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王子様と秋の空 [将棋]
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2008年3月 7日

対局があるんだ

 棋士モノ。先生とヅラと俺(仔杉)。グレるきっかけ。


 梅雨が長い年だった。7月になってもまだしとしとと降り続いていて、蒸し暑くて、じめじめとしていて。今はもう、俺とヅラと先生しかいないこの屋敷は荒れていくばかりだった。
 先生はずっと寝っぱなし。ヅラが何度も入院しようって言ったのに、俺に教える時間が減ってしまうからって。今はネットだってなんだってあるのに。
 ヅラはちょうど棋聖戦が大詰めで、対局から帰ってくるたびに一回り痩せていく。元からガリガリなのに、腕なんか俺より細いんじゃないか。勝てそうかと聞けば、これに勝てなければ他に勝てそうなものがないとこけた頬で笑う。

 まるで、世界がゆっくりと腐っていくような夏だった。


 どうですか。見えてきましたか。
「おかげさまで。他の棋戦を捨てたのは辛いですが」
 君にはもっと、外で遊ぶように言うべきだったなあ。
「きっと石ころで将棋を指していたと思います」
 それもそうだね。……ちゃんと食べなきゃ駄目ですよ。
「はい」
 まず、己が強くなくてはならない。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、元気でいること。
「はい」
 なにかあったら坂本君を頼りなさい。あの子は君を可愛がっていたから、きっと力を貸してくれる。
「はい」
 君は昔から無理をしすぎる。なかなか投了しないし。もう少し、誰かを頼るように。
「はい」
 銀時はそうじゃなかったのになあ。あの子は勝手に先を読むくせがあったから。
「ええ」
 あの子に会ったら、謝っておいてください。僕は、あの子に駒を持たせるんじゃなかった。
「先生」
 はい。
「俺は、まだ先生に教わりたいです」
 僕もです。君には教えてないことがたくさんある。でも、もう、時間がないんだ。
「はい」
 元気でいること。
「はい」
 無理をしないこと。
「はい」
 君らしく、君の思う生き方をすること。
「はい」
 それと、これは矛盾しますが。
「はい」
 晋助をお願いします。あの子は、きっとここでしか生きていけないから。
「分かってます」
 僕は、君に名人を渡してあげるのが夢だったんです。
「はい」
 その夢が叶ったら、次はあの子に竜王を渡してやりたいと思ってた。
「せんせい」
 はい。
「無茶です」
 分かってますよ。


 その次の日から、桂は五番勝負のために金沢に行った。
 俺は先生に呼ばれて、いつものように枕元にパソコンをセットして中継サイトにつないだ。先生はもう身を起こすのも辛いから、一手一手俺が読み上げる。小さな声で先生が解説をしてくれる。俺はそれを一生懸命メモした。後手、7七桂不成。
「……ああ、いい手だ」
「そうなの?」
「ええ、とてもいい手です。もう大丈夫。桂くんは勝ちますよ」
「よくわかんねえ」
「あとでゆっくり教えてあげます。大丈夫、もうあの子は大丈夫だ」
 それから先生の解説はぱったりとやんだ。でも、その言葉の通り、そこからヅラは台風のような激しさで棋聖の囲いを荒らし回り、持ち時間2時間を残して棋聖の投了、第一局を手にした。
 俺はその棋譜に夢中になってしまって、先生がいつ息を引き取ったのか分からなかった。
 あとで教えてくれるって言ったのに。

 先生のお通夜は雷の夜で、ヅラはずっと俺の手を握ってた。俺は雷なんか怖くない、雷が苦手なのはヅラだ。顔が真っ白で、指が枯れ枝みたいで、今にもふらって倒れそうだった。
 いろんな人が来た。将棋のえらい人や、雑誌の人や、みんなヅラの前まで来て、こんな時期なのに、大変だろうけれど頑張ってと、無責任なことばっかり言った。
 ヅラが心配なら、この細い腕を何とかしてやれ。きっとこいつ、また蕎麦ばっか食ってるんだ。せめて鴨南蛮とかにしろって先生が何度も言ったのに、蕎麦はざるでこそとか言ってネギも入れずに食ってんだ。
 誰か言ってやれよ。もういいよって。ちゃんと休んで、元気になれって。もう無理しなくていいって。先生ならそう言うはずなんだ、『あいつ』ならそう言うはずなんだ。
「晋助。明日のお葬式なんだけどな」
「……なんだよ」
「俺は出れないから、晋助が代わりに挨拶を読んでくれないか?」
 思わず腕を振り払った。細い指は簡単に外れて、あまりにも力がなくて、こいつちゃんと駒持てるのかって心配になった。
「なんでお前が先生の葬式に出れないんだよ!」
「対局があるんだ」
 おかしいよ、なんでだよ。
「神戸だ。本当は前日入りする予定だったけど、無理言って明日の始発に……」
「なんで! 先生が死んだのに!」
「お葬式を理由に休んでいいのは、両親と兄弟だけなんだよ。先生じゃ認めてもらえない」
 おかしい。おかしい。ヅラはもうずっと本当の親となんか会ってない。ずっと先生と一緒で、俺と同じくらいのときから先生と暮らしてて、じゃあ、本当の親子と一緒じゃないか。それなのに、それなのに。
「サボれよ」
「晋助」
「おかしいよ! 将棋を教えてくれたのは先生なのに! その先生が死んだのに、何で将棋指さなきゃいけないんだよ! おかしいだろ、絶対おかしいだろ! 無視しろよ、そんなの!」
「晋助!」
 俺がどんな癇癪を起こしても、先生は俺を殴らなかった。負けて泣き喚いても、先生はじっと俺が落ち着くのを待ってくれた。
 でも、たった一度だけ、ほっぺたを叩かれたことがある。
 暴れて将棋盤を踏みつけたときだ。
「晋助、それは棋士として絶対してはならないことだ」
 あの時の先生とヅラは同じことを言った。同じように自分のほうが泣きそうな顔で、同じように俺をぶった手のほうが痛いような顔で、同じことを言った。
 違うのは、俺だった。

 先生のときは、将棋をもっと大事にしよう、好きになろうって思ったのに、

 今は将棋が憎くてたまらなかった。