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2005年09月07日
ネギまを読めない水曜日[ネギま]
つまらん。
マガジン&サンデー感想を書く気も起き難いと言うものだ。ついつい、新シャア板の考察スレなどに入り浸ってしまう(入り浸るな)。
赤松先生の仕事がひと段落ついたようで、日記が更新されてます。
その9/2分から。
刹那とエヴァの対戦ですが、これは最初は予定になかったものです。
しかし本気で戦ったら一体どちらが強いのか、という議題はファンの関心事
ですので、あえてガチでバトルをおこなっています。
学祭全体のテーマも出てきますしね・・・
ガチで戦えば、そりゃ無条件でエヴァのほうが強かろう、と思うのですが……刹那のほうが強いと思うヤツなんかいるのか。体術限定で行って、楓がエヴァと張れるかどうかってところだと思いまーす。忍者最強。山田風太郎だから。
それはそれとして、学祭全体のテーマってのが気になるな……エヴァvs刹那戦のテーマは『まつろわぬ者と普通の人間との境界、もしくは共生』だと思うのですが、それが正しいのだとすると……
学園祭は巨大な超のクラスメイト編でもあるわけですが。
世間では『超=未来人』説が一般的ですが、私は『超=過去人』説を提唱しとります。
1.『これだけの戦闘力を発揮できる人間がこんなに残っていた』という言葉は、『昔はたくさんいたことを知っている』につなげるのが自然。
2.『ネギ先生は血の繋がった大切な人』は、自分の祖先よりも、自分の子孫に使ったほうが意味が通る。祖先であれば大切とか言うレベルではない。
こんな感じで。
あと、こないだ明らかになった超の目的、『魔法使いの存在を全世界にバラす』ですが……
未来人だった場合、それだけ大規模な歴史改編が行なわれると、タイムパラドックスで超の存在が消える可能性があると思うのですが。超自身は魔法使いについて直接は知らない訳で、『魔法使いの存在が公開された未来』から来たわけではないし。
しかし、もしも学園祭のテーマが『まつろわぬ者と普通の人間との境界、もしくは共生』だとすると、超=未来人説が割りと有力になるんじゃないかと。
たとえば、超は未来で魔法使いと出会い、何らかの事件で超だけが過去に飛ばされたんだとして、その事件の原因が魔法使いと普通の人間の軋轢や差別意識であったとすれば、『タイムパラドックスを起こしてでも、未来を変えたい』と思ってもおかしくないわけで。
逆に過去人だったとすると、未来のその先を変えてもあんまり意味がない。
……うーん、でも未来で魔法使いに会ったとすると、『この時代にこんなに残ってた』と繋がらないんだよなー……むしろ、未来では魔法使いの存在など知らなかったほうが筋が通る。そうすると、『未来で、文献に僅かに残る魔法使いの存在を知り、それを探求するため過去に来る』というラインが考えられるのですが、それならもっと魔術文化華やかな中世とか行くだろうし。大体、カシオペアが魔力を原動力としている以上、ある程度魔法使いとの接触があったと見るほうが自然だし。接触があったとすると、完全に魔法使いが隠遁している現代以降より、オカルトの存在が許されていた過去の方が自然だし。
まあ、そういうわけで、追記のほうに妄想。同人屋の性と書いて『さが』です。
投稿者 アミ : 2005年09月07日 19:04