2007年05月13日
BITTERSWEET FOOLS
『かむながら』と同じ形式というか、Fateシリーズのアナザーというか。
Fateシリーズの往元からこぼれてしまいそうな内容を盛り込みつつ、江戸元妄想過去。
一応、メインは往元。甘ったれてます。
「おや、いらっしゃい、竜導さん」
「……別に遊びにきた訳じゃねえぞ、俺は」
「儂は非番なんだよ」
故に、ここは務めの場ではなく、自宅であると。社の縁側に茣蓙を敷き、寝っ転がって貸本をめくる元閥の横まで上がる。
「他は?」
「小笠原様と宰蔵さんは、浅草で唐渡りの演芸やるってんで見に行った。アビは買い物だね。米がないんだ」
「じゃあ、番は俺だけか」
「そうなるねえ」
まあ、お気張りよ。無責任な言葉を吐いた元閥は文字に目を落としたままだ。ここが自宅だというなら、客の顔くらい見たらどうだ。
自宅。ぐるっと首を回して、社を見上げる。長屋よりははるかに大きいが、屋敷としては小さすぎる。ここは雨が吹き込まないから、川床や砂地もそのまま住処になるとしても、寝泊まりする場所としては最低限の場所と言わざるを得ない。
「……お前、ここに住んでるんだよな?」
「それがなにか?」
「上に屋敷とかはねえのか」
「先代までありましたけどね、儂一人には広すぎて。今は人に貸してますよ」
そう言って、指先で円を作る。結構いい金になると。
「わざわざこんな襤褸なところに住むことはねえだろう」
「……由緒正しい前島にひどいこと言いますねえ。雨風吹き込まない分、あんたの長屋よりマシだよ」
元閥ならば、数寄屋のしっとりした屋敷の方が似合うと思っただけだ。
「アビもここなんだよな?」
「ええ」
「どこで寝てんだ?」
「まあ、いやらしい」
そういう意味じゃない。
「大体、あそこらへんで」
川床や砂地をくるくると指し示す。
「雨風なけりゃどこでもいいんですよ、あの子は。たまに舟で寝てますし」
「……ああ……そうか。うん……」
「たまにゃあ、一緒に寝ますけどね」
思わず元閥を振り返ると、口の端をむにっと上げておどけた顔をしていた。
「……どういうことだ?」
「まあ、お好きなように」
くつくつと笑う顔が非常に嬉しそうで、それ以上、問う気が無くなる。
代わりにひとつの疑問が浮かぶ。
「お前、女が駄目って訳じゃねえんだろう」
「そんなら吉原にゃあいかねえでしょうよ。嫌いじゃないですよ、妻がいたころもありましたし」
「……いたのか!」
「あのね、儂はあんたよりか若いですけど、あと三年で三十路だよ? いないほうがおかしいじゃないか」
「今はいねえんだろう」
「三年添って、子供が出来なかったからね。次の嫁入り先探してから離縁した。そっちじゃもう三人も子を成してるって言うんだから、石女じゃない。儂が悪いんだろうね、きっと」
子が出来なかった場合、ほとんどは女を責めるものだが、自分の責を頭に入れている辺り、やはり元閥が普通の男と違うところだろう。しかし、別れてから子が三人となれば、相当年月が経っている。その前にも三年添ってると言うなら、一体、嫁を取ったのはいつの話やら。
「儂は別に女が駄目って訳じゃないよ。どっちかっていや、女の方さ。あいつら、儂が駄目なんだ」
寝そべる元閥の顔を上から見下ろせば、驚くほど長く密に生えた睫が一番に目につく。曲がりもなく、すっと通った鼻筋。真鍮の吸い口を銜える唇は小さくふっくらとしている。役者にでもなっていれば、江戸小町の一人に数えられるだろう。自分よりはるかに美しい男と添うというのは、女にとって苦痛ではなかろうか。
「女と会う時は、男のかっこしてみたりもしたんだがね。儂は生まれたころからこのなりだからねえ、どうもしっくりこない。自分が自分じゃねえみたいな素振りになっちまう。女は勘がいい、自分の隣りを歩く男がギスギスしてりゃ離れて行くもんさ」
すでに草が燃え尽きた煙管をいつまでも噛む。口から離すのが嫌なのか。
「だから吉原は好きさ。あの異人の小娘もそうじゃないかね。大門からこっちにゃ、生まれも血も育ちも成り形もない、男か女かそれしかねえんだから」
何者でもない、のではなく、何者にもなれない。自分と世界を隔てる薄い膜。その薄皮一枚が、ひどい孤独を生む。
「往さん、儂はあんたがわかんねえよ」
薄皮の向こうは、ひどくきらきらして見える。決して手に入らないから。
「ここは、寂しいよ」
元閥は俗世にいながら、俗世の住人ではないのだ。生まれた時から異界におり、異界から俗世を見、それに焦がれてきた。
ならば、往壓に苛立ちもするだろう。往壓は元閥が焦がれても手に入らぬものを捨てようとした男だ。
「……変な愚痴を言ったねえ」
「ああ、そうだな」
「忘れておくれ。妻の話なんざ初めて喋ったよ。小笠原様でも知らないってのにさ」
「じゃあ、秘密にしておくか」
「うん、儂と往壓さんの秘密だよ」
くすくす笑って揺れる頭をそっと撫でる。油の塗られていないさらさらと乾いた髪の感触は、今まで触れたことのない触り心地だった。きっと、元閥の身体は全てそうだろう。他に同じものはない、元閥だけが持つものだ。この身一つが、既に異なるものだ。
手をするりと頬に滑らせる。華奢な頤は、往壓の手のひらにすっぽりと収まる。
「寂しかったか」
「まあねえ」
「今もか?」
「そうでもない。毎日、あんたらが来るしね」
「アビもいるしな」
元閥は答えずに、すりと往壓の手に頬擦りをした。ああ、この肌も薄い皮だ。白粉を塗られ、元閥と世界を切り離す薄い皮だ。
「あの子は違う世界に住んでるんだ」
その皮を引き破れば、元閥を遮るものはなくなるのだろう。しかしそれは、元閥が元閥でなくなるということに等しい。
「こっちにゃ引き込めない」
その頭をつかんで、腿に顔を伏せさせた。泣くと思ったのだ。しかし、いつまでたっても腿の布地が濡れる気配はなく、元閥は手を振り払いもせず、身じろぎもしない。
泣けばいいのに。そう思っても、往壓がそれを口にするのは、許されないことだと思った。
- by まつえー
- at 20:06
- in 小咄
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