2007年07月03日

ヲルノモリ

 アビ元。人外江戸元さんと山の民のパラレル。
 ラブコメです、ええ。


 新しい山に移れば、ヌシに挨拶をするのが決まり。そのはずである。
「いない?」
 山のヌシは、その山の気脈を司る。大体が年老いた獣の姿をしており、不用意に動かない。故に、その山で最も豊かな場所に供物をしておき、三日も待てばまず会える。しかし会えない。それらしき獣はついぞ見ない。だというのに供物はきれいさっぱり消え去っており、代わりに……
 アビは、手ぶらで帰ってきた使者が差し出す『文』を受け取った。
「……はぁ?」
 曰く、『塩持って来い』。


 なんで俺が。塩瓶を背負って山道を上りつつ、アビは内心で嘆いた。正体の分からぬヌシに会いに行くのに、一族きってのいつらことしてアビが選ばれるというのは分かる。しかし、なんで塩を運ぶのだ。
 山での塩は、金以上に価値があるものだ。ウイマムとの交易にも欠かせない。宝物を差し出せと言うなら、なるほど確かに相応しい。しかし、獣は塩は必要ないだろう。塩が必要な生き物は、人間くらいなものだ。ほとんどの獣にとっては塩は毒なのだ。
 背負った塩瓶の中身は、ここ数日の陽気で水を吸いどっしりと重い。貴重品としてみんなが出し渋るのを、オサの命だからと無理を言ってかき集めた。本来なら、この瓶ひとつの交易で三月は狩りをせずに暮らせるだろう。
 しかし、ヌシがご要望というなら差し出さねばならない。
 だから、何なんだよ、文を書くヌシって。
 はあ、とアビは息をつく。暑い。日差しは木々に遮られ直接身を焼くことはないが、伸びに伸びた草いきれから立ちのぼる熱気はどうしようもない。山の気脈というのは、熱の通り道でもある。つまり、気脈の中心に近づけば近づくほど、暑くなる。
「……はー……はー……」
 熱気が増すごとに瓶が重くなる気がする。落としてぶちまけたら、折檻では済まないだろう。アビは汗をかく手のひらを拭い、背負子の紐を直す。
 がさり。
 急に目の前が開ける。泉だ。気脈の中心には大抵水場がある。滝であれば多少の涼は得られるのだが、生憎、沼ではなくてもせいぜいが池といった泉だった。
 アビは背負子を降ろし、厳重に瓶に巻かれた縄を解く。前任の使者が即席で設えた祭壇にそれを置こうと……
「あら、本当に持ってきた」
 さあっと涼風が吹き、暑さが消え去った。背に大きな気配を感じ、アビは反射的に振り返る。
 ヌシか、それとも物の怪か。
「……あ?」
 どちらとも断言し切れない。
「山道を御苦労だねえ。御礼にすももの酒でもどうだい、あんたらからもらったつまみもあるしさ」
 女だ。
 角の生えた。


 何者だろう。琥珀の色をした甘い酒をすすりつつ、アビは目の前の佳人を伺う。
 見た感じの年の頃は二十の半ばと言ったところだろうか。ほっそりとした体つきで、喪服のごとき真っ白な薄物の着物をまとっている。着崩されているのか、異国風の着こなしなのか、肩口や素足が盛大に露になっており、非常に目の毒だ。このような美人の肩など、そう拝めるものではない。
 そう、美人だ。アビの姉は近隣の山でも一番の美女と謳われる女だが、それと比べても同じほどに、もしかすればそれ以上に美しい。切れ長の目は色を持って潤み、削いだような鼻筋に迷いはなく、ぽってりとふくらんだ唇と、それについた酒をチロリとなめる赤い舌は、山には不似合いなほどの色香だ。不思議な色の髪を掻き上げる指も、山の者とは思えぬ白さと細さだった。
 不思議な髪だ。最初は艶やかな黒かと思っていたのだが、光の加減で金銀や紫、青にも見える。よく焼きなまされた鋼のような色合いだ。そして、その鋼色の髪と白い額の境目から……
 角が生えている。
 一寸ばかりか。皮膚の一部が固くなり盛り上がったかのような、白く尖った角だった。
 鬼。それにしては、邪悪な気配がしない。アビは正体の知れない女を前にして、勧められた酒に口をつけるほかはなかった。
「なんだい、せっかく人が酒に誘ってるのに、黙りこくってさあ。挨拶に来たんだろ、なにかお話しよ」
 女が、ぶー、と唇を尖らせる。子供か。
「あ、いや、その……わ、我らは北より参った……」
「北? 雪のある方? 温泉とかあったかい? この山にはないんだよ、火山じゃないからさ」
 決まり切った口上をいきなり中断され、アビは口をパクパクさせる。
「ヌシ殿……なの、か?」
「そういうことになってるらしいね」
 どういうことだか分からん。
「一昨年くらいかねえ。このお山に来て、でっかい鹿がいたんで捕らえて食ったら、出られなくなっちまった。あれが先代のヌシだったんだろうねえ」
「ヌシを食ったのか!」
「旨かったよ、脂が乗ってて」
 そりゃそうだろう。ヌシは山の恵みそのものだ。
「食ったって……あんたはなんてことを……!」
「なにさ、お前らだって山の怪を食うんだろ? そんな目で見なくていいじゃないかぁ」
「俺らが食べるのは、死んだ怪だけだ! 恵みとして受け取るだけで、捕らえて食ったりはしない!」
「あらそうかい。やっちまったかねえ」
 てへ、と、舌を出して笑う。なんだその小娘のような仕草は。ヌシを食ったくせに。
「……何者なんだ、あんた」
「一応、仙人を目指してたんだけどね」
「…………せんにん?」
「もしくは天狗」
「………………すまんが、何を言ってるのか、さっぱりわからん」
「だからあ」
 女がくいっと酒を煽る。
 曰く。
 生まれは、どこぞの山の社だったそうだ。随分長く続く社で、代々まろうどを奉る役を負っていた。それをある年、山をひどい日照りが襲う。
「うちの社は、まろうどさまの社であって、鎮守は別だって言うのにさあ」
 美しく、力の強かった女は、竜神への供物として山の泉に投げ込まれた。
「……死んだのか?」
「死んでねえよ。生きてるじゃないか、こうやって。だって、うちのお山に竜神なんかいなかったもの」
 女を救ったのは山の怪だ。以前より怪と戯れることの多かった女を哀れみ、泉より救い、力を貸した。
「あったま来たから、お山焼いて家出した」
 山を……焼く……。とんでもない所業にアビは頭を抱えた。
「そんで、里に下るのも嫌だったし、出雲のお仲間になるのも嫌だったし。だから、絵物語で見た唐の仙人みたいになろうとしたんだけど……」
 こんなになっちまった。角を指す。
「鬼……か」
「そういうことになるんだろうね。確かに一度死んだ身だし、里にも幽にも縁がないし、それでお山に住んでりゃ鬼だもの。人を食った覚えはないんだけどね」
 焼いたけどさ。
 ……十分ではあるまいか。
「まあ、それでいろんなお山を点々としてたんだけどね。ここに捕まっちまった、ってわけさ」
「……大変だったな」
 そういうべきなのか、何というべきなのか。飄々と語ってはいるが、贄にされた娘が物の怪と成り果てた、という話である。悲しい物語だ。
「お前、さっきから儂のこと、娘扱いしてるけどサ。いつ女だって言ったよ」
「……え?」
 思わず、目の前の滑らかな足から鋼の髪に包まれた白い顔まで、その全身をまじまじと見る。
「男なのか?」
「どうなんだろ? 少なくとも娘じゃなかった気はするんだけど、なんせ昔だからよく分からないんだよねえ」
 曖昧な。むう、と眉を寄せられても、こちらが困る。
「分からないって……み、見りゃ分かる、だろう……」
「こうもなるとね、結構気分次第で変わるもんでさ。うぶすなに閨を誘われる時もあんだけど、相手によってかわっちまうねえ」
「……じゃあ、いいじゃないか、女でも」
 見た目も女なのだし。それでも、女(仮)はぶんぶんとかぶりを振る。
「よくねえよ。女だってつもりもないのに、女扱いされても嬉しくねえし。いいじゃないか、どっちだってさ」
 そう言われて困るのはアビだ。男でも女でもないものをどう扱えばいいというのか。
「……じゃあ、名前を」
「あん?」
「名前を教えてくれないか? そうすりゃ、それで呼べば済むだろう」
「お前さん、物の怪に名前を訊くってのがどういうことか分かってるのかい?」
 物の怪がこうも話しかけてくるのだ。名前がなければ付き合いにくい。
「……ま、いいけどさ。先にお前の名前を教えておくれ。もちろん、いみなだよ?」
「それはっ……!」
「お前さん、気に入ったよ」
 にっこりと美しい鬼が笑う。
「名前を教えてくれたら、儂がお前さんの守護をしてやろう。なに、こんな半端だが、言祝ぐくらいわけないことさ。なんならこの辺りの地祇に頼んで加護をやってもいい。あのじじい、すっかり儂にほの字だからね。儂の名前を訊く奴なんて珍しいもの。そんくらいの大盤振る舞いはしてやるよ」
 ヌシの言祝ぎ。地祇の加護。山の民として、それを受けることは神の一員になるに等しい。アビは唐突に突き付けられた祝福に喉を鳴らした。
「どうするね? 別に断ってもいいよ、怒って首を取ったりはしないから。腕くらいは食っちまうかもしれないけど」
 断りようがないではないか。アビは覚悟を決め、そっと鬼の耳に口を寄せた。わくわくとした風情で、鬼が顔を突き出す。
「アビ、神火だ」
「あび」
 繰り返して名を呼び、くすくすと笑う。
「いい名だね。温泉が湧きそうだ」
「……次はあんただぞ。約束は……」
「守るさ、もちろん」
 くい、と頬を捕まれ引き寄せられる。はっと気づいた時には、唇を奪われていた。
 柔らかい。一瞬、妙なことに心を奪われる。
 鬼は、アビの唇に直接言霊を送り込んだ。

 げんばつ。元閥。鬼の名前。

 ふ、と唇が離れる。
「……げんばつ」
「そう。軽々しく呼ばれちゃ困るからね。お前の唇じゃなきゃ呼べないように呪をかけといた。あと、儂にしか聞こえないようにね」
「っ、それじゃ俺ばっかり……!」
「なにさ、お前、人の身で鬼と取引しようとしたのかい? そりゃ、虫がよすぎるってもんだよ?」
 くすくすと笑って、鬼……元閥がアビの膝に乗る。
「大丈夫さ、別の物の怪に売ったりなんかしないから。なんせお前さんは、儂の言祝ぎを受けるんだもの」
 白い腕がアビの首に纏わり付く。ぴとりとくっつく肌の甘さに、どきりとする。
「ほら、力を抜きな。これから祝ってやろうってんだから」
 そう言われても、このような美しい女の姿で抱きつかれては、緊張せざるを得ない。アビはそっとその腰に手を回した。恐る恐るとした手つきに、また元閥が笑う。
「アビ」
 柔らかく名を呼ばれる。ふっくらと赤い唇が、一音一音確かめるように、アビの名を紡ぐ。
「好きだよ」
 そんな言祝ぎがあるか。そう思った瞬間、再び唇を奪われた。舌を伝って流し込まれる言霊に、アビは甘い目眩を覚える。

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