2007年04月05日
家族計画
アビ元、というか、アビ&江戸元というか。
なんだかんだと、奇士たちが仲がいいのが一番萌えるので、そんな話です。往さんが来る前の話だと思いねえ。
--儂は箸と扇より重いものを持ったことがないんだよぅ。
嘘をつくのも大概にしてほしい。普段の大筒はなんだというのか。
--本当だってば。あんなのかつぎ出したのは最近のことさ。母様や父様がいたころは、儂があんなもの持ったら、血相変えて飛び出してきたよ。十五、六までは、本当に丼も持ったことなかったねえ。
何故。
--筋がつくからね。筋がつきゃあ、骨も太くなる。骨が太くなりゃあ、体も大きくなる。こんな格好は出来なくなるわけさ。これでも背ぇが伸び過ぎたって嘆かれたくらいだ。
成る程。華奢な手足やうなじには、それなりに理由があったということか。
--だからね、儂はこんな働きはできないんだよ。頼んだよ、アビ。
そう言うと、江戸元閥は米や炭をたっぷり積み込んだ船からひらりと舞い降りた。そのままふわふわ踊るような足取りで、拝殿への階を上っていく。
屈強な山男はひとつため息をつき、炭俵を軽々とかつぎ上げた。
ここに住み着いて半年にもなろうか。漂泊の日々を送っていたアビにとって、ひとところに三月以上留まるというのは初めてのことだ。
広くはないが、一人で住むには持て余す。居候が一人増えるくらいは訳もない。
そう言われるがままに前島聖天で寝起きをしているが、今となっては、あの言葉は親切心ではなく、適当な下男がほしいという謀から出たのではないかと思っている。
女のなりをした神主は、呆れるほどに何もしない。
飯も作らず掃除もせず、一日の仕事と言えば朝拝にむにゃむにゃと祝詞を唱えるだけだ。あとは短筒の手入れをしたり、床に寝転がって小笠原の屋敷から借りてきた書を読んだりしている。
まあ、氏子も参拝客もいない神社の神主としてはやることもないのかもしれないが、その割に金の工面に困っているところを見たことがない。米を買う金が無くなったと言えば、両替しておいでと一分金を放ってくるし、ちょいと出掛けてくるとふらりと外に出て、三日も帰ってこなければ大抵は吉原に居続けだ。奇士が小笠原の預かりと言えど、未だ正式な臣ではない。大した禄も出ていない。己と同じなら、せいぜい食うには困らない程度だ。それに、頭領である放三郎とて、これほど頻繁に吉原遊びなど出来ぬであろう。一体、どこから金が沸いてくるのか
ここが山であれば、一月も暮らせば、大体の様子が分かってくる。雨の前触れ、果実の自生、獣の通り道。しかし、半年を暮らしても、この神主の様子は杳として分からぬ。
とある夜のことだ。拝殿の裏手から三味線の音がする。また、塩か菓子をつまみに酒でも飲んでいるのだろう。前に干し魚でも持ってこようかと言えば、そんな不味いものと一緒に酒は飲めぬと答えた。妖夷の肉に慣れた彼にとっては、酒と甘味だけがまともな食い物であるらしい。
そういえば、彼が何故妖夷を口にしたのかも聞いたことがない。
ふと思い出し、台所の瓶をのぞき込む。先日、小さな妖夷を退治したときに手に入れた肉が塩漬けになっている。そろそろ頃合いだろう。軽く茹でて塩を抜き、切り分けて皿に盛る。
皿を片手に裏へと回れば、元閥は縁側の端に腰をかけ、三味線を爪弾いていた。横には徳利が三本ほど。一本は既に空となり、端へ転がされている。
相変わらず、とても己と同じ男とは思えぬ姿だった。割れた裾から縁側の外へ向かって投げ出された片足は抜けるように白く、乱反射する水面に照らされ、よくできた細工物のように見える。多少酔いが回っているのか、薄い白粉の下からほんのり朱に染まる頬とうなじには、匂い立つ色香があった。
幾度か連れて行かれた吉原にも、彼ほど美しい女郎はそうはいなかった。彼の馴染みであるという花魁はさすがに美しかったが、べったりと白粉が塗り付けられた肌と、重たげな打掛を何重にもまとい背をしゃんと伸ばす姿は、女というより絵姿だ。元閥の薄化粧とだらし無く投げ出される手足のほうが、生身の匂いがする。
「なんだい、そんなところでぼおっとしちまって」
こちらを振りかえりもしないまま声を掛けられ、我に帰る。徳利の横に皿を置く。気が利くねぇところころ笑う様を横目で見ながら腰を下ろし、勧められるままに酒に口をつける。
ちん、つん、ちぃん。
なにかの曲などではなく、気ままに音を出しているだけのようだ。それでもその澄んだ弦の音は、耳に心地よく響く。どこぞで手習いでも受けたのかと聞けば、何、見様見真似さと軽く流された。
そろそろ唄の一つも聞いてみたいと思った頃合いに、飽いた、と、床に三味線を転がした。神主は何につけ気まぐれだ。酒と女と肉以外に執心しているものを見たことがない。それだけ執心していれば十分とも思えるが。
「そういや、今は何刻だい?」
「さあ? 五つ前の辺りじゃないか?」
空が見えればかなり正確に分かるのだが、この神社は地下にある。しかも、どういう仕組みか夜でも差し込む光が衰えることがない。昼夜の区別すらないこの場所では、籠もっていればいるだけ、時の感覚がずれてくる。
「小笠原様が置いてったからくりがあっただろう? 確かめてきておくれよ」
そして、それをいいことに朝方に床に就き夕刻まで眠りこける元閥に業を煮やし、放三郎が置いていったのが歯車の機械時計だった。日の出日の入りとは多少狂うが、昼夜の子の刻はかっきり正確な時間を刻む。
早く早くとせかされ、一旦拝殿の内に戻り、二階の寝床に据えられた時計を確かめる。やはり五つ前。
それを告げると、元閥は嬉しそうににんまりと笑った。
「おもしろいものを見せてやろう。おいで」
そう言うと、さっと立ち上がり、裾が乱れるのもかまわずに廊下を駆け出した。あっと言う間に角を折れ、屋根に上がる梯子に取り付いた。おいでおいでと手招きされ、仕方なく後を追う。元閥は童女のようなはしゃぎっぷりで屋根によじ登る。
暗い色の袷と明るい朱の襦袢、その合間からあの白い足が恥じらいもなくさらけ出される姿に奇妙な感触を覚えた。
「ほら、なにしてんだい。夜が明けちまうよ」
明けるものか。屋根が抜けやしないかびくびくしつつ、せかせか登って行く元閥を追いかける。てっぺんまで登ってしまった。先についていた元閥がきょろきょろと天を見上げる。何かを見つけたのか目を止めると、そのまま湖までまっすぐ視線を降ろし、アビに手招きをする。
「あそこだよ。よぉくご覧」
何だというのか。指さされた水面の一点を見ていると……次第にそれが見えてきた。
最初は単なる湖面だった。さらさらと揺れるそれが、ちらちらと光を反射する。そのきらきらしたかけらが、次第に一つに集まり出す。その一点を除いた水面は見る見ると光を失っていき、輝く部分と暗い部分に境が出来、周囲も宵の帳に覆われ……
ぽっかりと浮かぶ白い月。湖が夜空になった。おもわず息を飲む。
「すごいだろ?」
おそらく得意げに笑っているのだろうが、月から視線を逸らすことが出来ない。
「この時分だけなんだよ。秋の彼岸前、それも十三夜あたりだけ。光を取り入れる仕掛けに、ちょうど合うんだろうねえ。こんなふうに月が落ちてくる」
ほら、もう消える。
その声と同時に月の姿は揺らぎ、さあっと水面に散っていった。脈にして四十あったどうか。
「お前だけだよ」
はっと振り返る。まるで、夜の空気にぽっかり浮かぶ白い月。そんな笑い顔。
「この月を見せてやったのは、母様と父様とお前だけさ。自慢していいよ。きれいだったろ」
その顔が、あまりにも幼く見えたものだから。あまりにも屈託なく笑うものだから。
「……ああ、きれいだ」
視線を逸らすことができなかった。
アビの言葉に、元閥はきゃらきゃらと嬉しそうに笑った。
いつもこうだ。気まぐれに何かを思いついては、それで人を振り回す。やれ、どこそこの菓子が旨いと評判だ、戯作の新刊が出る、楊枝屋の娘が見たい。お役目もまだ少ない今、町の噂を聞くことも仕事の内とはいえ、その度に船を出せとせっつかれ、甘酒を飲んで行こう、湯屋に寄って行こう、疲れたから負ぶれ、気が変わったから吉原だと、江戸城下を縦横無尽に引っ張り回される。
山の民が漂泊の民と言えども、一日にこれだけの距離を移動するなど滅多にない。山火事に出会った時くらいなものだ。いや、山火事は地形と風でどの方向に進むかが分かる。気分次第で進路が変わる元閥は、山火事よりも立ちが悪い。
「気まぐれ、でもないだろう。江戸元は聡いやつだ」
年下の上役は、そう首を捻る。聡いことは聡い。しかし、それと気まぐれは関係ないと思う。
「いやいや。あやつは考えもなしに何かをする男ではない。何をするにしろ理由がある。……だから、怖いのだが」
疑い出すと切りがなくなる。腹の底が読めない。水鏡のように冷静かと思えば、小娘のように騒々しい。しかし、よくよく考えれば、それには全部理由がある。
「あいつの考えは読めぬ。読めぬが、考えがあるのは確かだ」
願わくば、もう少し分かりやすいといい。そう言って汁物をずずいと啜る。
「そういうのを気まぐれって言うんですよ」
年下の先輩(彼、否、彼女曰く、自分は小笠原様の直入であり、アビより付き合いが長いのだから、先達なのだという)が、アビの気持ちを代弁するかのように口を挟む。ついでに、椀を突き出してお代わりを要求してくる。食べ盛りの彼女のためにたんまりと注いで返す。
「こちらに考えが伝わってこなければ、考えなしと同じでございましょう。不親切にもほどがあります。何ぞ思うところがあってのことなら、それと分かるようにするべきです」
一人前の高説を垂れるが、汁物をかき込み、栗鼠のように頬を膨らませて咀嚼する姿は、年相応に愛らしい。
「いや、だがな、宰蔵……」
「小笠原様は、あやつを買いかぶり過ぎです! この間など、神田のやくざものと……!」
「ああ、あいつらなら、湯島へ河岸変えしたらしい」
不意に口を挟んできたアビの顔を、放三郎も宰蔵も振り返る。
「狸の一件のやつらか? 湯島に?」
「……ええ、半月ほど前に」
「知らなかったな、それは。話を聞きに行かねば……」
「元閥が何か書き留めていましたが……」
ぷー。そんな音が聞こえた気がして宰蔵の顔を見れば、食い物以外の物で頬を真ん丸に膨らませていた。
「……随分、江戸に詳しくなったものだな。アビ」
自分の子分だと思っていたアビが、自分より町方の事情に通じていたのが気に入らないらしい。
「三月前には橋の名前も危うかったのになあ。いや、感心だ。字読みは進んでいるか?」
「はぁ、ひらがな程度は……」
毎日のように城下のあちこちを引っ張り回されているのだ。自然、町方にも詳しくなる。使いの帳面を持たされれば、厭でも字を読む。吉原に引っ張られたせいで、多少の小唄まで覚えてしまった。
……なるほど。こういう考えか。
「アビ。アビ。アービ」
犬の名のように呼ぶな。面を上げると、二階から逆さまに江戸元の顔が降ってきた。
「紅を買ってきておくれ。色と店はこれに……」
「……上野の道とひらがなは覚えたよ、元閥」
アビの答えに元閥はきょとんと目を丸くし、一拍置いて溜め息をつく。手元の半紙をくしゃくしゃっと丸めると、アビに向かって投げ付ける。
「なんだい、つまらない。お使いごっこはおしまいか」
「つまらないことはないだろう」
「つまらないよ。あー、つまらない。もうちょい、色々遊べると思ったのに」
するすると引っ込む顔を追って、アビは立ち上がる。上背があるゆえ、階段を上らずとも十分に二階を覗ける。床に腹ばいになり、組んだ腕に顎を乗せて不貞腐れる元閥と目が合う。
「紅が切れたのか」
「いいよ、自分で買ってくるから。新しい色も出たそうだし」
「船を出そう」
「いいってば。書き取りの練習でもしてな」
「そこまでは覚えていない」
「手本があるよ」
そう言って身をひねると、古い帳面を引っ張り出してアビに突き付ける。
「なんだ?」
「儂が童の時分に使ってたものさ。古いが、字にはやり廃りがある訳じゃなし、十分だろう?」
「高いものではないのか」
「父様が作ってくだすったものだもの。売れるものでもなし、ろはだよ」
ぎゅっと手の中の帳面を握る。
「お古がいやなら作ってやろうか? 恋文の書き方ならすぐ出来るよ」
「……元閥。こんな大事なものは預かれない」
「大事じゃないよ、ちり紙にしようかと積んどいただけさ。虫干しもしてないからね、多分どっかしら抜けてるよ」
「何故だ?」
「何が?」
「何故、こんなに良くしてくれる」
「……あのね、これを良くしてもらってると思うなんて、お前さん、お人よしも大概だよ?」
「元閥」
アビは真剣だ。元閥は、ふ、と一つ息を吐いた。
「そりゃ、お前さんはうちの居候だもの。儂が大家でお前さんが店子。なら親子同然、家族みたいなもんじゃないか」
「……家族」
「こんなでかい子がいる年じゃないけどね、儂は」
手を伸ばし、ぺちりとアビの額を叩く。年は三つも離れていないはずだ。
「元閥……その……」
なんと言えばいいのか。どう言い表せばいいのか。
「あん?」
「……ありがとう」
その切れ長の目が再び丸くなり、一拍置いて、くふ、と笑う。
「どういたしまして」
彼は自分に『家』を与えてくれると言った。『家』が出来るのは、生まれて初めてのことだった。
- by まつえー
- at 10:40
- in 小咄
comments