2007年05月19日
ドキドキお姉さん
江戸元の元カレ話で、江戸元愛され話で、江戸元がみんなのお姉ちゃん話。リビドー全開。
コメディというかギャグというか。一応、奇士オールキャラ。
雪輪綾の入った臙脂の小袖にしっとりと黒い半襟。帯は厚く織られた黒絹帯を垂らして結び、べっ甲細工の帯留めがよく映える。裏地のついた羽織を引っ掛け、髪を漆の簪に巻いて結び、最後に手鏡で紅の乗りを確かめる。
数カ月前なら岡っ引きに引っ張られてもおかしくない格好だが、だいぶ締め付けもゆるくなった昨今、派手な色を使ってない割りに贅を尽くすという姿は流行りに合っている。
「……何をしているんだ? 江戸元」
「支度ですけれども?」
「なんの?」
「そりゃ、出掛ける支度を」
「どこへ?」
「いやらしいこと聞かないでくださいよ」
帰りは明日になりますから、裏道から行きますね。そう言って随道の端道に消えた元閥を見送り、すぐさま宰蔵は九段へ走った。
「お頭お頭お頭! 江戸元が江戸元が江戸元が!」
「落ち着け、宰蔵」
縁側で往壓と碁を打つ放三郎の元へ、半分転びながら駆け寄る。裏手で薪割りをしていたアビも騒ぎを聞き付けて出てきた。
上がる息を必死に押さえ込み、
「え、えどげん、えど、えどげんが……なんか、えらいめかしこんで……」
「いつもめかし込んでるじゃねえか、あいつぁ」
往壓の言葉にぶんぶんと首を振る。
「か、かみも……かんざしを……」
「昔はよく差していたぞ。倹約令が出てからは、地味なものしか使えぬのでつまらないと、結び方を変えていたが」
放三郎の言葉にも激しく首を振る。
「あ、あい、あいびき……」
「……なんだって、宰蔵さん」
アビがぐいと迫ってくる。
「あいびき、逢い引きに行くって、江戸元が!」
絶望したかのように膝を折るアビ。
そりゃあ、逢い引きくらいするだろうと、碁盤を睨む往壓。
放三郎は、ふと宙を睨み、一人得心する。
「ああ、もうあれから四年か」
「「何か知ってるんですか、お頭!」」
宰蔵の高く響く声とアビの低く這う声が重なり合って、放三郎の耳を揺らす。二人とも腹から声を出すものだから、同時に大声を出されるとうるさくて敵わない。
「詳しくは知らん。まあ、その頃の江戸元のいい人だ」
「話してください、小笠原さん!」
「女ですか男ですか!?」
「……その、最初っから男が含まれてるってのは、何なんだろうなあ」
「うるさい、竜導! 女相手だったら、あんなぴかぴかした格好するものか!」
「じゃあ、男じゃねえか」
放三郎に詰め寄るアビと宰蔵に石を崩されぬよう、ずずと碁盤を引きずって離す。局面は均衡している。あと一歩で勝てそうな気配があるところを台無しにされるわけにはいかない。
「えー……どこかの藩の家老の若……だったかな? 私も見かけたことがあるくらいでよく知らぬ。参勤で四年前に国に帰った。で、また江戸にこれるのが今年だと……」
ひゃー、と、声にならぬ声を上げて、顔を真っ赤にする宰蔵と、はああ、と、絶望のため息をついて、真っ青になるアビの対比が面白い。
「お、お殿様じゃないですか!」
「まあ、そうなるだろうな。吉原で知り合ったそうだが」
「……吉原で花魁買わずに男見つけるってのも、酔狂なお人だな、そいつぁ」
「連れ帰るとか言っていたらしいがな。江戸元は神職がある故、それは叶わぬと……」
「…………今はもう神職ではない」
アビの言葉に、一瞬、しんと静まり返る。
「うむ、そういえばそうだな」
「えええええ、それじゃあ、もしかしてもしかして!」
「宰蔵さん、元閥はどこへ行くと……!」
「よせよ、お前さんたち。そういう野暮天はぁ」
ぎゃんぎゃん騒ぎだして、地図はどこだ抜け道の隠し絵図はどこだと右往左往するアビと宰蔵を尻目に、放三郎はようやく打たれた往壓の石に注視する。いい手だ。
「この端道を入っていったから、抜けるのがここで……」宰蔵。
「人形町のほうだな」アビ。
「ああ、新しい料理屋が開いたと言っていたな」放三郎。
「あそこは料理屋って言うより、出合い茶屋だろうよ」そして往壓。
きゃーー、と、低いのやら高いのやら分からぬ悲鳴が響く。すぐに後を追うだのその格好は目立つから着物に着替えろだの、どったんばったんあっちの座敷から行李を引き、こっちの座敷から羽織を持ち出しと二人が暴れだす。
「……竜導、余計なことを申すな」
「だってなぁ……」
「竜導! お前も来い!」
「はぁ?」
藍の絣に着替えた宰蔵が、座敷から首を出し往壓の袖を引く。
「私もアビも茶屋のことなど分からぬ! 来い!」
「なんだ、お前ら! 出歯亀でもするつもりか!」
「奇士の仲間が江戸を離れるのかもしれんのだぞ!」
「嘘つけ! 野次馬したいだけだろう!」
「……宰蔵、落ち着け」
放三郎がさすがに差し止めようとした時、奥の座敷から海老茶の着流しに着替えたアビがぬっと顔を出す。
「……失礼します、往壓さん」
「うおわああ!?」
ひょいと往壓を肩にかつぎ上げ、そのままのしのし廊下を立ち去っていく。
「ちょ、降ろせ! 俺は野次馬なんかにゃ興味ねえぞ!」
「人形町なら笠間稲荷か!?」
「おそらく。船を使えば、なんとか早回りが……」
「おーろーせーー!」
一人取り残された放三郎は、ぽかんと口を開けるばかりだった。
表参道に立ち並んだ茶店の一つ。上方帰りの看板娘が話題の店に、三十がらみの背がしゃんとした男と、妙に艶っぽいが品を感じさせる女、に見える男が二人連れ。
「……どう見ても、やもめ武士と若後家だな」
元閥は女としてみれば、芸者や遊女上がりにしては媚が無さ過ぎるし、真っ当な女房にしては色気があり過ぎる。男も苦労も知った若後家というのが一番しっくりくる。
若様とか言う男の方は、袴は履いているものの大小は差しておらず、着物の色合いなどは江戸の町人風で参勤武士の野暮ったさなど微塵もない。顔立ちも眉色は濃いが育ちのよさを感じさせる品があり、確かに、下手に女に溺れるよりも美童との真摯な契りが似合いそうに見える。元閥は美童と言うには色々と問題があるが。
「どうですか、往壓さん」
すっと後ろにアビの気配が現れる。こいつ、妖夷を追っている時より気合が入ってはいまいか。
「……どーもこーもねーよ。喋ってるだけだ」
「何を喋ってるか……」
「分かるか! 忍びじゃねえんだから!」
往壓たちは参道を挟んで向かい側、飴屋の陰に隠れ、元閥の様子を伺っている。豆粒とは言わないが、かなり距離も離れているし、天気もよく人通りも多い笠間稲荷の参道はざわついていて音も聞き取れない。ただし、表情くらいは分かる。
「お、笑った」
「……ずっとあんな感じですか」
「あんな感じだな」
いかにも、数年ぶりに再会した古馴染みだ。思い出話や近況に花が咲き、遠慮なくけらけら笑い合っていると以外著しようのない風情だ。
背後からたたたっと軽快な足音が聞こえてきた。宰蔵だ。
「往壓の言った通りだ。二町先のゆかり屋。あの武家が予約を入れていた」
「……本当に聞きに行ったのか」
「宰蔵さん、名前は分かるか?」
「あのな、出合い茶屋が客の名前を漏らす訳が……」
「うむ、下男に二分ばかり掴ませて聞き出した」
「ニ分ぅ!?」
「なんだ、それくらいの金は持ってるぞ、私も」
持っている持っていないではなく、こんなことに二分も出すことが信じられない。
「姓は長谷、名は新衛。まあ、偽名だな。仙台藩の出だそうだ」
「仙台……」
「おー、そりゃ羽振りの良さそうなところで」
仙台藩の、しかも家老の若殿であれば、元閥のためにひとつ社を作るくらいもやるだろう。連れ帰ろうとすれば簡単なことだ。
「とりあえず、隣りの座敷を抑えておいた。これで……」
「座敷抑えてどうするんだ、宰蔵」
「そりゃ、話を聞いて……」
「出合い茶屋で悠長に話なんぞするものかよ」
「料理を食いながら話すだろう! そ、そりゃ夜は……!」
「あのな。あそこは鰻を出すんだぞ? 鰻は出てくるのに半刻か一刻からかかる。その間にしっぽり決め込むのが常套だ」
宰蔵の顔が見る見る赤くなり、ぱくぱく口を開け閉めする。芝居小屋育ちだけあって年頃よりは耳年増ではあるが、細かい男女のやり取りとなると一気に子供に戻る。
「く、食う前にやるのか!?」
「やるとか言うな、嫁入り前がはしたない」
「あ、アビ! どうしよう、アビ!」
おろおろと名前を呼ばれた男は、土に額までつけて落ち込んでいる。目の前にいる想い人がこれからすぐにしっぽり決め込むと知れば、殴り込みに行かない分だけ落ち着いていると言えよう。
「とりあえずな、座敷は断ってこい。付け回しまではともかく、閨を覗くなんざ下衆にもほどがある」
宰蔵はこくこくと首を縦に振り、すぐさま来た道を戻って行った。その後ろ姿を見送り、往壓は地に伏せるアビに視線を戻す。
「……気持ちは分かるがな。元閥だっていい年だし、何よりあのなりだ。古い情人の一人や二人、いねえほうがおかしいだろうよ」
「……あんなふうに、心易くできる人がいたのか」
「ああ、ありゃちょっと意外だな」
元閥の生い立ちは途切れ途切れにしか聞いていない。決して全部は話さない。しかしそれだけでも、真っ当に生まれて、楽しく遊んで育った訳ではないのは伺い知れた。往壓の頭の中での若い元閥は、ろくに笑いもしない子供だった。……それがどう育ってああなったのかは、完璧な謎なのだが。
「いいじゃねえか。あいつにもいい人がいたんだ。神主やら西の者やらそんなのばっかじゃねえ、心の支えになるようないい人がいたってことだろ。それともあれか、江戸元はお前さんと出会うまでずっとひとりぼっちでいてほしかったか」
「……いやだ」
嫌だろう。アビならそう言うだろう。なによりも元閥が健やかであることを至上の喜びとする男だ。自らの嫉妬よりも、元閥に良い思い出があったことに価値を置く、アビはそういう男だ。
「まだ行っちまうと決まったわけじゃねえや。引き留めるにしても、江戸元が言い出してからで間に合うだろ。まあ……なにも言わねえで行っちまうかもしれねえけどな」
今までを考えれば十分有り得る。
「元閥は気まぐれだが、気まぐれだけでは動かない」
ようやくアビがむくりと起き上がる。
「俺は元閥を信じる」
「おう。んじゃあ、お前さんへの真心も本当だって信じてやんな」
アビが手足の泥を払うのを待って歩きだす。十分距離を取るまでは店の裏を歩き、一の鳥居近くになってようやく参道へ戻る。振り返れば、まだ元閥は男と話し込んでいるふうだった。
自分で船を繰ったのではないのだから、一度九段に立ち寄るはずだ。……江戸を離れるにしても、まず放三郎に話すのが筋だろうし。
一晩中部屋の隅で黙りこくるアビの重圧を感じながら、その日の往壓は小笠原の屋敷に泊まった。朝は宰蔵のどたばたとした足音で目が覚めた。
「帰ってきた! 帰ってきたぞ! お頭の部屋だ!」
「……随分早いじゃねえか」
まだ八つ前だ。古なじみと一晩過ごしたなら、もう少しゆっくりしていてもいいはずだ。横になりもしなかったアビはぱっと立ち上がり、そのまま廊下を走って行く。宰蔵もそれを追い、往壓はのんびりと帯を締め直してから部屋を出た。
アビと宰蔵は、放三郎の部屋の障子に張り付いている。中からは丸分かりだと思うが。思った通り、すぐに障子が開いて仁王立ちの元閥が出てきた。
「なんですか、アビも宰蔵さんも! 盗み聞きなんて行儀の悪い!」
「だ、だって、だって……!」
「…………」
「おや、竜導殿も朝から出歯亀ですか。御苦労様」
朝からではない。昨日の昼からだ。罰が悪くなって、思わず視線を庭に逃がす。
「お、お頭が、江戸元が江戸を離れるって言うからー!」
「私は言ってないぞ、そんなこと! ただ、江戸元の逢い引きの相手が、昔、そう言ってたと……!」
「相手? 小笠原さん、何か話しました?」
慌てて顔を出した放三郎が元閥にじろりと睨まれ、さっと目を逸らす。往壓に対し『なんとかしろ』という視線を投げてくるが知ったことではない。ああ、そろそろ椿が見ごろであるなあ。
「そうだ、聞いたぞ! 若殿だというじゃないか! お嫁に行ってしまうのか、江戸元!」
「嫁なんか行きませんよ。儂は男ですよ!?」
「じゃあ、囲われだ!」
「宰蔵さん、そういう言葉は控えなさいと何度も……」
「武家の男はだめだ、江戸元! 私は契りを交わしたあげくに、奥方に情人を奪われた兄さんを何人も知っている! あいつらは結局お家を取るんだ! 騙されちゃだめだ、えどげーーん!」
宰蔵の頭の中では、江戸元が囲われた揚げ句、夜離れで寂しく一人枕を濡らすところまで年月が進んでいるらしい。羽織に縋り付いて半泣きで喚く宰蔵から、元閥はうんざりと視線を逸らし、往壓に『なんとかしろ』という視線を投げてくるが、やはり知ったことではない。そういえば、今年は雪が少ないなあ。
「嫁にも行きませんし、囲われもしやしませんよう。落ち着きなさい、宰蔵さん」
「本当か、えどげん……」
「この年にもなって住むところを変えるのはきついですよ。古い知り合いと一晩話してただけです。連れて行かれたりなんざしませんから」
「だそうだ! アビ!」
ぱっと表情を輝かせて宰蔵がアビを振り返る。廊下に正座してじっと元閥の言葉を聞いていたアビは、まだ固まったままだった。元閥の手がその額に触れる。
「大丈夫だよ。聖天に帰ろう、船の用意をしておくれ」
言われてさっと立ち上がり、アビは無言で玄関へと向かった。元閥は肩をすくめ、放三郎に二言三言伝えると代わりに宰蔵が中に呼ばれ、廊下には往壓と二人きりとなる。
「……止めなさいよ」
「……いやあ、勢いに押されてな」
今日はみみずを売る予定もなし、聖天でタダ飯にでもあやかろうと元閥の後を追って廊下を歩く。角をひと折れふた折れし、人気の少ない一角で、不意に元閥が立ち止まる。
「往さんも、気になったかい?」
「……なにが」
「儂がいなくなるかどうか」
「まあ、そりゃあな」
元閥がいなくなれば、誰に酒をたかればいいのかわからん。
「アビや宰蔵さんには見せらんないけど、往さんならいいかねえ……」
「あ? なんの話だ……」
目の前で、元閥が袖をまくり上げる。薄暗い屋内で真っ白な腕が露になり……肘の上辺りに、くっきりと、紐か何かが食い込んだ赤い痕があった。痛々しいが、ひどく色香のあるその風情に、ごくりと喉が鳴る。
「まあ、ちょっと変わった趣味の御仁でね。昔、吉原でもこれで騒動やらかして、儂が仲裁に入ったんだよ。それが馴れ初めっていやあ、馴れ初めかねえ」
「……そんなのが情人だったのか?」
「これ以外はいい人なんだよ。奥方を不義で亡くしたとかでさ、女は信用できねえ、金で買っても安心できねえ、じゃあ男ならどうだ、それでも縛りつけなきゃ不安でしょうがない。寂しくてばかな男だった」
ぽつぽつと語る元閥の声には、軽い嘲りの裏に深い憐憫があった。
「四年もたてば趣味も変わってるかと思ったけどねえ。この年であの趣向に付き合うのは荷が重いよ。もう二度と会わねえだろうね」
すとんと袖が落ちる。暗がりに溶け込みそうな、深い臙脂と黒の着物。腕だけではなく、その白い身に何重にも巻き付いた縄の痕を想像してしまい、すぐに振り払う。
「趣味が変わってりゃ行ったのか?」
「……人の趣味にケチつける気はねえよ」
ふっと唇を引く笑顔が、ひどく寂しそうに見えた。
「好きだったんだろう」
「哀れんでたのさ。寂しくてばかな男を慰めていい気になってたんだよ。結局なにも出来やしなかったのにね」
傷つけることでしか、人の心を信じられない男。それを立ち戻らせてやりたかったのか。
「アビもばかみてえに寂しがってたぞ」
元閥が目を丸くする。
「あいつの寂しさを埋められてやるのは、お前さんだけだろう」
「大丈夫だよう、往さんの寂しいのも埋めてやるからさ」
慰めてやるつもりの言葉に思わぬ返答をされ、一瞬頬が熱くなった。それを見逃すような元閥ではない。ぷっと吹き出した後、きゃきゃきゃと笑いながら機嫌よい足取りで歩きだした。
「結局みんな、聖天を溜まり場に使うんだからさあ。店子がいるなら、家主がいねえと駄目だろうよ」
何か言おうとしても言葉が出ず、もごもごとする往壓に、ちょいちょいと手招きする。
「心配しなさんな。手間のかかる子供が四人もいるんだ、捨てて外の男に走ったりなんざしねえよ」
自分まで子供扱いか。往壓はひとつため息をついて、その手招きを追った。
- by まつえー
- at 17:20
- in 小咄
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