば、その分俺は俺を罵ることから解放されるのだ。
「おんしゃーから、ヅラぁ取り上げよぉつもりばなか」
 かちん、と小さな音を立てて、坂本は熱燗を猪口に注いだ。とろりと甘い酒だった。
「奪えるもんでもありゃあせん。連れてゆけよぉもんなら、どこにでも連れていっちょる。あがぁごうじょっぱり、どうにかできゆう男なんぞどこにもおりゃあせん」
 差し出された猪口を受け取る。厚い素焼きを通して酒の熱が伝わる。
「せやき、ヅラからおんしば、取り上げよう思うた」
 坂本の指は固い。だがそれは、剣を握って分厚くなった肌の固さではなく、薄い皮膚と肉を擦り抜けて伝わる骨の固さだった。
 ほんの少し触れたそれが、力を失ったかのように落ちた。
「おんしらは、ずるい」
 そう言えば、いつの間にサングラスを外したのだろう。自分が寝入ってからか。桂と戯れている時か。どちらにしても、俯いた坂本の表情はもじゃもじゃ頭の旋毛に阻まれ確かめることができなかった。
「いじわるくらい、許してくれちょってもええじゃろ」
 ひどかおとこじゃ、ほんにひどかおとこどもじゃ。
 障子を開け、窓の外を見る。まだしんしんと雪は降り続けていて、湯屋に向かった桂の足跡はすっかりと覆い尽くされてしまっていた。あいつは熱湯が苦手で行水程度で済ますから、もうすぐ帰ってくるのだろう。冷えきった濡れ髪と赤くなった頬で、きっと俺には見せぬ笑顔で坂本の懐に入るのだろう。
「あのさ。俺がここで帰っちゃったら、お前、傷つく?」
「言わんとわからんがか。泣くぞ」
「そりゃ珍しいね」
 手の内の猪口を一気にあおった。おかしい。まだ熱いはずなのに。喉を焼き、胃の腑が痛むほどに熱いはずなのに。
「もっと高い酒飲ませてくれるなら、朝までいるんだけど」
 坂本が座敷を出て行く気配がした。銀時はずっと窓の外を見ていた。今、あの角を曲がって桂が戻ってくるかもしれない。濡れた髪をかばうようにあの白い襟巻きを頭まで巻いて、雪に足を取られぬようにおっかなびっくり歩いてきて、開けっ放しのこの窓を見つけて、銀時の姿に眉をしかめ風邪を引くぞと小言を言うのかもしれない。
 襖の向こう側で、仲居になにぞ言っている坂本の声が聞こえる。銀時は障子どころか窓ガラスまで全部開け放した。ささやかながら雪が吹き込む軒先に頭を突き出す。
 早く戻ってこい。早く姿を見せてくれ。泣いてしまいそうで怖いんだ。