2007年05月15日

Fate/Moira Atropos 後編 『竜†恋』

 もしくは、『或いは英雄は如何にして恋する竜を殺戮し、その物語を完成させたのか』。

 Fateシリーズ完結編で、こちらの後編。往元でアビ元。
 幕間直後辺りのお話。


恋人よ
呪いの様に生きて
祝いの様に死のう
  --Nitroplus 『竜†恋』より。
 
 
 
 
 
 
 
 

 往壓が昼寝から覚め、そろそろ長屋に帰ろうかと川床を見渡せば、舟がなかった。
 まずい。先だっての騒動で川床をつなぐ橋が壊れたから、砂浜まで歩いて抜け道を使うこともできない。誰かが聖天に来るまで、外に出れぬ。往壓が拝殿にいることは分かっているだろうに、舟を持ち出したのは誰だ。一人しかいないわけだが。
 元閥だ。往壓が昼寝を始めたころ、社にいたのは元閥だけだった。騒動以来、元閥はほとんどを聖天に籠もるようになった。吉原にも足を向けない。給金が出ないせいかとも思ったが、もとより自分らの給金であれだけの遊びが出来たはずはなく、金に困っている風は見えないので、単に外に出たくないのだろう。
 外がいやなのか、ここにいたいのか。すでに神を失った社に神主がいてどうなる。
 もしも、外へ出て行ったのなら、それはそれで喜ばしいことなのだが、置いてけぼりは困る。
 ふと、視界の端に見慣れた舟が映る。軽くため息をつく。やはりあの神主は、外へ出たくないらしい。
 砂浜へつけられた舟。白い丘の中央に寝っ転がる紫の小袖はやたら目立った。


「おやまあどうしました、ずぶ濡れになっちまって」
 どの口がそう言うか。いくら呼びかけても起きる気配がない。この分ではいつになったら外に出れるか、埒が明かない。事態が膠着するよりはよいと思い、往壓は湖に飛び込み砂浜まで泳いだ。最初は着物は脱いで下帯ひとつで行こうと思ったのだが、実のところ、呼びかける段階で身を乗り出し過ぎて水に落ちていた。どうせなら濡れ鼠の姿を見せてやった方が反省も促されるに違いあるまい。
 全然気にしていないようだが。
 むにゃむにゃと目許をこする元閥の隣りに腰を下ろし、濡れそぼった着物を絞る。頭にきたので、こちらからは話しかけないことにする。
 しかし元閥ときたら居心地悪そうな顔をするでもなく、目の前に転がった袖のほつれ糸を引っ張ったり、鉤裂きに指を突っ込んで広げようとしたり、濡れた往壓の背中に砂を投げ付けてくっつく様を見て楽しんでいたりする。
 往壓が怒った素振りをしているのを全部分かった上でやっているのだ。なんて奴だ。
 ついには、辛抱できなくなり、
「あのな、江戸元」
「ごめんよ、往壓さん。往壓さんが起きる前には戻るつもりだったんだけれど、あんまり気持ち良かったものだから。許しておくれ」
 にっこりと小首を傾げられたら、何も言えなくなる。本当に人の気持ちに聡い奴だ。往壓は口をもごもごさせ、諦めて濡れた着物をもう一度羽織った。
「出掛けちまったのかと思ったぜ」
「出掛けねえよ。面倒臭い」
 そう言って、素足で砂を掻く。往壓が知る限り、元閥は半月は外に出ていない。夏場をいいことに、風呂も全部行水ですませている。
「日にあたらねえと体に悪いぞ」
「うるさいね、親じゃあるまいし」
「心配しちゃあ悪いか」
「心配される覚えがないよ」
「するさ。仮にも枕を交わした仲だぜ」
「儂はそんなもん交わした覚えねえなあ。手ごめにされた覚えならあるがね」
 この先付き合いが続く限り、このことを言われるのだろうな、と思うと、多少げんなりとする。自業自得と言われればそれまでだが。
「往壓さんは優しいね」
 あれの後でこれだ。男を手玉に取るために生まれてきたのだろうか。世間では四十になって不惑というが、十分に惑わされている。
「お前さんによくしてくれる男なんか、ごろごろしている」
「腹ぁ刺されても心配してくれるのは、往壓さんだけさ」
 全く、どこからどこまでが本音でどこからどこまでが嘘なのやら。
「本当にお前さんには驚かされてばかりだ」
 一度は身を投げ、一度は刺され。小娘に振り回されている気分だ。
「怒らないねえ」
「今更怒ってどうする」
「怒られると思ってたよ」
 ちらと横目で振り返れば、童のように自分の足指をぐにぐにと揉みながら膝を抱えている。
「みんな、もう二度と口もきいてくれないもんだと思ってた」
 なんでこうも七面倒くさいのか。
「怒ってほしいのか」
「…………んー……」
「俺達になに一つ言わねえで、一人で全部抱え込んで、騙して、勝手な考えで動いて、それを怒ってほしいのか。童みてえにげんこつ食らいてえのか」
 変な顔をしていた。目許はいつも通りの他人を値踏みするような目なのに、口元だけが親に叱り付けられている子供のようなへの字だ。多分、内心もこの顔そのものなのだろう。
「……七夕の時、死のうとしたのはあいつらのせいか」
「さてね」
「どういう仲だ。古い知り合いだったんだろう」
「うーん……」
「なんで俺達に相談しなかった」
「しなかったっけ?」
「ほら見ろ、これだ」
 いつでもそうだ。肝心な部分は決して自分から口にしない。はぐらかす。自分一人で抱えて、何とかしようとする。ただきっと、それは他人を信用していないわけではないのだ。
「お前さんはな、怖いんだよ。自分の苦しい部分を他人に見られんのが怖いんだ。同情されんのが嫌だとか、そんなんじゃねえだろう。……それを、奪われちまうのが怖いんだろう」
「勝手なこと言うね」
「お前さんには散々言われてきたからな。あんだけ言われりゃ大体分かってくるさ。お前さんが俺に当たり散らすのはな、俺みてえに他人に弱み押し付けるのが理解出来ねえからだよ。自分の脆い部分を人に見せて生きて行くのが信じられねえんだ」
「だって、怖いじゃないか」
 初めて肯定の言葉を吐いた。
「儂にゃ分からねえよ。てめえの荷物はてめえで抱えるもんさ。誰かに押し付けて、そいつがそれを後生大事に抱えてくれてるって何故思える。捨てられるのも嫌だがね、それよりも……」
「それで、そいつが潰れちまうのが怖いか」
「……怖いねえ。ぞっとする」
「アビにもそうなんだろう、お前」
 視線を微かにそらし、膝を引き寄せてわずかに身を固くする。
「だって、あの子は山の民だよう?」
「ああ、そうだ」
「じゃあ、余計な荷物は背負わせられんよ」
「前も言ってたな」
「そうだっけ?」
「言ってたさ。俺も言ったはずだぜ。あいつもいい大人なんだ、背負える荷物くらい自分で選ぶだろうってよ」
「それが気の迷いだったり、間違いだったってことはないのかい」
 これ以上は踏み込ませない。それが元閥の檻だ。自分で作り上げた檻だ。その奥にいる元閥はきっと……小さな童だ。
「俺でも駄目か」
「何を思い上がったこと言ってんだろうね、この爺は」
「だってな、もうお前の名前は背負ってんだぜ」
 着物を掴む元閥の指を、そっと手に取る。
「俺はもう捨てねえよ。少なくとも人の形をしている内はな」
「あやふやな話だね」
「……駄目か」
 往壓が手に取った元閥の人差し指と中指。微かに力が込められ、わずかに引かれ、浮こうとピクリと動き、最後にはそっと力が抜かれた。それを往壓は握り締めようとはしなかった。それでは意味がない。手ごめにするのと同じことだ。
「……話したら、」
「うん?」
「話したら、もっかい、往さんの背中に乗っけてもらえるかい?」
 何を言うかと思えば。
「お前がいい子にしてて、そして、お前が俺を見捨てなきゃな」
 ふっと元閥の表情から気が抜けた。
「うろこ引っ剥がされたらたまったもんじゃねえ」
 ふふふ、と声を立てて笑う顔は、童のようだ。

 うん、そんなに長い話じゃないんだ。
 古い知り合いだよ。物心つくかつかねえかってころからの。
 色々教わった。祝詞やら縁起やら、妖夷のことやら、この世のいろいろやら。
 だからね、儂はそれがこの世界の全てなんだと思ってた。
 でも、違うんだよねえ。
 全部を教えてもらっていたと思ってたのに、儂が知らないことは多すぎた。
 儂にはどうにもならないことが多すぎた。
 だからさ、思い知ったんだよ。
 誰かの物語にゃ口出しできない。
 それはそいつの物語で、儂にはそれを邪魔したりすることはできない。
 そういうもんなんだって。
 だから、誰も儂の物語は邪魔できない。
 それが儂の呪いだから。

 元閥はここでひとつ息をついた。

 宰蔵さんが芝居は幻だって言ってただろ。
 幻だよねえ。
 煙草吸っても、女抱いても、誰かを慈しんでも、全部幻だ。
 ふわふわしてて掴みようがない。
 幻が儂の呪いを救ってくれるわけがない。
 この世の辛さなんて分からねえよ。
 そんなもん、あると思えばある、ないと思えばない。
 それだけのもんじゃないか。幻だよ。
 怖い夢見て泣くのと同じさ。
 でも、呪いはあるんだ。
 なにもかもに名前があるように。
 儂は前島の神子で、
 神代から続く社を守り、
 江戸の地を恨む怨霊を鎮め、
 徳川の泰平を願い奉り、
 妖夷に仕え、妖夷を祀る一族の裔、
 江戸元閥だ。
 それが儂の物語だ。

「だからね、往さん。儂は、物語を間違えたかったんだよ」

 ここから踏み外しちまえばどうなるんだろうって。
 姿も見えない神様を畏れてびくびくすることにうんざりしちまった。
 見えなきゃ幻と一緒じゃないかって、気付いちまった。
 だって、神様はいるんだよ。
 いるどころか、殺して食うことだってできる。血と肉になる。
 儂を呪って縛り付けるだけの幻なんか畏れなくても、
 見て、触れて、言葉を交わして、
 終わるはずの儂の物語に茶々入れて、
 儂の名前を呼んでくれる、
 世界で一番きれいなものを見せてくれる神様は、
 いるんだよ。

「往さん、ごめんね。痛かっただろう? でもね、儂は、物語を間違えたかったんだ。幻に捕らわれて、どこにも行けないで、誰かの真心なんか信じることもできない。ただこの世の全てを呪うだけの、そんな物語を、間違えたかったんだよう」
 元閥の身体が崩れる前に、その頭を肩に抱き寄せた。子供をあやすように、背中をゆっくりと叩いてやる。
「大丈夫だよ。なんにも間違っちゃいねえじゃねえか」
 こくんと、元閥の額が肩を擦る。
「お前さんは間違っちゃいねえよ。悪いムカデがいなくなって、悪い鬼共もいなくなって、この世は太平で、だあれも不幸になんかなっちゃいねえ。めでたしめでたしだ。間違っちゃいねえよ、なあ」
 外に出たがらなかったのはそのためか。自分が壊してしまった物語から逃げることを、もしくはその壊れた物語によって変わってしまった世界を見るのが怖かったのか。
「大丈夫だ、大丈夫だよ」
 元閥が寝付くまでずっと叩いてやろうと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「元閥」
 ぐりっと首を右上に捻ると、ひどく高い位置に遠慮がちに眉をしかめた顔があった。
「なんだい、アビ」
「……往壓さんと何かあったか?」
 ぷか、と煙をひとかたまり吐く。
「ないよ? なんでだい」
「よく、往壓さんを見てる」
「往さんを見てんのはお前じゃねえのかい」
「違う!」
 顔を真っ赤にして否定するアビを、くつくつと喉で笑う。
 なにもない、なにもありゃしない。あれ以来、往壓が元閥に接する態度は、子供に対するそれだ。アトルと大差ない。思うに、本来往壓は大人相手では萎縮してしまうたちだろう。子供や年下のように無条件で有利に立てる相手でないと、余裕をもって立ち回ることができない。
 本当にだめな人。
「あんな甲斐性無しと何かあるものかよ」
 神は畏れられ祀られて神になるのだ。あの男も、畏れられ祀られねば男になれない。
「アビ」
「なんだ」
「お前は山の民だよねえ」
「……往壓さんはそう言った」
「往さんはいいんだよ。どうせあの人、口だけうまい人なんだから。お前はどう思ってるんだい」
 漂泊と無常を生りとするかどうか。
「俺は」
 にこにこと次の言葉を待ってやる。その言葉は分かり切っていた。なんと答えてやるかも、それに対してアビがどんな顔をするかも分かり切っていた。
「俺は、元閥の側にいる」
「じゃあ、儂がお前にとってのお山ってことになるのかな」
 ほら、やっぱり。眉を捻って、困った顔で口ごもる。
「琉球にね、ニライカナイって信仰があるんだけれど」
「琉球?」
「南の方、薩摩よりもっと南の暑い国さ。小さな島が集まってできた国で、漁や船で生業を立てるものが多い。その国ではね、海の向こうにニライカナイって国があって、神様や幸せはみんなそこから来て、死んだものはそこに帰って行くと考えられている」
「それがどうした」
「スクナビコが帰っていった常世もきっとニライカナイだよ」
 天孫ニニギを助けるため海より来て、海へ帰って行った神。
「海は王の支配を受けない。里ではないから。だから、稀人は海より来て海へ帰る。山もそうだよ。稀人が来て帰る場所だ」
 神殿は、人と神との境界に属す。そこに仕える神子は人とも神とも交わり、二つの世界をつなぐ。サトとヤマ、サトとウミであっても同様だ。
 ここではなにもかもが交わり合い、なにもかもが留まらない。
「……ずっと側にいろなんて言わないよ」
 そこまで望むのは、強欲が過ぎるというものだ。

「ただ、いつも想って、いつも恋うて、いつも焦がれて、いつか帰ってきておくれ」

 だから、もっと強欲になってやろうと思った。
 お前がどのような物語を選ぶのかなど知らぬ。それに手を出せるほど身の程を知らぬことはない。
 しかし、その物語の終わりには自分がいるのだと、

 そう、呪いをかけた。

 我が儘すぎる元閥の言葉に、アビが真剣な顔で頷くのがおかしかった。
「さて、行こうかね」
「どこへ? 今日は妖夷も……」
「常世へさ」
 アビの手を引っ張り、階段を駆け降りる。
 その勢いのまま、川床でぼうっと突っ立っていた往壓の背中に体当たりをした。運悪く、往壓の先の欄干は壊れたままだ。
 どばしゃん!
「うおわぁ!?」
「往壓さーーん!?」
「あははははははははは!」
 見事に水没する往壓、引っ張り上げようと手を伸ばすアビ、二人を見て元閥が腹を抱えて笑う。
「江戸元! てめえ、何しやがる……!」
「往さん、今日は満月だよ。約束だよ」
「……なにが」
「ひどい人だね。言ったじゃないか、駁に乗せてくれるって」
「本気だったのか、お前!」
「当たり前だよう。今日は生憎の曇りだもの。中秋の月はどたばたしていてろくに見れなかった。今日月見ができないと、秋が終わらないねえ」
 にっこりと無邪気な顔で笑ってやる。
「アビも乗せてやっとくれ。小笠原様も宰蔵さんも誘おう。雲七さん連れてこなきゃいけないから、アトルと狂斎もついてくるね。乗れるかねえ」
「……無理だろう、元閥」
 駁は大きいが、背中はさほど広くない。
「じゃあ、儂とアビだけでいいや」
「……お前さんはいいが、アビは断る」
「なんで」
「重い」
 往壓の言葉にアビが眉をひん曲げ、元閥がけたけた笑って背中をばしばし叩く。
「……そう簡単に駁になれなんぞ言うのは、お前さんくらいだぞ」
「だって、別に大したことじゃないじゃないか」
 きゅっと往壓の手を握る。
「往さんが妖夷になっても、儂が戻してやるよ。往さんがあっちに連れて行かれそうになっても大丈夫だよ。儂がいれば大丈夫だろ。ね? 往さん」
 往さんは儂のとこに帰ってくればいいんだよ。
 見えはしないが、アビの眉はさらに曲がっているのだろう。往壓の眉が曲がっているように。
「……そういうもんか」
「そういうもんさ」
 出掛けるなら着替えてくる。そう言って往壓は拝殿へ昇っていった。残された二人は、なんとは無しに顔を見合わせる。
「元閥……」
「残念だったね、乗せてもらえないってさ」
 そう言ってから、元閥は軽く背伸びをし、アビの耳元で囁いた。
 でも、お前には儂が月を見せてやったから、いいじゃないか。
「そうだな」
「そうだよぅ」
 額をすり合わせ、ひとしきり笑った。

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