2007年08月24日
やっぱり獄ネタバレ話
ちょいちょい手厳しい感じですが、個人的に成長を逆行させるようなエピソードは好きくないのです……(ジャンプ主人公とかがよくやるやつ)
ユキユキやアトルみたいな人なら、ともかくねえ。
獄一のさいぞさん人斬り事件ですが、あれ、やっぱいらなかったんじゃないかと。
ばっちり、におやん殺してるわけだし(斬り付けただけ、じゃ済まないだろ)。
何よりも、妖奇士の世界自体、『何かを殺して、食って、生き延びる』『悦楽を伴う殺戮を糧として生きていく』というプリミティブな世界観なわけですよ。
妖夷を食わなくても、生きていくことは出来る。でも、妖夷を食わないと生きていることを実感できない。
野生動物は生きていくのに必要な獲物しか狩らないのではなく、それ以上の狩りに使う体力が得られるエネルギーに見合わないから狩らないだけ。肉食獣の子供は、弱った兎をおもちゃにして狩りを覚える。
奇士は、『生きている』という実感を得るために、他の生き物を殺すという業を背負った人たちだけど、敢えてそこに罪悪感を乗せないプリミティブさが作品の根底を流れる『毒』であり、その毒を飲み込んだ上での『ポップ』につながっていたと思っているのですが、ここでさいぞさんがいきなり人並みの女の子に戻ってしまうと、そういうものがチャラになってしまうな、と。
さらにそこに、『におやんを斬ったのはお役目故』というなら『今回だってお役目やろがい』だし、『罪もない人を斬ったから』というなら『罪なんて世間的、または自傷的なものであって、持ってる本人が自覚してればいいんですー』って妖奇士のテーマから外れてしまう(俺、この価値観嫌いだけど)。
なによりも、士道や人道など、プリミティブとはかけ離れた価値観を後乗せしていくのは、より人を根源的なほうへ引っ張っていこうとする妖奇士の流れに逆らってんじゃねえかな、と。
高野長英との絡みで、ある程度答えが出るんだと思うんですが、『今さら、この流れにもっていくか』って感じでもある。さいぞさんにこういう要素を背負わせるにしても、時期が悪い。
……まあ、こう見ると、果てしなく人工的な存在でありながらも、誰よりもアニミズム的でプリミティブなえどげんさんはすげえな、と思ってしまうわけですが(笑
欲望のままに生きてるよ、あの人。
- by まつえー
- at 13:44
- in 戯言
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