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王子様と秋の空 [将棋]
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2008年3月 8日

この子から将棋を奪わないでやってください

 棋士モノ。先生とヅラの出会いと別れ。
 ある意味、先生×ヅラ。


 桂は棋聖戦五番勝負を3-0のストレート勝ちし、見事初挑戦でタイトルを手中にした。
 しかし、帰りの車中で人事不省に陥り、そのまま入院。過労だった。初のタイトル挑戦、親同然の師匠の死、引き継いだ内弟子の世話。幼いころから虚弱で喘息の持病がある桂の身体にそれらは重すぎた。
 『吉田永世名人が、あの世から愛弟子を呼んでいるようだ』という報道に、桂は病床から直接電話をかけ、火のような勢いで激昂した。
 先生は弟子を死なせようなどと思う人ではない。取り消せ、謝罪しろ、先生の名誉のために謝れ。
 安静にという看護士や医者に物を投げ付け、気が狂ったかのように泣きわめいた。
 桂が二十一歳のころだ。

************************

 吉田は変わり者の棋士として有名だった。その奇行のみならず、勝ち負けにほとんど興味が無いところが棋士としておかしかった。抜群の成績で若くして八段まで上り詰め、すわ名人挑戦かとまで言われたが、その後は順位を落とし一時はC級1組まで降級。勝っても負けても同じようににこにことしていた。
「勝負師というより研究家でありたい」
「いい将棋が残せれば、それでいい」
「プロでいればたくさんの強い人と指せるから、その分研究が進む」
 そんなことを公言する男だった。
 その吉田が変わったのは、内弟子を取ってからだ。
 人が変わったかのように攻撃的な戦法を選ぶようになり、多彩な盤面を作り上げるより、純粋に勝つことを目的にするようになった。
「僕は弟子に渡さなければいけないものがある」
「そのためには、まず僕がそれを手にいれないと」
「もうあまり時間はないのだし」
 吉田の持病となる肝疾患が発見されたのが、このころだ。

 小太郎の実家は大きな病院で、末子として生まれた小太郎は待望の男の子であり跡継ぎだった。五歳で将棋を覚え、六歳で地元の将棋教室には敵なしとなっても、両親は小太郎に将棋を打たせ続ける気はなかった。喘息持ちで体が弱い小太郎の気晴らしになる脳の発達にいい習い事、としてしか見ていなかった。一年生が終わるころには、将棋教室に通うことにすらいい顔をしなかった。
 小太郎が二年生に上がった頃、教室に吉田が指導に来た。吉田は小太郎と同郷山口の出身であり、教室の主催とは兄弟弟子に当たる。主催は奨励会を途中で脱落したが、親交は続いていた。
 三面指しの机が用意された。吉田は子供に話しかけ、主催に棋力を聞き、この子は四枚落ち、この子は六枚落ちと手合いをつけていった。吉田が指すのであれば、奨励会の俊英相手に二枚落ちで順当である。このような小さな教室では四枚落ちで指せるだけで大したものだった。
 しかし、小太郎は飛香落ちを申し出た。主催があわてて、二枚落ちの間違いだろうといったが、小太郎ははっきりと繰り返した。
「飛香落ちでおねがいします」
 吉田が指導にくるというのを、小太郎は楽しみにしていた。親の目を盗み、主催に頼んで吉田の棋譜を手に入れ、何度も並べて勉強した。そして確信したのだ。飛香落ちなら、勝てるかもしれない。
 当時吉田は二十七歳、B級1組八段。棋士として最も才気走っていた頃である。飛香落ちであれば四段の新人棋士にすら負けるはずがなかった。あまりにも浅い手合いは上手への失礼になる。失礼とは思わなかったが、困惑した。
 結果、吉田はそれを受け入れた。小太郎の頑固さに押し負けた形である。
 小太郎はその対局で吉田にあわやというところまで迫った。中盤に疑問手が出たものの、深く切り込んでは鮮やかにかわすその攻め手に吉田は受けるのが精一杯だった。後に吉田は、『もしもあれが五面指しか、もしくは二枚落ちだったら僕が負けていた』と語っている。
 結局は終盤の読みに経験の差が出た形で、吉田が競り勝った。
 なんて子だろう。将棋の神様は、なんて子を連れてきたのだろう。吉田は幼い小太郎の棋力に驚嘆した。それ以上に、こんな小さい子供が自分と吉田の実力差を正確に見抜いてたことに感動した。自分がプロに対してどれくらい指せるのか。主催でも分かっていなかったのに、この子は自分自身でしっかり見極めていた。己を力を知っているということは、何よりも得難い力である。
 吉田は思わずその小さな頭を撫でた。
「君は強いですねえ」
 吉田がそのように屈託なく人を褒めるのは珍しいことだった。傲岸な研究者として将棋を指していた吉田は、自分以外の棋士を小馬鹿にしたところがあった。しかし、研究者だからこそ、自らより才のある指し手には敬意を払う。その人物が、吉田の目指すものを実現するかもしれないからだ。
 この女の子のように愛らしい少年こそがその指し手であることを、吉田は確信した。
「きっと、僕よりも強くなれますよ」
 強くなれる。その一言に小太郎は泣き出した。真っ白な小さい顔は見る見る内に真っ赤に染まり、大粒の涙をボロボロこぼした。
「よしだせんせい、ぼくはもっと将棋がやりたいです」
 どれほど強くても小太郎は子供だった。その小さな体に渦巻く情熱に、小太郎は自身で困惑していた。情熱を止める術を知らず、情熱を貫き通す力もなく、行き場のなかった感情が吉田に向かってあふれ出た。吉田ならば、理解してもらえると思ったのだ。『強くなれる』と言った吉田なら。
「でも、お母さんもお父さんもだめだっていうんです。きょうもだまって出てきました。ぼくはわるい子です。わるい子は将棋がうまくなれませんか。将棋をもっとやるにはどうしたらいいんですか。せんせい、どうしたらいいんでしょうか」
 吉田が小太郎の両親に会いにいったのは、当日の夜のことだ。
 歴史のある大病院の息子としてこれ以上のめり込むなら将棋はやめさせるという小太郎の父に、吉田は畳に手をついた。
「毎年、お医者さんになれる人が何人いますか。大きな病院の院長先生は、この日本に何人いますか。毎年、将棋のプロになれる人はたったの四人です。トッププレイヤーと言われるA級棋士はたったの十人で、タイトルを取れるのは多くて一年に七人、下手をすれば二人か三人の棋士が何年も独占してしまうこともある。小太郎くんは、そのうちの一人になれるかもしれない子です。その小太郎くんをお医者さんにすることと、棋士にすること、どちらがこの国の文化にとって重要なのか考えてください。どうか小太郎くんに将棋を続けさせてやってください。お願いします」
 その日初めて会った子供のために、吉田は土下座した。追い出され、力になってやれなくてごめんと小太郎に涙を見せた。何かあったら連絡して来なさいと、将棋会館の電話番号と住所を渡して別れた。
 それが吉田と小太郎の出会いだった。

 一カ月後、会館から吉田宛に電話が入った。小さな男の子が吉田先生に会わせてほしいと言っていると、受付からの連絡だった。
 吉田は取る物もとりあえず、千駄ケ谷の会館へ急いだ。電車の中で、吉田は自分が足袋を履いていないことに気づいた。あの子だ。親を説得できたのか。それとも。
 会館のロビーの隅っこに、小太郎が一人で立っていた。不安を隠さず、それでもまっすぐな強い目で、駆け込んできた吉田の顔を見つめていた。その時小太郎が持っていたのは、自分の折り畳み式将棋盤と駒、そして将棋を指す時にいつも握っている小さなぬいぐるみだけ。
 家出して来たのだ。

 とうとう小太郎は、親に将棋教室に行ってはだめだと禁止令を出された。将棋の本も、棋譜のスクラップブックも捨てられ、盤と駒までも取り上げられそうになり、小太郎はそれを奪い、将棋の次に大事なぬいぐるみを引っつかんで家を飛び出した。
 ぬいぐるみは亡くなった祖母がくれたもので、最後にもらったお年玉のポチ袋が背中のポケットにいれてあった。こんな事態を想定していた訳ではなく、お守りのつもりだったのだ。中身は二万円。小太郎には、このお守りはこの時のためにあったのだと思えた。
 そして、小さく折り畳み、駒袋に大事に入れておいた吉田のメモ。
 その二つが、小太郎の最後のよすがになった。
 小太郎は一番近くの駅まで走った。ともかく親の手が届く前に逃げなければならない。

 7歳の子供が一人で、本州の一番端からこの千駄ヶ谷まで、一度出会っただけの大人を頼って、ただ将棋を指したいという気持ちだけでやってきたのだ。吉田の『強くなれる』という言葉だけを頼りにやってきたのだ。
 即座に吉田は桂家に電話し、誘拐の届けを出すという両親を説得した。小太郎くんを自分に任せてほしい。小学生の間だけでいい、その間に奨励会に入ることが出来なければちゃんと帰す。将棋への情熱が冷めた時も、才能がないと分かった時も、ちゃんとお家へ帰りなさいと言う。お願いします、小太郎くんに将棋を続けさせてやってください。この子から将棋を奪わないでやってください。
 たった一度、指導してやっただけだ。しかし、吉田にとってすでに小太郎は弟子だった。まっすぐな情熱を折られそうになり、最後のよすがとばかりに吉田に縋り付いてきた小太郎を手放すことは出来なかった。それは、吉田自身の変化だった。自分が研究を続けてきたのはこのためなのだ。この幼く無垢な才能に、全てを伝えてやるためだったのだ。小太郎を手放すことは、自分の将棋の終わりを意味する。
 何度も大声で繰り返し、ロビーの公衆電話相手に吉田は頭を下げ続けた。棋士や奨励会員が何ぞなにぞと集まりだし、電話口でぺこぺこする吉田とぬいぐるみを握り締めてじっと動かない小太郎を取り巻き出した。
 吉田が小太郎に受話器を渡した。小太郎はその小さな体には大きすぎる緑色の受話器に、恐る恐る耳に押し当てた。帰ってこいと怒られることは覚悟していた。
『小太郎。将棋で一番になるまで頑張りなさい』
 その場で抱き合って泣く吉田と小太郎は、度々語り草になった。『吉田さんは変な人だと思っていたが、まさか子供と駆け落ちまでするとは』と笑われ、吉田はこう言い返した。
「違いますよ。あの子は将棋と駆け落ちをしたんです。僕はそそのかしただけですよ」

 小太郎はそれ以来、両親と会っていない。年賀状と暑中見舞いだけが実家から送られて来て、小太郎は自分の成績や棋譜のコピーを送っている。
 それが自分への罰だと思っている。
「将棋の一番は名人です。竜王が一番お金がもらえるけれど、やっぱり名人です。名人は何年も何年もずっと強くないともらえない名前だから」
「約束しましょう。僕は名人になります。そして君に、名人になるために必要なことを全部教えて上げます」
「君は、僕から名人を奪いなさい」
「それが出来たら、お父さんとお母さんに会いに行きましょう」
 先生と一緒に故郷に帰るのだと、ずっと小太郎はそう思っていた。

************************

 大人になった今でも、桂は感情が高ぶり過ぎると発作を起こす。吸入器を使っても神経が収まらない。激しい咳に胃が痙攣し、胃液を嘔吐したところで医者から鎮静剤を打たれた。これ以上の体力消耗は危険だと判断したのだろう。再び桂がベッドで目を覚ました時、隣には坂本がいた。
「……さかもとさん」
 辰馬でええよ。そう言って坂本は笑った。かつては最年少プロ棋士、そして最年少名人戦挑戦者の二つの記録を打ち立て、『怪物』と呼ばれた棋士だ。一応は兄弟子に当たる。しかし、吉田は常々「僕は名前を貸しただけで、坂本くんに何かを教えたことなんかない。そんなことは恐れ多くてできない」と言っていた。今はすでにフリークラス宣言をし、トーナメントよりもレッスンに力を注いでいる。
 桂はこの兄弟子が好きだった。豪快で自由な棋風は人を魅せたし、人物としても心地よかった。吉田一人に縋って棋界を生きてきた桂にとって、他に頼れる人間と言ったら彼しかいなかった。
「辰馬さん、俺……」
「あんま言うこときかんと、わしも小太郎じゃのおて桂棋聖がぁ呼ぶぞ」
 たまったものではない。桂はわずかに笑んで、顎を少し引いた。
「棋聖、おめでとう」
「ありがとうございます」
「先生の作戦か」
 彼にはばれていると思った。
「俺のです」
 桂はこの一年、棋聖戦のみに絞って調整してきた。他のタイトル戦は捨て、順位戦はA級を落とさないことだけに絞った。早く終わらせるために、わざと読みを外したことすらある。局面が難しくなったら投了した。本当は、抜ける道も読めているのに。しかし、体力を消耗する訳には行かなかったのだ。
「まずは、タイトルを取ろう、と」
 タイトルホルダーであれば、次からは竜王戦以外の棋戦でシード対象になる。予選をやらずに済ませることが出来れば、その分、体への負担が減る。棋聖戦は6月から7月、順位戦は6月から翌3月にかけて行われる。棋聖を取り、次の一年で名人への挑戦権を獲得する。それが桂の作戦だ。
 もちろん、わざと負けるなど桂のプライドが許す訳がない。
 その優男然とした見た目とはそぐわない気性の激しさ。小学校に上がったばかりの子供が、将棋を指したい一心で東京へ家出した情熱。負けたくない。どんな一局でも見逃したくない。胸の奥で暴れまわるそれを桂は精神力で押さえ込んだ。過労には、そのストレスもあったのかもしれない。
 吉田が生きている内にタイトルを取りたかった。桂の生きざまを支えるために、己の生きざまを捨てた吉田に報いる方法はそれしかなかった。
 名人を譲り受けるという夢はもはや叶わない。
 ならばせめて、自分が名人を取れる可能性を、ひとつでもタイトルを。
 吉田が人生を賭けて育ててくれた、吉田の人生そのものであった自分が、一つの形を成すところを見せたかった。
 先生に見てほしかった。

「先生に、悔いが残らぬように、と」

 安心させてあげたかった。
 もう大丈夫です。
 もう泣きません。
 僕はずっと将棋をやっていけます。
 お父さんやお母さんにもいつか会いにいける。
 あなたが僕を受け入れてくれたことは決して間違っていない。
 僕は、あなたと共にいれて本当に幸せだった。
 だから、
「いやあ、どうじゃろ」
 坂本の指が桂の髪をかきあげる。
「だってなあ。先生、心配するじゃろ。タイトル取ったゆーても、そのたんびにこがぁ倒れたんじゃあ意味ないじゃろ」
 げっそりとこけた桂の頬に、坂本の手のひらが吸い付く。
「元気でいるんが一番大事じゃ」
 元気でいること。無理をしないこと。
「……せんせい……」
「心配かけなさんな」
 君の思う通りの生き方をしなさい。
 先生、僕が僕の思う通りに生きてこれたのは、先生のお陰なんです。先生の人生を僕が奪った。
 でも、それは先生が自分を犠牲にしたって事じゃない。
 先生が、僕をそう生かしたいと思ってしてくれたことなんだ。
 先生、先生。
 吉田の死を聞いてから、桂は何度も泣いた。訃報を聞いたホテルの控え室で、帰りの飛行機で、神戸に向かう新幹線で、白い小さな骨壷の前で、『ありません』の声を聞いたあの対局室で。何度も泣いて、その度にいつ涙が涸れるのか分からなくて。
 だが、この涙は違った。ひとつ零れるたびに、自分の中の憑き物が溶けて流れて行くようだった。
 先生、信じていいのでしょうか。
 あの言葉を信じ、それを誇りに生きていってもいいのでしょうか。
 四段昇段の日。僕が、一生将棋を指していけると決まった日。先生と一緒の電車の中で言われた、あの言葉を。

 君は、僕の将棋そのものだ。

 

 病床からの桂の連絡に、連盟は大きくどよめいた。
 直前になっての順位戦休場宣言。今後二年間、棋聖戦防衛以外の対局はすべて棄権し、体調を整えることに専念する。
 そして、高杉晋助は吉田の遺言通り、自分の弟子にする。
 未だ内弟子であったが、高杉晋助というの天才児の名は既に棋界に轟いていた。『竜王になるために生まれてきた男』を倒すのは、この『竜王になるために生まれてきた少年』だけだと誰もが認識していた。
 吉田の秘蔵っ子としてまだ奨励会受験もしていない高杉を、多くの棋士が自分の弟子にと望んだ。己で竜王が取れないのであれば、せめて弟子に取らせたい。そういう思惑が、十歳の少年の周囲に渦巻いていた。

 一週間後、坂本の計らい(というには、ややおおげさな)で、某ホテルのホール会場にて桂の棋聖獲得祝賀会が開かれた。まだ万全とは言い難い体を押し、吉田の形見である和服で登場した桂は、多くのお歴々から詰め寄られた。
 二年も休業するような体調で、高杉の指導ができるのか。そのような体で今後何十年も将棋を指していけるのか。吉田と同じように、志半ばになってしまうとは思わないのか。
 桂は未だ二十一歳。通常の学生ならば社会にも出ていない年齢であり、棋士としてこれから全盛期を向かえ、一時代を築いていく天才の一人である。しかし、この老人たちの目は、桂の輝きを見ていなかった。自分たちでは既にどうしようもない青年ではなく、己の手駒となれる幼い子供に向けられていた。
 会場の隅でジュースを飲む高杉の機嫌が悪くなっていっているのを、桂は肌で感じていた。あの癇癪持ちの少年は、あと一分もすれば爆発して、老人たちに殴り掛かるだろう。そうすれば、高杉の棋士生命は途絶える。内弟子のまま、権力者に疎まれ、迫害され、追い出される。
 晋助が、将棋を打てなくなる。
 桂は着物の裾を捌き、その場に膝と手をついた。何の躊躇いもなかった。十四年前のあの日、吉田が自分のために手をついたのと同じだ。何を躊躇う必要がある。プライドも矜持も、何も関係なかった。
 桂の突然の土下座に、会場はざわめきマスコミは色めき立った。
「吉田先生は、弟子は師匠の将棋そのものであるとおっしゃいました。私は吉田の将棋を引き継いだ弟子であると共に、吉田の将棋そのものでもあり、また高杉くんも吉田の将棋そのものです」
 高杉が慌ててこちらに駆け寄ってくるのが見える。いいんだ、こんなものは恥でもなんでもない。
「私から吉田の将棋を奪わないでください」
 そうですよね、先生。こんなことで守れるものがあるんなら、躊躇う必要なんて何もないんだ。
 これほどまでに守りたいものを見つけられたことを誇るべきなんだ。
「この子から将棋を奪わないでやってください」
 桂は、深く深く頭を下げた。