2007年04月16日
Fate/Moira Clotho 前編 『ガラスのくつ』
朱元捏造過去。江戸元8〜11歳、朱松さん14〜17歳。
本気で色々捏造な上、色々変態なのでお気をつけください。でも、少年朱松さんはさわやかです。白いです。
軽く性表現あり(あるだけ)。
父母が死んだ。室町より続く前島もこれで終わりだろうと家人が嘆く。継嗣はわずか八歳。詮なきことだ。
「哀れな。東国の龍穴を祀ってきたのは、元来そなたの一族であるというのに」
色濃い眉を悲しげに顰める顔を覚えている。髪も服も江戸の人間とは違った姿で、まるで絵物語の天人のようだと思った。
生まれ育った江戸を離れるのは寂しかったが、まだ手習いも覚束無い童であれば、誰かの下に身を寄せなければならない。
「すぐに戻してやる。そなたがよく学を修めればすぐだ」
旅は子供の足には辛かろうと、ずっと抱えて歩いてくれた。
聖天の、柱の組み上がった、しかし不思議と明るい空とは違う、青く抜けるような空。その下に運び出されたことが、己のもう一つの誕生のように思えた。
朱松と名乗った。
「名はまだ教えてやれぬ。すまんな」
もとの。そう呼ばれていた。父様も母様も、もとの、と。
「そうか。まだ元閥の名は継いでおらなんだか」
元閥は父の名である。自分が元服した暁にはそれを継ぐはずだった。
「前島の主を代々、元閥と言う。溯れば神代に繋がる貴い名だ。今は前島を祀るのは、そなたしかおらぬ。元閥を名乗るがよい」
それは出来ない。父のものである名を、勝手に名乗ることは出来ない。その名を継ぐには大変な修行と儀式が必要であると聞いていた。
「ならば、私がその名を授けてやろう。私にはその資格がある」
「お前に名前をつけてやろう」
人も神も妖も、名に封じられるのだと言う。
「人がなにものかを認めた時に、初めに問うのは、あれはなんという名か、ということだ。そして、それを呼ぶ名が無ければ、名前をつける。名のない存在はない。さかしまに言えば、名のないものは存在しないということになる」
誰にも名を呼ばれぬものは、いないと同じこと。
「故に、この里には名がない。ここは存在してはならぬ里なのだ。そうなっておる。口惜しいことだが仕方のないことだ。だが、そなたは違うぞ。そなたは、東竜を祀る前島の正統なる主だ。元閥の名はそなたのものだ」
「……まえじまにいらっしゃるのは、しょうてんさまです。りゅうじんさまではございません」
「ふむ、確かにそうなっておるな」
朱松はにこりと笑って、もとのの……元閥の頭を撫でた。
「その内に教えてやろう。そなたの役目も合わせて」
大きな手のひら。まだ髪を上げていない若々しい顔がとてもきらきらしく見えた。
尾張の辺りだったと思う。なにせ幼いころの話だ、道など覚えていない。官吏も地頭もいない山深いこの里が、正しくはどこの人別に入るのかも分からなかった。
里は、朱松を中心に回っていた。里の者は全て、朱松に跪いて挨拶をする。元閥に対しても、深く頭を下げる。みやさま、と呼ぶ者もいた。自分は公家などではないのに、と口を尖らすと、その宮ではないと朱松に笑われた。
時には山へ遊びに行くこともあった。自分の足で上りたかったが、大抵は朱松が抱えてくれた。決して険しい道や長い道を歩かせようとしない朱松は、元閥の白く小さな足をひどく愛おしんだ。
「清には纏足という風習がある。娘の足が白く小さいことを貴く美しいとし、布で巻いて小さく固めるそうだ。纏足の娘は骨が歪み歩けなくなるそうだが……おそらく元閥のような足を美しいと思い、それに焦がれたのだろうな。このような愛らしい足が常にあるはずがないものを、愚かなことだ」
足袋を脱ぐ夜毎に丁寧に垢を払い、爪を整え、揉みほぐす。時には足指を口に含み、ねぶることもあった。指を一本一本吸われ、指の股を舌でこそげられ、踝に歯を立てられる。幼心にその淫蕩さは分かり、足指からはい上がる疼きと奇妙なもどかしさに息が乱れ恥ずかしい気持ちになった。しかし、その舌によって常に白く柔らかく保たれる己の足と、それをうっとりと愛でる朱松を見ると、不思議と拒む気になれなかった。
その日も抱かれて山に入った。少し遠くまで行こうと、白い紐を何本か持ち、方向を違える度に小枝に結んで奥へと進んだ。
最初にそれを見つけたのは元閥だった。
「あかまつさま、おやしろが」
「社が?」
元閥の小さい指が指す方向には、たしかに小さな社があった。小稲荷が半回り大きくなった程度の姿ではあったが、朽ちかけた鳥居も残っている。半分以上立ち草と蔓に埋まり、何かがあると思った上で目を向けなければ、見つかりそうにもない姿だった。
元閥は朱松の腕から抜け出し、社に駆け寄る。なぜか里には、社も寺もない。鳥居を見るのは久しぶりのことだった。
「いなりさまでしょうか?」
「いや、白山だな。見ろ」
崩れかけた扉の奥を指さす。よくよく目をこらすと、元閥の肩の高さほどの小さい本尊が見えた。額の回りにぐるりと何かの造作が施されている。
「十一面観音。シラヤマヒメの化身だ」
「しらやま」
「ククリヒメのことだ。知らぬか? まだ日本書紀までは修めておらなんだか」
首をかしげる元閥の隣りに屈み、肩を抱いて小さな観音像を示す。
「古事記のイザナギイザナミの話は学んだな。日本書紀の一書では、イザナギノミコトが黄泉比良坂でイザナミノミコトに別れを告げた後、一人のヒメがイザナギノミコトに話しかける」
元閥は黄泉の話が嫌いだった。暗い場所で朽ち果てて行くイザナミが恐ろしかったのだ。
「これがククリヒメ、つまりシラヤマヒメだ。イザナギノミコトはククリヒメの申したことを褒め、黄泉を後にしたという。ククリヒメがイザナギノミコトになんと話しかけたかは伝わっていない。記紀にククリヒメが登場するのは、この下りだけだ」
なんとあっけない話だろうか。
「だが、ククリヒメを祀る白山神社は優に千を越える。一説には三千をも越えるという。なぜだか分かるか?」
分かるはずがない。ふるふると首を振る。
「ククリヒメが境界の神だからだ。黄泉と地を分ける黄泉比良坂に立つ境界の神。こなたを地の国、かなたを黄泉の国へと分ける道に立つのはククリヒメだ」
黄泉の国。人が人のままでは行けぬ国。
「長吏というものどもを知っているか?」
こくりと頷く。幾度か祭りで見たことがある。
「あの者たちは元来人にあらずと定められ、士農工商に入らず生きる者たちだ。神主であるそなたや里を離れた山の民、そして私と同じとも言えるな」
そういえば、彼がどのような身分なのかを知らない。いやしからざる姿をしているが、武士にも見えぬ。
「しかし、獣の皮剥ぎやなめし、それを使った祭祀物の内匠などは彼らでなければ出来ぬ。彼らが崇める神こそがククリヒメだ。おそらくここにも昔、長吏がいたのであろうな。そして、社が作られた」
信仰はそこに人が暮らすことの証しである。何も崇めずに、何も信じずに生きて行ける人はいない。
「そなたもそうだ」
何を言っているのだろう。首を傾げる。
「そなたも境界に立つものだ。男と女の境界。人と神の境界。そこに立ち、自らをもってこの世の果てを表す」
朱松の指が小袖の襟に入り、するりとうなじの際を撫でられる。指はそのまま頤を辿り、少女のまろやかさと少年の凛々しさを合わせ持つ元閥の頬を確かめる。
「人はそなたを通して神を見、神はそなたを通して人を見る」
ふと朱松の顔が元閥に近づき、焦点が合わなくなるほどの距離でその熱を感じた。
「そなたは、人とも神とも交わるのだよ」
それを口づけというのだと元閥が知るのは、もうしばらく後のことだ。
朱松は常に優しかった。けれども、時に憂いに入ることがある。元閥が膝によればにこりと笑うが、目に刻まれた深い闇は決して消えない。
「我らが位を奪われ四百年になる。都を追われてからなら、五百年だ。先の戦さより、ずっと我々は潜んで生きてきたのだ」
元閥の柔らかな髪を撫でながら、よく朱松は一人ごちた。その頃の元閥にはよく分からぬ言葉だった。
「いつの日か正統を取り戻すことは悲願だ。だが、ただ闇雲に戦を起こしてどうする。これ以上、同胞を失ってどうする」
悲しげな色を帯びる朱松の声に、そっと身を寄せる。十ばかりの子供が女の慰めの真似をしたわけではないが、そうする以外に元閥は彼の側に添う術を知らなかった。
「そなたもだ、元閥。そなたも正しき居場所を追われ、位を奪われ、力を奪われた者の末裔だ。せめて、そなただけでも正しき場所に戻してやりたい。それが私の慰めとなる」
強く元閥の肩を掻き抱く腕。そこ以外に、自分がいる場所はないように覚えた。
ここにいます。元閥は朱松様の側にいます。
そう言いたかったが、言葉にすることはできなかった。
朱松に足を吸われるのが好きだった。
もう、あの疼きが何であるかを知っていたが、甘美な泥はもはや元閥の全身を捉えていた。
足を吸われる時の甘い疼き。ひかがみを嘗め上げられる時の切ない震え。手指をねぶられる時は痛みとくすぐったさが交じり合う。鎖骨から首筋を辿り、うなじを甘く噛む歯。その軌跡を辿って肌を冷やす唾液の道。その肌の一筋を除いて燃えるように熱くなる。
そして唇を合わせ、舌を吸われれば、体の芯でちかりちかりと甘い火花が舞った。瞼を閉じても白い光が消えない。四肢が震え、足指が縮こまり、たまらずに畳を蹴る。舌が朱松に弄ばれる度に、元閥の意識をかき消そうと熱く冷たい波が押し寄せる。心の臓が高麗鼠のように跳ね回った。
齢十にして、元閥は熟した女でも辿りつけぬ官能を覚えていた。もはや、腰紐に手をかけぬ朱松にもどかしさを覚えるほどだった。
ここにいます。ここにおります。
そう言いたくとも、引っ切りなしに甘い声を上げる喉はまともな言葉を紡ぐことはできないのだ。
元服の儀に元閥は立ち会うことを許されなかった。まだ子供なのだから仕方のないことだ。元閥は部屋で碁石を弄びながら待った。
今頃、朱松は髪を切り、髷を結っているのだろうか。この里の男衆は江戸の男とは違い、月代を剃らずそのまま髷を結い、烏帽子を被る。神主と同じだ。父は髷は結っていなかったが。髪を切ってほしくなかった。自分と同じように長くいてほしかった。
光源氏は元服の夜に葵の上と床入りした。ならば、朱松も今宵妻を取るのだろう。ならば、朝まで帰らぬ。待っていろと言っていたくせに。腹立ち紛れに碁石を畳に投げ付ける。
妻を取る。妻がいれば子を成す。子が産まれれば育てねばならない。朱松が元服するということは、今までのように元閥と過ごす時間がなくなるということだ。朝は共に起き里を歩き、昼は書を読み、夜は唇を合わせ、時には同じ床につく。この里に来て三年もそうして来たというのに、もうそうしてはくれぬ。
元服などしなければいい。髪など切らなければいい。妻など取らなければいい。元閥はきりっと唇を噛んだ。
明日の朝、朱松の顔を見たらどのように詰ってやろうかと考えを巡らすことに夢中になるあまり、元閥は聞き慣れた足音が近づいてくることに気付かなかった。
「なんだ、碁石をこんなに散らかして。小さな子供でもあるまいに」
御簾をめくって入って来た朱松は、黒の束帯姿だった。やはり髪を切り髷を結い、烏帽子を被っている。
しかし、妻のところへは行かなかった。
「このように丸いもの、踏めば転ぶ。いかんぞ、投げたりしては」
朱松はそのまま膝をつき、碁石をひとつひとつ拾い出した。束帯と烏帽子さえなければ、前のままの朱松だった。
「朱松さま」
「なんだ」
思わず問うた。
「元服されたのではないのですか?」
「したぞ? この格好を見て分からぬか?」
そうではない。そうではなくて。
「しかし、髻というのは窮屈なものだな。式以外では特に結わずともよいらしい、後で解くか」
真新しい油で撫でつけられた頭をこりこりと掻きながら呟く。
「あの……お嫁様は……」
「なにを言っておるのだ、元閥は」
眉をしかめられる。機嫌を損ねただろうか。
「元服の祝いは言うてくれぬのか」
「……厭です」
どうせ構ってくれぬのなら、厭われてやろう。
「元閥」
朱松の声に怒気が交じった。
「元服など、嬉しくありませぬ。束帯など野暮天じゃ。お嫁様にも笑われればよい」
「だから、嫁とはなんだと……!」
激しい声に元閥は身をすくめる。朱松は怒る時は子供のように激しい。頬を打たれるだろうか。目を固くつむって、くるであろう痛みに備える。
「……はは、分かったぞ」
しかし、痛みはくる事なく、朱松の声は一転して陽気に変わった。
「そなた、私が嫁をとるものと思って拗ねておったな?」
「す、拗ねてなどおりませぬ!」
拗ねている。図星を刺され、かっと顔が熱くなる。
「はははははっ! ういやつだ、小さな童だと思うておったら、もう悋気を覚えようた」
「悋気などではない! ばかにするな!」
血が昇り、碁石を投げ付けてやろうと碁笥に伸ばした手を、ぐっと掴まれる。
「私が他の女に取られるのは厭か」
いつものように真っすぐに元閥の目を見て囁く。その顔を縁取る茶を帯びた長い髪がないだけで、ひどく印象が変わった。この方は大人に、男になられたのだと、初めて分かった。
それでも笑顔は昨日のままなのだ。
「安心せい。妻などまだ取らぬ。取ったとしても、子を成すためだけよ。大切なそなたを差し置くわけがあろうか」
手首を引かれ、束帯の固く広い袖の中に抱きとめられる。膝が碁笥をひっ繰り返してしまったが、そのようなことに気取られている余裕はなかった。
「私のまことは、そなただけのものだ」
いつもと変わらぬ口づけなのに、ひどく甘かった。甘いを通り越して、痛みを覚える。心の臓は握り潰されるように苦しく、激しく脈を打ち、その脈に合わせてずきんずきんとこめかみが痛む。
朱松の手が腰紐にかかる。
「……ああ……」
喜びなのか、不安なのか、期待なのか、恐れなのか。
形容し難い気持ちに元閥は深く息を吐き、その腕に身を任せた。
朱松を受け入れるのは、さすがに痛みを伴った。その唇から受ける愛撫のように、ただひたすらに甘美とはいかなかった。
だが痛みに耐え、じっと内側の朱松を感じ取ることに気を集中していると、その痛みの向こうに深い感覚の兆しのようなものが見える。それを手にいれようと、元閥はそっと息を吐きながら、丹田に意識を集める。
「ん……あっ……」
己の口から出た声の甘さに、己で驚く。なんと淫らで恥ずかしい声だろう。しかし、一度口を出たそれを止めることができなかった。
「あっ……あぁ……は……」
よいか、と聞かれ、背中に口づけられる。
分からぬ。ぞくぞくと背筋が震え、腹の内が逃れたくなるようなもどかしさでいっぱいになり、身を捩ってそれを抑え込まねば気が狂いそうになる。これがよいのか悪いのか、元閥には分からなかった。
厭ではないのに、いや、いやと口をついて出る。痛みを伴う甘さが頭蓋の中を駆け巡り、目の前がぼんやりと現実感を失って行く。別の世界に流されて行くというのは、きっとこのような感じなのだろう。
身のうちから何かが競り上がってくる。ぐいぐいと今ここにいる元閥を追いやろうとしているそれに、根源的な恐怖を覚えた。
ああ、あかまつさま。こわい、こわい。なにかがくる。なにかがさらいにくる。
「それはな、来るのではない。行くのだ。そなたがそれに乗って行くのだ」
どこへ。どこへもいきたくはない。こわい。もっとつよく。いってしまう。こわい。
「行くのは心だけだ。身は私と共にある。安心せい、どこへもやらぬ」
違う。心すらあなたと一時も離れたくはないのに。
また、それは言葉に出来なかった。喉も裂けよとばかりに出る甘い悲鳴に押し流され、言うことが出来なかった。
その日、初めて元閥の陽根は白いものを吐いた。男になると共に、女になった。
「そなただけに教えてやろう」
乱れた装束に埋もれるように抱き合う。汗ばんだ素肌に正絹がぺとりぺとりと張り付きむずがゆい。
「我らはな、失われた天子様の末裔だ」
失われた。どういうことか。
「正しき天子様の血を残すため、このように隠れ住んでいる。宝物も呪物も残っておる。皆、いつか都に戻ることを悲願としている」
朱松の髷の解けた頭が、元閥の薄い胸に擦り寄る。
「今更戻って何になる。もはやこの国の全ては徳川に奪われたまま、二百余年。帝は実権を追われ、我らと同じように京に隠れ住んでいるだけではないか」
怒っているのか、悲しんでいるのか、嘲っているのか、哀れんでいるのか。その声に滲んだ複雑な色を理解するには、元閥は幼すぎた。ただ、朱松が寂しいのだというのは分かった。その頭を撫でようとしたが、己の小さな手では摩るというほうが正しい。
「私はそなたがいればよい。私もそなたも追われた孤独な魂だ。私は、そなたが側にいてくれれば、もう……」
細く小さな元閥の体にすがりつき、朱松がしくしくと泣く。朱松が泣く姿を初めて見た。人は、大人になってこそ泣くのだと、初めて知った。
わたしもあなたがいればいい。
ともすれば、同じ悲しみの国に落ちそうな境界のただ中で、元閥は朱松を抱きとめた。
- by まつえー
- at 12:04
- in 小咄
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